「第94回天皇杯・第85回皇后杯 全日本バスケットボール選手権大会」を優勝し、皇后杯の優勝回数を23回に伸ばしたJX-ENEOSサンフラワーズ。
「昨シーズンは(Wリーグの)開幕戦に出ただけで、(その後のケガにより)皇后杯のコートに立てませんでした。率直にこの舞台に戻ってくることができたことはうれしいです。
速い展開に持っていければ、自分たちのバスケットができる。それをガードの私が先頭を切ってやるように意識していました」
こう大会を振り返ったのは藤岡麻菜美。それまでメインガードを担っていた吉田亜沙美の後継者と目される若き司令塔は、3シーズン目となった今シーズン、JX-ENEOSのスタートを吉田から譲り受けることとなった。
だが、ここまでは順風満帆とはいかず、「最初は、日本代表のバスケットがJX-ENEOSのバスケットだと思っていたんです。それまでJX-ENEOSのスタメンのほとんどが日本代表だったし、(現日本代表ヘッドコーチの)トム・ホーバスさんも(2シーズン前まで)JX-ENEOSにいたし。でも今回は代表メンバーも私とアース(宮澤夕貴)だけ。日本代表のバスケットをすることが正しいと思っていたけれど、結局、それはチームには合っていなかった。今のJX-ENEOSのバスケットではないと感じて、開幕から1~2カ月は迷っていました。どうしたらいいんだろうと」と、ここまでを振り返る。
加えてバックアップを務める吉田は、コートに立てばさすがの働きで流れを変え、ゲームを支配。渡嘉敷来夢とも”あうんの呼吸”で好アシストを連発する(皇后杯決勝でも14アシスト)。もちろん、吉田と渡嘉敷とはともに戦って9年目。JX-ENEOSだけでなく2016年のリオオリンピックなど日本代表でも世界を相手にしてきた仲である。Wリーグ3年目で昨シーズンはケガで離脱、日本代表歴も2年の藤岡には吉田と比べて”経験”が足りないのは事実だ。
それは藤岡も痛いほどわかっている。その中で「リュウ(吉田)さんのプレーを盗むのは大事だけど、自分しかできないこともあるし、それは絶対になくしてはいけないと思っていました。経験の差と分かっていても、何もやらないんじゃ悔しいからコミュニケーションを取るなど、自分にできることをしようと思っていました」と言う。
シーズン前半、藤岡はその悩みを吉田に相談した。その時に、吉田からはこんな言葉が返ってきたという。
「シフトチェンジする必要はない。まだ麻菜美のプッシュするスピードに付いていけなかったり、タイミングをみんなが分かっていなかったりするだけだから、続けていい」
吉田は言う。「迷いながらやっているのは見て分かりました。私だって最初からタク(渡嘉敷)やメイ(大﨑佑圭)と合っていたわけではない。ミスを重ねてきて今の信頼関係ができたので、そんなすぐにできたらこっちも困っちゃいますよ(笑)。練習の中で何回もパスを出すことで、『こういうパスを出すよ』と気づいてもらう。もう少し時間はかかると思うけど、いい方向には行っていると感じています」。
実際、藤岡もWリーグ前半戦の最終節となった12月中旬には周りの選手と合ってきて、自分らしさを出せるようなったと感じてきたようで、さらに今大会では、「準決勝、タクさんにタップパス入ったときは、タクさんとも『決まったね!』みたいになりました。そういうプレーが出始めている実感はあります」と、より一層手応えもつかんだ。
苦しみながらも見えてきた光明。「何年もやってきたスタートの5人から2人も変わったので、今はまだチームに圧倒的な強さがないのは分かっています」と、藤岡。それでも、「ホッとしたというよりは、本当にうれしいと思う優勝です」と、試行錯誤しながらたどり着いた皇后杯の6連覇に満面の笑みを見せていた。
文=田島早苗