富山グラウジーズのリチャード・ソロモン、モデルチェンジ生んだNBAとの距離感

ソロモンは平均17.6得点10.9リバウンドを記録し、富山の攻撃をけん引している[写真]=B.LEAGUE

「B.LEAGUE ALL-STAR GAME 2021 IN MITO」の開催が中止となった。ダンクコンテストやオールスター戦でのリチャード・ソロモン富山グラウジーズ)のプレーを、楽しみにしていたファンは多かったのではないだろうか。5シーズン前、トヨタ自動車アルバルク東京(現アルバルク東京)に在籍した際、現在ほどアクロバティックなスタイルだった印象はない。このモデルチェンジには、ソロモンとNBAとの距離感が影響しているようだ。

能力を最大限高めようと努力し、現在のスタイルを確立

 アメリカ・ロサンゼルス出身のソロモンは5歳から空手に親しみ、数々の大会で優勝した経験を持つ。バスケを本格的に始めたのは高校から。「幼い頃、レイカーズの試合を見るのが好きだった。シャック&コービーのコンビがお気に入りさ。私の父はバスケをしておらず、プレーの仕方が分からなかったんだ」。

 身長が207センチに達していた高校時代、すぐさま頭角を現し、AAU(Amateur Athletic Union)でのクラブチーム活動も評価された。数多くの大学からリクルートが寄せられ、選んだカリフォルニア大はパシフィック12カンファレンスに属する強豪。身体能力だけでプレーしていたともいえる当時のソロモンは、ここで高度なチームプレーを学んでいく。

 4年時、ソロモンはカンファレンスのリバウンド王に輝いた一方で、1試合での得点が20を超えず、スリーポイントシュートはアテンプトすらなかった。生粋のインサイドプレーヤーというには攻撃面が物足りないと映ったのだろう、NBAドラフトからは漏れている。ソロモンは「かなりがっかりしたが、あきらめずトライし続けることが大事と知った」と次のステップを見据えた。

 大学卒業後、14-15シーズンを前にオクラホマシティ・サンダーと契約し、プレシーズンマッチに出場した。しかし、背中の負傷でトップコンディションを保てず、開幕直前で解雇され、Dリーグでも低調なプレーに終始した。その後3シーズンは日本、フランス、トルコと海外リーグを渡り歩く。

 自分の原点に戻ろうと、18-19シーズンはGリーグでのプレーを選んだ。開幕から好調で、18年11月には米国代表に初選出され、19年W杯中国大会の地区予選2試合にスターターで出場している。
「(当時の代表HC)ジェフ・ヴァン・ガンディという、多くの選手がリスペクトするコーチのもとで、国を代表しプレーできた。アルゼンチン戦でルイス・スコラとマッチアップしたり、W杯出場に貢献できたりと素晴らしい経験になった」

 19年2月、サンダーと10日間契約。シーズン中の所属は初の経験だったが出場機会はなく、契約延長を勝ち取れなかった。「契約できない選手のほうが多い。ドラフトもされてない自分にとって、大きな達成だ」とソロモンは胸を張る。19-20シーズンはサマーリーグを経てフランスリーグで戦ったが、ソロモンのスタッツに大きな変化が生じた。
 
 過去のサマーリーグで、3Pシュートは一度も放っていない。このシーズンは初めてアテンプトを記録し、出場時間を例年以上に伸ばしている。高校・大学を含め3Pシュートとはほぼ無縁だったが、フランスリーグでは積極的に狙った結果、5割近い成功率を残した。今シーズン、富山でもアウトサイドでのプレーを見せることによって、インサイドアタックに生かす。ペイントエリア内だけで勝負する選手では、とうにない。

「以前はNBAでプレーしたい一心で、一つのことに集中しようとする気持ちが強かった。年齢を重ね、バスケの見方が変わったんだ。能力を最大限に高めようと努力した結果、今のスタイルになった」とソロモン。決して、NBA再挑戦をあきらめたわけではないだろう。2年前まで追求したスタイルでは、NBAのコートに立つことが叶わなかったという思いが、ソロモンに新たなバスケのドアを開かせた。

ソロモンはアウトサイドを効果的に織り交ぜることで、インサイドアタックへとつなげている[写真]=B.LEAGUE

文=横田直

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