今年、バスケットボールの殿堂入りを果たしたレイ・アレンが楽天の招待により日本にやってきた。アレンと言えば、美しいフォームから放たれる3ポイントシュートで世界中のファンを魅了したことでも知られている。今回、日本ではファンとの交流の間に浅草や東京スカイツリーなどの観光も楽しんだが、それは日本語を習う自身のお子さんのアドバイスだったという。次のキャリアに進む前にそんな子供たちと過ごす時間を大切にするアレンのインタビューをお届けしよう。
取材=入江美紀雄
写真=小沼克年
取材協力=楽天
子供が教えてくれた東京スカイツリーを楽しみにしていた
――1995年の福岡ユニバーシアード、そして2000年、さいたまスーパーアリーナで行われた日本代表との国際親善試合と、今回は3度目の来日ですね。レイ・アレン(以下RA) 今回日本に来ることが決まってとても興奮していました。日本に来る前は、中国で行われたNBAのチャイナゲームに参加していて、日本へはゴールデンステート・ウォリアーズだけでなく、NBAのパートナーである楽天からの招待でやってきました。それに対して感謝の気持ちとかを示したいという思いがありましたし、それに加えて、東京で色々なことを楽しみたいという想いもあります。
――今回は浅草を訪れていましたが、楽しみにしていたことは何ですか?
RA まず残念だったのはゴルフができなかったことです。日本はゴルフが盛んだと聞いていたので本当はやりたかったのですが。その他では私の11歳の子供が日本語を勉強していて、色々とおすすめスポットを教えてくれたのですが、その中でトップが東京スカイツリーでした。実際にスカイツリーに行って、写真も撮って、それを送りましたよ。早速学校に写真を持っていったそうです。
――スカイツリーはあなたの地元でも有名なのですか
RA 11歳の子供が知っていたくらいなので、日本以外でも有名かもしれませんね。実際インスタライブを中継しながら移動していたので、自分やNBAのファンにもスカイツリーが知れ渡っていったと思います。そういった活動ができるのも非常に楽しいものです。
本当はタフな状況を作らないでシュートを打つのが理想
――今年殿堂入りを果たしましたが、現役生活の中で最も印象残っているシーズン、試合は?RA 試合でもシーズンでも何か1つが突出しているという考えはあまり持っていなくて、どの試合からでも学ぶことはあると思います。特に実は負けの方が、負けの辛さや痛みの方が記憶に残っています。
――試合の中でタフなシチュエーションのシュートを決める役割だったと思いますが、試合に臨むとき常に心掛けていたことは何ですか?
RA タフショットを打たないことが最も大切です(笑)。正しくいいリズムでプレーしていればタフショットなんて本当は生まれないはずなので、高いレベルでしっかりプレーすることで、タフショットを打たないことが理想です。でも多くの場合は、墓穴を掘ってしまってタフショットになってしまったことも多かったですね。
――ルーキー時代とキャリアの終盤では、経験を積むことによりメンタル面でのアップダウンが減ってシュートは安定してくるものなのですか。
RA 実はキャリアの最後の方でも、どんな試合だって緊張はしていました。ただ、経験を積んだことで準備の仕方が変わってきます。キャリア中盤になると、フリースローを外した経験も増えてくるので、それに対してどう対処すればいいかも学びました。
――あなたが数多くのパスを受けてシュートを決めてきました。その中で最もシュートが打ちやすかったプレーヤーは誰ですか?
RA NBAに入った時の(ミルウォーキー)バックス時代、サム・キャセール(元バックスほか)は良いガードコンビが組めていたと思います。その後のシアトル(スーパーソニックス、現オクラホマシティー・サンダー)時代は、ブレント・バリー(元サンアントニオ・スパーズほか)が非常に上手いパサーでした。もちろん(ボストン・セルティックス時代の)ラジョン・ロンド(現ロサンゼルス・レイカーズ)も本当に素晴らしいパサーで、タフなシチュエーションやクラッチタイムで良いパスを配給してくれました。後、思い出すのは、(バックス時代の)テレル・ブランドンですね。私は非常にいいパサーに恵まれていたと思います。
――レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)はどうでしたか?
RA 同じくらい素晴らしかったです。彼はスコアラーでもありますが、それ以前にパスファーストな選手なので、シューターとして彼のような選手と一緒にプレーすることは楽しいものでした。
――今後の活動予定を教えてください。
RA 直近では特に予定はなく、どちらかというとバスケットボールというゲームを広めることを楽しんでいます。あるとすれば解説を少しやってみたいのですが、非常に準備や出演で時間がとられるので、子供たちが小さいこともあって、その辺はまだ考えづらいですね。こうやって世界中を回ってバスケについて話したりできることが今は楽しいと思っています。