5月14日に行われたB.LEAGUE CHAMPIONSHIP 2016-17のクォーターファイナル第2戦、国立代々木競技場第二体育館でタイムアップのブザーを聞いた三遠ネオフェニックスの田渡修人は力なく肩を落とした。
力強い応援を送るブースターへの挨拶時に何度も目元を拭っていたのは、激闘による汗なのか、悔しさによる涙なのか。リーグ4位となる41.2%の成功率を記録した3ポイントシュートは、8本打って1本も入らなかった前日の第1戦に続き、この日も2本の試投にとどまり、その威力を発揮できないまま終戦した。
レギュラーシーズンで幾度となくチームを救ってきた長距離砲を、アルバルク東京も十分に警戒し、集中して守備体制を敷いた。A東京は田渡にボールが渡らないように、ポイントガードやインサイドプレーヤーからのパスラインに対してディフェンダーが手や体を出してパスをさせないように徹底し、三遠の誇るシューターを自由にさせなかった。
田渡は試合後のミックスゾーンで「これだけ大勢の人と応援の中でプレーをすることができて、単純に楽しむことができた」と、クォーターファイナルの舞台に立ち全力でプレーしたことに対する満足感を述べた。しかし、「勝てる展開だっただけに悔しい思いも強い」と、役割を果たしつつも、シュートチャンスを封じられ、得点面で貢献できなかった悔恨の念をにじませた。この試合では、逆転されてチームが追撃に移る場面で、田渡が1本の長距離砲を沈めていればと思えるシーンがあったのも事実だ。
一方で、自身の3ポイントシュートの脅威が、他のプレーヤーの活躍に寄与できたことを前向きに捉えた。
「『シューターは開いてスペースを作ることで、インサイドの選手がプレーしやすいようにする意味がある』とチームメートから言葉をもらい、気が楽になって、チームプレーに徹することができた」
田渡が言う3ポイントの脅威があるため、A東京のディフェンスも中に絞ることができず、ロバ―ト・ドジャーが開いたスペースを効果的に使うことで、チームも得点を重ね、三遠の攻撃は活性化。シーズンをとおして相手に脅威を与え続けた田渡のコンスタントな活躍が引きだした結果と言っても過言ではないだろう。
田渡は筑波大学時代に3度のアシスト王に輝くなど、大学バスケットボール界有数のポイントガードとして名を馳せ、学生日本代表にも選出された。2012年に栃木ブレックスへ加入したが、厚いガード陣の中では十分なプレータイムを確保できず、苦しい3シーズンを過ごした。心機一転、移籍した三遠でも控えシューターのポジションから抜けだすことはできなかったが、転機が訪れたのは、このBリーグ元年だ。
藤田弘輝ヘッドコーチに指揮官が変わると、高いシュート力を持ちながらゲームコントロールができるガードとしてのユーティリティー性を買われ、徐々に出場機会を獲得。司令塔の鈴木達也や強力な外国籍選手らとともに、チームになくてはならない存在へと成長を遂げた。
苦難を乗り越え、プロとして初めてコンスタントに活躍した今季を「シーズンをとおしてチーム一丸となって、最後まで戦えた。調子が悪い時もいい時もあったが、Bリーグ初年度は楽しかった」と振り返った。
最後の最後で味わった屈辱をバネに来季はどこまで活躍できるか――。田渡の成長が、三遠躍進のカギを握る。
文=村上成