圧巻のパフォーマンスでチームをB3優勝に導き、格の違いを見せつけた。それもそのはず。日本代表歴があり昨シーズンは強豪、栃木ブレックスに所属。移籍に際しては引く手あまただった国内屈指のタレントだ。迎えた今シーズンは得点とアシストの両面で存在感を示し、リーグのベスト5にも選出された。これほどの逸材がなぜ新天地にライジングゼファーフクオカを選択したのか。「最速でのB1昇格」を誓う小林大祐は郷愁の想いを胸に、大望を抱いて福岡の地に降り立った。
インタビュー=安田勇斗
写真=ライジングゼファーフクオカ、Bリーグ
――昨シーズン限りで栃木ブレックスを退団し、昨夏ライジングゼファーフクオカへと移籍しました。どういった経緯でB3のクラブへ移籍したのでしょうか?
小林 理由の一つは、福岡が熱心に誘ってくれたこと。もう一つは、故郷である福岡のバスケットを盛りあげたかったからです。正直に言うと、B3のクラブには興味がなかったんですよ(笑)。福岡で言えば、B2にも入れないとか、資金不足とか、ネガティブな情報しか入ってこなくて。移籍を考えた当初は、自分とは関係のないチームだと思っていました。でもそこから徐々に状況が変わって、オーナーや社長が代わり、メンバーも大きく変わり、そういう話を聞いていた中で福岡のGMが栃木まで来てくれたんです。その時に「小林君を中心としたチームにするから来てほしい」と言っていただいて。でも僕は「B1にいたいので結構です」と断って、「今後は自分のエージェントと話してください」と伝えました。
――そこからどう気持ちが変わっていったんですか?
小林 エージェントにはB1のクラブとだけ交渉を続けてほしい、と伝えたんですけど、心のどこかに故郷の福岡が残っていたんですよね。クラブの方に何度も栃木に足を運んでいただき少しずつ考えが変わって、エージェントにもB1と福岡も話を聞いてほしいと話しました。
――福岡と最初にコンタクトを取ったのはいつですか?
小林 一昨年の年末か、年明けか。その頃から栃木を出ようと思っていて、他のクラブも含めていろいろなところから声を掛けてもらいました。
――栃木から移籍しようと思ったきっかけは?
小林 僕の理解不足もあるかもしれないですけど、自分がやりたいプレーと、クラブの意向が合わなかったことが一番です。もっとプレーしたかったし、日本代表にも入りたいし、このままじゃダメだなと。ただ、ふてくされても仕方がないですし、栃木では思いどおりのプレータイムは得られなかったですけど、しっかり練習してうまくなった自信はありました。でも栃木でのプレーは、昨シーズンまでと決めていました。
――B1の複数のクラブと福岡に絞り、最終的にはどういう形で決めたのでしょうか?
小林 あとは条件と熱意です。B1では候補が5、6クラブあったんですが、そこから条件などを聞いて3クラブに絞り、福岡と合わせて4つから選ぶことにしました。でも結局、決め手は、自分がどこでプレーしたいかなんですよね。最終的には待遇などではなく、気持ちで決めました。どんなに苦しい状況に陥ってもがんばれると思えるのは、福岡だけだったんですよ。ここには親がいますし、友人もいますし、バスケットにおける環境が一番いいとは思わないですけど、ここが自分がプレーしたい場所だったんです。
――決断したのはいつですか?
小林 昨シーズンが終わる前には決めていたと思います。
――周りの反応はどうでしたか?
小林 家族とか仲のいい選手とかいろいろな人に相談しましたけど、賛成する人は1人もいなかったです(笑)。バスケットを知らない友人には「東京オリンピックあきらめるの?」って言われましたし、親にも「戻ってこなくていい」って言われました。
――でも決意は固かったんですね。
小林 最後はやっぱり自分の決断で決めないといけないので。ただ結構流されやすい性格なので、途中までは「やっぱり止めた方がいいかな」と思ったりもしました(笑)。
――実際にB3のクラブに入ってみて、これまで所属したクラブと比較してどう感じましたか?
小林 うーん……カルチャーショックを感じましたね。悪い言い方になるかもしれないですけど正直な感想として、「本能でプレーしてるな」と。僕はバスケットをずっと頭でやってきて、その中でセオリーみたいなものができあがっているんです。バスケットで一番大事なのはシュートを決めることで、高確率で決めるためにはノーマークで打つことが必要になる。ではノーマークを作るにはどうすればいいか。5人でバランスを取り、必要なプレーを選択する。僕はこれまでそういったことを教えこまれてきました。日立(現サンロッカーズ渋谷)でも、栃木でもそうでしたし、東芝(現川崎ブレイブサンダース)もそういう個を犠牲にして点を取るバスケットをしていました。でもここでは、みんな1対1を仕掛けるんでビックリしました。
――レベルの違いは?
小林 もちろんうまい選手もいるんですけど、bjリーグのチームや選手は少し質が落ちるなと思いました。NBLとはスタイルが違うんですよ。NBLから日本代表に選ばれるような選手はチームで点を取るために頭でバスケットをする。でもbjリーグは個人技を重視するところがあって、加入当初は「えっ、何で?」みたいに思うことが何度もありました。逆に向こうも僕に対して「何でここで1対1しないの?」と感じたと思います。そういう感覚の違いがあってカルチャーショックを受けました。
――そこから1年近くプレーを続けて変化はありましたか?
小林 NBLから何人かの選手が入ってきて、徐々にチームプレーができるようになってきました。チーム内の信頼感も高まってきてパスも回るようになってきたかなと。でもB3で言うと、自分たちよりも金沢(武士団)の方がいいチームだったと思います。
――もっと組織的にプレーしていた?
小林 そうですね。チームとしてよくまとまっていました。金沢には日本代表に入るような選手や、大学で有名だった選手がいないんですよ。それでも結果を残しているのはチームバスケットができているからで、実際やりづらい相手でした。
――栃木時代からプロ選手として活動していますが、福岡ではどういう生活を送っているのでしょうか?
小林 日立にいた4年間は社員選手だったんですよ。広報として働いていて、例えば新製品が出たらニュースリリースを出していました。でも月曜9時にリリースを出すとなった時、僕は土日はバスケットをしていて準備ができなかったんです。だから朝6時に出社して仕事をして、というのがよくあって5時起きが染みついちゃって。今も5時に起きちゃうんですよ(笑)。
――そこからどう過ごすんですか?
小林 朝9時ぐらいにジムに行ってトレーニングして、お昼を食べて、13時か14時からチームの練習に参加して、夕方に終わって。22時ぐらいには寝てます。月曜日がオフなんですけど、その日もジムに行ってストレッチをしたり、ただ試合前の金曜日の午前だけは何もしないようにしています。
――ストイックですね。
小林 いや全然(笑)。月曜日はしっかり休んでますから。ジムには行ってますけど、寝そべってストレッチをしてるだけなので。
――アスリートのよくある悩みとして、動いていないと不安になったりするんですか?
小林 それはありますね。一度取り組んだトレーニングは1シーズンとおしてやらないと、調子が悪い時の言い訳になっちゃうので。でも、トレーニングもストレッチもルーティンとしてやっているので、苦にはなってないですし楽しみながらやってますよ。
――空いた時間はどうしているんですか?
小林 本を読んだり、映画を見たり、犬と遊んだり……根暗ですね(笑)。本は昔から好きで、法律などの難しい本を除けば何でも読みます。小説はあまり読まなくてビジネス系の本が多いかな。よく近くの本屋に行って適当に4、5冊買って読んでるんですけど、面白くなかったら途中で止めるので読みきらないことも多いです。
――あまり外には出ないんですか?
小林 そうですね。たまにお酒を飲みに行くこともありますよ、年に2回ぐらいですけど(笑)。栃木にいた時はもっとアクティブだったんですけどね。イチゴの「とちおとめ大使」や「そば大使」を務めさせていただいて、オフの日はイチゴやそばを食べに出かけたりしていたので。
――オフの予定は決まっていますか?
小林 6月初めから7月中旬まではアメリカでトレーニングをしてこようと思っています。2年前にアメリカに行って興味を持ち始めて、昨年ダラスでトレーニングして良い経験ができたので、今年も行こうかなと。
――1人で行くんですか?
小林 いや、ダラスには千葉ジェッツの富樫(勇樹)と行って、今年も2人で行こうと話しています。
――どんなトレーニングを行うんですか?
小林 NBA選手を指導しているコーチの下で、スキルワークアウトトレーニングをしています。いろいろなところから選手が集まってきて、コーチ1人につき3、4人で指導してもらうのですが、うまい選手ばかりなのですごく新鮮で楽しいんですよ。ダラスにはオリンピックで活躍した陸上選手のマイケル・ジョンソンが立ちあげた施設(マイケル・ジョンソン・パフォーマンスセンター)があって、それが競技問わずすべてのアスリートを育成する目的で建てられたもので、体のいろいろなところを調べてもらえるんです。各競技のトップレベルの選手が利用していて、例えば「あなたは関節がこう曲がるから、こういうトレーニングが合っている」といったアドバイスをもらえたりして。そこで午前中にトレーニングして、午後はスキルワークアウトトレーニングをして、という生活を1カ月送っていました。
――今年もダラスに行くんですか?
小林 今年はマイアミに行こうと思っています。いろいろな地域のバスケットを学べたらと思っていて、マイアミにもいいコーチがいて、知り合いもいるので。
――トレーニングの他に旅行に行ったりは?
小林 旅行も好きなので行きますよ。少し前までは毎年ハワイに1人で行ってました。もちろんいいところなんですけど、今思うと海を見て買い物してってだけで何が楽しかったのかよくわからないですね(笑)。
――旅行はいつも1人で行くんですか?
小林 そうですね。海外旅行が好きでこれまで10カ国以上行きましたけど、だいたい1人です。誘うのも面倒だし、スケジュール調整も大変なので(笑)。
――バスケットの話に戻します。来シーズンはB2で戦いますが、目標は?
小林 ここに来てシーズン前に最短でB1に上がると公言しました。まずそれを達成したいと思っています。B2昇格はできましたけど、1年でのB1昇格が難しいことはわかっています。でも、僕はここに来るまでにいろいろな決断をして、たくさんのものを犠牲にしてきました。それだけのものを懸けてきたので何としても達成したいです。それと個人的な目標として日本代表に入りたいです。もう3、4年呼ばれていないですし、年齢的な難しさもあるかもしれないですけど、可能性はゼロではないと思っているので。選手である以上は代表を目標にしてプレーしたいと思っています。
――B1に昇格するためには何が必要だと思いますか?
小林 勝つために個を犠牲にすることがより大事になってくると思います。チームバスケットを極めればどんな相手にも勝てますし、それがB1昇格の近道になると思っています。たぶんメンバーの入れ替えが多少あるので、最初からうまくいくとは思ってないですけど。強いチームってヘッドコーチが変わらないんですよね。同じHCの下で組織力が高まりどんどん強固になっていく。それはやっぱりチーム力が高まっていくからで、そういう相手に対抗していくにはチームバスケットを磨いていくことが不可欠だと思っています。
――その中でどんな役割を担っていきますか?
小林 勝負どころを見極めてチームを勝たせる役割を担っていきたいと思っています。僕が日立にいた頃、日立は若いチームでした。その時の最大のライバルがアイシン(現シーホース三河)だったんですけど全然勝てなくて。どれだけ試合を優勢に進めても最後には逆転されて負けるんです。その時のアイシンには柏木(真介)選手や桜木ジェイアール選手がいたんですけど、試合の流れをわかってるんですよね、ベテランは。どこでどうしたら相手にダメージを与えられるか、どういう戦い方をすれば逆転できるか。そういう選手を見てきて、勝負どころで流れを持ってきてチームを勝たせる選手になりたいなと。これからベテランと呼ばれるような年齢になって、そういう役割を担っていければと思っています。
――見てほしいプレー、見せたいプレーは?
小林 頭を使ったプレーもそうですけど、一番はアグレッシブに戦うところを見てほしいです。周りからも言われますけど、アグレッシブにできている時は相手にとって嫌な存在になれますし、結果も出せるので。クレバーにプレーしながら、同時にアグレッシブさを発揮できるところが自分の売りだと思っています。
――具体的なプレーで言うと?
小林 ドライブだったり、ロングレンジの3ポイントだったり。一番の長所は当たり負けしない体で、積極的に仕掛けてファウルをもらい、フリースローをたくさん決めるというのが理想の形です。
――点数へのこだわりはあるんですか?
小林 点を取ることが一番好きですけど、頭を使ったプレー、例えばピック&ロールだったりアシストだったり、そういうプレーも好きですし、これからもオールラウンドにやっていきたいですね。
――選手としての今後の目標や夢はありますか?
小林 折茂(武彦/レバンガ北海道)さんみたいに長くプレーすることです。夢はどんどん変わるもので、元々こんなに長くバスケットを続けるつもりはなかったんですよ(笑)。ルーキーの頃は3年ぐらいで辞めようかなと思ってて。日立で、スポーツもできる一流のサラリーマンになれたらカッコいいなと。それが僕の中でスーパーヒーローだったんです。でもそれからプロ選手になって、今度はプロで続けていくことがカッコいいと思い始めて。プロ選手に対する見方も大きく変わって、今はできるだけ長く続けていきたいと思っています。
――元々折茂選手に憧れていたんですか?
小林 そうですね。折茂さんと、あと川村卓ちゃん(川村卓也/横浜ビー・コルセアーズ)の2人のプレーが大好きで、尊敬しています。
――その2人を挙げるということは、彼らが得意とするアウトサイドシュートも参考にしているんですか?
小林 うーん、アウトサイドシュートというよりも、僕の中で2人はスコアラーなんですよ。卓ちゃんで言えば、頭が良くてドライブができてシュートもうまくて。点が取れる上に、アシストもできるし、僕もああいう選手になりたいと思っています。
――影響を受けた選手は他にもいますか?
小林 はい。折茂さんと、もう1人影響を受けた人がいて、それが田臥勇太(栃木)さんです。栃木での2年間で、勇太さんのプロ意識の高さを学びました。バスケット以外のすべてを犠牲にしている姿を見てすごいな、カッコいいなと。僕より6、7年長くバスケットをやってますけど、そこまで続けるのは本当に大変だと思うんですよ。でも年を重ねることで面白さも増すと思いますし、僕も折茂さんや勇太さんのように長くやりたいですね。
――まだ20代ですけど、達観している感じがありますね。
小林 いや理想ですよ。口だけかもしれないし(笑)。でも、こういう考え方が身についたのは、環境に恵まれていたからだと思います。日立でサラリーマンを経験できたことで学べたこともありますし、栃木では勇太さんのような素晴らしい選手に出会えましたし。スポーツを続けられることへのありがたみ、周りの方々への感謝の気持ち、そうしたことを理解できるようになりましたし、これからは自分が周りにそういう環境を与えられる、何かを教えられる選手になっていければと思っています。