Bリーグは3月27日、2019-20シーズンのポストシーズン(Bリーグチャンピオンシップ、B2プレーオフ、B1残留プレーオフ、B1・B2入れ替え戦、B2・B3入れ替え戦)を含めた全試合を中止することを発表した。新型コロナウイルス感染拡大という未曾有の事態に襲われた国内においてリーグ関係者が苦渋の選択に迫られたことは想像に難くないが、実際に現場のスタッフ、選手はどのような感想を持っているのか? 今シーズンから川崎ブレイブサンダースの指揮を執った佐藤賢次ヘッドコーチに今シーズンを振り返ってもらった。
取材・文=入江美紀雄
「リーグ優勝に挑戦できなかったことが一番悔しい」
ーー残念な形でのシーズン中止となってしまいましたが、まずは1年目を終えた総括をお願いします。
佐藤 初めてのヘッドコーチ就任ということで、2人のアシスタントコーチ(勝久ジェフリー、穂坂健祐)と「BE READY」というスローガンを作りました。常に相手チームより先に準備をするといったコンセプトのもと、プレシーズンからいい活動ができたと思っています。一番大きかったことは、開幕前の8月末に行われたアルバルク東京戦でいい試合ができたことですね。僕にも選手にとっても自信となりました。それが良い開幕につながったのだと思います。加えて、そこからのチーム作りはほぼ順調に進んでいたのですが、ケガや病気などのアクシデントがあり、その都度チーム一丸で問題点を共有して乗り越えてきました。これが1年目を通して最も良かったことだと思います。最終的に中止という結果になり、Bリーグ優勝という目標は達成できなかったのですが、この1年でやってきたことはこれからの財産になると思います。
ーーレギュラーシーズンの途中に終わってしまう前代未聞の出来事に加えて、今シーズン、川崎には色々なアクシデントがありましたが、これをうまく乗り越えられたのは佐藤HCの采配によるものですか? それとも選手やスタッフ陣に支えられた部分が大きいのでしょうか?
佐藤 一番感じたのは、チームの軸となる考えが選手にしっかりと伝わっていて、選手もそれを理解していたことですね。誰かが欠けたとしても、そのコンセプトは崩さずにプレーできたのが良かったと思います。
ーーそのコンセプトが最も顕著に現れたのが今年の天皇杯だったのではないでしょうか。優勝は逃しましたが、ケガ人や病人が続出した中で決勝戦まで勝ち上がったことは大きな財産になったのではないでしょうか?
佐藤 天皇杯の開催期間は1日1日を全力でやることに必死でしたが、振り返ってみるとあそこを乗り越えることができたのは(チームとして)大きかったと思います。
ーー天皇杯の試合を見ていて、限られた戦力の中でやろうとしていたことにブレがなかったと感じましたが、あれはコンセプトを崩さないよう死守したいという思いが強かったからですか? それともあの時点ですでにチームのコンセプトは完成していたのですか?
佐藤 一応シーズンを通してやっていく中でキーとなる試合をいくつか定めていて、天皇杯は1つ大きなターニングポイントだったんですね。天皇杯に向けてチームではベースを固めることを重点的に行っていました。選手全員が同じことをできるように、12月までは基礎練習を徹底的に行って、チームの地力を底上げし、天皇杯の優勝を狙うというのがシーズン前半の目標でした。そこをブレずに達成できたのはとても大きな成果でしたね。そして、身についた基礎をもとに、チャンピオンシップで勝ち抜ける戦術を積み重ねようというのが後半の目標だったのですが、それを達成できなかったのは非常に残念でした。
ーー方向性が見えてきた中でのシーズン中止はとても悔しかったのでは。
佐藤 結果がどうなるかはやってみないと分からなかったですが、リーグ優勝に挑戦できなかったことが一番悔しいですね。
ーーこの選手は伸びたな、この選手が頑張ってくれたおかげで川崎が崩れずに済んだなと思うのは誰ですか?
佐藤 1人を選ぶのは難しいですけれど、藤井(祐眞)もそうですし、辻(直人)もPGとして新たな魅力を見せてくれました。ニック(ファジーカス)は途中から無双状態になっていましたね。彼が何シーズンか前の、打ったら入るという調子を取り戻してくれたことはすごく大きかったです。青木(保憲)の成長ほか、いろいろな選手が様々な場面で仕事を果たしてくれたので、誰か1人に絞るのは難しいですね。
「世界レベルで戦えるようにするには何をしなければいけないか」
ーーHC1年目のご自身を採点すると10点満点で何点ですか?
佐藤 7点くらいでしょうか。
ーーその理由は?
佐藤 チームとしての軸を浸透させて、川崎はこういうチームだというものを作れたのはすごく良かったと思っています。反省点としては勝てる試合を勝ちきれなかったことや、コーチとしての反省点から、自分の経験不足をひしひしと感じました。
ーー佐藤HCが采配を振るう試合を最初に見た時、「川崎のバスケットが変わったな」と感じました。新人HCながら「思い切った戦法を取るな」とも思いました。川崎だけでなく代表でもアシスタントコーチを務められて得いましたが、当時から「こういうバスケットをしたいな」という青写真を持っていたのですか?
佐藤 僕がHCとなった後、選手も固まってきて、新しい外国籍選手の特徴をつかんでから最終的な方針を決めて行ったのですが、元々ディフェンスをして、たくさん走るチームが好きだったのと、僕のバスケットボール人生の中で、選手時代を含めてそういう意識のもとでバスケに関わっていたというのが大きいですね。加えて、昨夏中国で行われたワールドカップ(以下、W杯)を見て、日本の選手を世界レベルで戦えるようにするには何をしなければいけないかを考えさせられたのも大きな影響になったと思います。
ーーW杯ではショックを受けたことが多かったということですか?
佐藤 ディフェンスでプレッシャーをかけられてしまうと、もうレシーブができなくなってしまったり、ボールをもらった時の判断スピードだったり、色々な面で世界との差が見えたのですが、結局それを埋めるには基礎を磨かなければいけないという結論に行き着きました。相手より先に準備する、相手より先に正しくコンタクトする、相手より先に走りだすというところからやらなければいけないと感じ、「BE READY」というスローガンが生まれました。
ーーそのスローガンはW杯が終わった後に生まれた言葉なんですね。
佐藤 元々言葉自体は終わる前からありましたね。アシスタントコーチが2人決まった時に3人で今シーズンのバスケットの方向性を決めようと話し合っていた中で生まれた言葉でした。その後、W杯を見て方向性は間違っていないなと感じましたね。
ーー長いオフシーズンに入るわけですが、選手たちへ与える課題はありますか?
佐藤 そうですね。シーズンが終わったので何ができて何ができなかったのかをコーチ陣として把握していかなければいけないですし、選手1人1人の課題を集約してから具体的なものを出していければいいなと。感染リスクがある状況なので、最低限のことをやれればいいなと思います。