【インタビュー】男子代表監督は現役の僧侶!? 上田頼飛氏に聞くデフバスケの現在地と未来

多忙の中、取材に応じてくれたデフバスケットボール男子日本代表監督の上田氏

7月にアメリカで行われた「第3回U21デフバスケットボール世界選手権」にて、日本代表チームが男女ともに銀メダルを獲得した。この知らせを受け、バスケットボールキングでは男子代表監督を務める上田頼飛氏へ取材をリクエスト。代表監督の傍ら、本業は真言宗僧侶という異色の経歴を持つ上田氏が、多忙な中、インタビューに応えてくれた。

インタビュー=小沼克年
写真=特定非営利活動法人日本デフバスケットボール協会

聴覚障がい者同士がプレーするが、補聴器の着用は禁止

――まずは「デフバスケットボール」について教えていただけますか?

上田 デフバスケットボールとは聴覚に障がいのある方が行うバスケットボール競技です。試合中は補聴器の着用は禁止されています。ルールは健聴者と全く同じで、唯一ルール以外で違う点は、笛やブザーの音が聞こえない方のためにコートの四隅の2カ所にフラッグマンを座らせて、音に連動してフラッグを上げる工夫があります。会場によっては回転灯や逆に全く配慮のない場合もあります。

 車いすバスケットボールと違って、障がいの重さによっての出場点数制などはなく、選手全員が同じ条件となります。デフバスケと聞くと「全く話せない、聞こえない」と想像される方が多いのですが、個人差があり「全く話せない、聞こえない人」から、「話せる、補聴器なしでも少し聞こえる人」、「手話のできる人、できない人」、「口の動きを読み取って会話できる人、できない人」など様々です。

――普段、選手たちとのコミュニケーションや指示はどんな方法を取っていますか?
上田 障がいの重さによってコミュニケーションの度合いがそれぞれ違うため、手話だけ、口話だけでもダメです。すべての要素を組みこむ必要があるので、ホワイトボードを使うことが一番確実な伝達方法ですが、文字で表すだけだとニュアンスが違って伝わることもしばしば。そこで手話やそれに近いジェスチャーも交えてコミュニケーションを取っています。その際に作戦ボードを動かしながらでは、手話を見ることはできません。そのため、相手が理解をしているのかを確認しながら進めることが重要となっています。練習での説明だけではニュアンスが伝わりにくいことが多いため日常から会話を増やし、私がどのようなことを話すことが多いのかを慣れさせる必要があります。

試合中の指示はホワイトボードだけでなく、手話やジャスチャーを交えて行う

デフバスケ監督就任のきっかけとなったある日の罵声

――なるほど。そもそも上田監督がデフバスケに出会ったきっかけは何ですか?
上田 20歳前後だったかとは思いますが、当時デフバスケ男子日本代表の小立(哲也)選手との出会いがスタートとなります。私はストリートバスケットが好きで、よく外にあるバスケットリングでプレーをしていました。小立選手とはその時初めて出会いましたが、聴覚障がい者とのコミュニケーションを取ることに抵抗はなく、すぐに仲良くなりました。抵抗がなかった理由としては言葉がつながらなくとも相手を理解することの体験をたくさん積んでいたからであり、ストリートのコートでは同世代とバスケットをすることよりも年上の方や外国人選手など、色んな方と国の言葉を超えた関わりがありました。言葉が通じなくても自分からドンドン話しかける強靭なメンタルを持っていた結果がもたらした能力だと思っています(笑)。

 なので、小立選手にもガンガン話しかけていましたし、理解をしてくれて会話が成立していました。数年後に聞いたら本当は困っていたそうですが……。

――そこから男子日本代表監督就任に至るまで経緯を教えて下さい。
上田 (小立選手と)初めての出会いから12年くらいが経ち、ある3x3の大会に「デフ選手が出場するので一緒に出て交流しませんか?」とお誘いを頂いたことが再会のきっかけとなりました。私も個人として真剣にプレーすることを辞めて7年も経っていたので、遠足気分で参加しましたが、その時の会場の状況が心を動かしました。会場には現代表の大平良龍選手、前日本デフバスケットボール協会理事長の篠原雅哉さんが参加しており、その大会の試合の合間に12年前のデフバスケとの出会いや交流など話で盛りあがり、一緒に1on1などをしていました。その後、私のチームがまさかの決勝戦に進出して、決勝戦の前に行われたデフバスケの紹介を聞いている人たちの会話内容があまりにも酷かったんです。「あのレベルで日本代表?」、「デフの日本代表って誰でもなれるの?」など、これ以上は過激すぎるので言えませんが、それを一番後ろで聞いていた私は怒り沸騰。その場で「バスケが上手くもない、しょうもない奴は、言うこともしょうもないのー!!」って大声で言ってしまいました。今考えたら子供な対応でしたが、許せなかったんです。

 でもある意味、「仕方のない部分があるのかもしれない」とも思いました。健聴者とルールが同じであることで、健聴者よりレベルの低いスポーツと見られやすい。彼らは聴覚に障がいのあることで環境を与えられなかった選手が多く、その苦難を乗り越えてコートに立っています。私はそのことを知っていたのであの時の暴言が許せなかったですが、知らない人からしたら、そう見えていることは事実だなと。その時に「デフバスケの役に立てないのか? いや必ず何かの形で役に立とう」と思いました。その翌年に当時のデフバスケ協会の理事長の篠原さん、理事で前々デフバスケ男子日本代表監督の林彩根さんより、男子日本代表監督のお話を頂き2015年4月より正式に監督となりました。

デフバスケ男子代表監督を務める一方、僧侶でもある上田氏

――普段、BリーグやNBAなどの試合は観ていますか?
上田 Bリーグの試合では、大阪エヴェッサ今野翔太選手の職人的な動きが面白いので観に行っています。昨年度は秋田(ノーザンハピネッツ)でプレーしていた佐藤浩貴選手がデフバスケ選手の相手をしてくれることが多かったので意識して結果を見るようにはしています。NBAは、最近の試合よりも10年以上前の試合を調べてみることが多いです。過去のものはシンプルで分かりやすいですし、選手の個性もはっきりしていて技術が今に比べて低いものの、職人的な選手が多くいました。その選手たちがどのようにして布石を打ち、後半の勝負所に活かすのか、などの細かい動きは知れば知るほど面白いです。ちなみに好きな選手のベスト5は今でもマジック・ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)、チャールズ・バークレー(元フェニックス・サンズほか)、デニス・ロッドマン(元シカゴ・ブルズほか)、アキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか)、カール・マローン(元ユタ・ジャズほか)です。

――上田監督は真言宗の僧侶でもあるんですよね。
上田 はい。本業は僧侶です。昨年の3月にTBSの「SASUKE」に僧侶の格好で出場して3秒で池に落ちました(笑)。それはさておき、本業の他にもNPO法人を立ちあげ、社会問題の解決や発達障がい児童に運動を通じて療育をする施設の経営などもしていて、現在は和歌山と大阪を中心に全国各地を回っています。NPO法人『one-s future』を立ちあげたきっかけとしては、選手たちに「“応援されて当たり前精神”を無くして、本当に必要とされる選手になろう。そして頼る前に、頼られる存在になろう」と話し合い、デフ選手を中心にNPO法人を立ちあげました。

――現在男子代表は世界ランキング15位ですが、まだまだ世界との差は感じていますか?
上田 世界との差は常にあります。日本人は世界的に最も小さく身体能力が低いですし、国内と国外でのジャッジが違いすぎて対応が困難です。実は、これまでは「身体能力の違い」と言って逃げているだけで、本気で肉体改造をしていませんでした。身長の差はありますが、体格の差を埋める努力をせず「海外との能力の差があるから仕方ない」と。何回この言葉を聞いたかわかりません。

 トレーニングは“基本”です。たしかに国内外でのジャッジの違いの影響もあるでしょう。国内では少し後ろから押されたり、悪いポジションからの接触には迷わずコールしてもらえますが、国際大会ではコールが鳴りません。選手たちは接触があるとプレーを止めてしまい、接触が起きたところから、どのようにプレーするのかが勝負なのにその準備を誰もしていない。その辺りの修正から入る必要がありましたが、合宿日数が少なく課題が消えることがない。だからこそ全てのことを教えるのではなく、一部分を伝えれば自ら考えて発展させる選手を育てる必要があったので自主性を重んじていました。たくさんの課題はあるものの、選手はその課題解決をスタッフと一体となり、楽しみながら進行していました。

U21世界選手権では、思わぬ大敗がチームに変化をもたらす

「第3回U21デフバスケットボール世界選手権」では、決勝まで駆けあがった

――そんな中、7月に行われた「第3回U21デフバスケットボール世界選手権」では、見事銀メダルを獲得しました。やはり初戦で強豪のスペインを破ったことが大きかったのでしょうか?

上田 そうですね。初戦でU20ヨーロッパ大会の王者スペインに僅差で勝利したことは大きな自信になりました(最終スコア65-61)。180センチのポイントガード、190センチの3番ポジション、2メートルでサウスポーのオールラウンダーの3人をどう崩すのか、そこを日本の3枚看板である越前由喜(宮城教育大学)、長田拓巳(上武大学)、津屋一球(東海大学)が終盤まで踏ん張ってくれて相手と戦えました。しかし、次のポーランド戦では日本らしさを出すことができず大敗(最終スコア60-88)。ですがこの大敗が大きな変化をもたらし、小さなことの徹底、そして団結を生みました。

――さらにはMVPと得点王に津屋一球選手、長田拓巳選手はベスト5を受賞。日本は大会ベストチームにも選ばれました。

上田 選手だけでなくスタッフも含めたチーム全員が一体となって試合を続けており、練習や試合外での会話も活発に行われていました。それもあってか、タイムアウトの時も面白いくらいに意見が一致することが多く、すり合わせに時間がかからなかったのが成功の要因です。

 今大会で輝いた津屋、長田をはじめ、越前と試合を重ねるごとに成長した森井(涼太/大阪成蹊大学)の4名が軸となって少人数精鋭で乗りきりました。津屋はMVPと得点王(1試合平均31.1得点)の他にも3ポイント成功率(39.2パーセント)やフリースロー成功率(73.2パーセント)、ディフェンスリバウンド(同10.4本)、ブロックショット(同1.6本)で世界1位の成績を残しましたが、これだけの成績を残すと「彼が1人でプレーしたのでは?」と思う人がいますが、彼は冷静でした。コート上5人の役割を理解して使いこなした結果、津屋に的を絞りにくくして伸び伸びとプレーすることができこのような成績を残せたのです。

日本のエースとして大活躍を見せた津屋

 長田の特徴はコンタクトの強さ。相手は日本が小さいので速攻と3ポイントをイメージしますが、彼はリング下にドライブでアタックを繰り返していました。その結果、ファウルをもらうだけでなく、相手に精神的なダメージを与えてくれました。165センチの越前は予測能力に長けていてスティールが多いため、大型ガードとマッチアップをしても臆することなくマッチアップできていましたし、森井がバランスを見てノーマークを作りだし、コツコツとプレーをしてくれたことも勝利への大きな布石となりました。

勝負は3年後のデフリンピックへ

上田監督は「余韻に浸らず次へのスタートを切ってもらいたい」と話す

――今後の目標、選手たちに期待することはなんですか?
上田 U21の選手は3名がA代表にも選出されています。他のメンバーは4年後のU21育成を考えての選考や、全国で1つしか、ろう学校にバスケットボール部が無いので、ろう学校にバスケットボール部ができて欲しいという想いをこめて、マネージャーを兼ねてろう学校の選手を2名選出しました。世界選手権の前からずっと話していたことは、「この大会は通過点だから勝とうが負けようが意識しないこと」。勝負は3年後のデフリンピック(聴覚障がい者のオリンピック)での活躍です。今大会の余韻に浸らず次へのスタートを切ってもらいたいです。

――11月には大阪・和歌山を拠点とするクラブチーム「誠family」 が「第4回 DIBF アジア太平洋クラブカップ」に参戦しますね。
上田 はい。11月20日から25日にオーストラリアのメルボルンで行われます。日本からクラブチームの代表として出場します。過去にこの大会で日本が金メダルを獲得したことがないので初の金メダル獲得をマストで、3年後のデフリンピックに向けての準備になればと思っています。この大会の出場に際して、クラウドファンディングを使い、資金支援を募っています。日本代表活動でも助成金が少なく自費が多く、今大会では助成金が全くありません。U21で活躍した若手選手も出場します。この選手たちを少しでもサポートしていただき、未来の子供たちへの環境づくりの一環としてご協力いただけることを心よりお待ちしております。

――最後に、バスケットファン、聴覚障がい者の方に向けてメッセージをお願いします。
上田 今回、大会中にたくさんの方々からSNSを通じて拡散や温かいお言葉を頂き、チームにとって大きな力となりました。みんなで獲得したこの結果を積み重ねていくこと、そしてバスケットボールの勝敗を超えた活動や活躍もできるようにチーム一丸として取り組んでまいります。これからもご支援、ご声援のほどよろしくお願い致します。

モバイルバージョンを終了