バスケットボールキングでは、BリーグやWリーグの選手たちに、高校時代を振り返ってもらうインタビュー特集を連載中。トップリーグで活躍する選手たちの高校時代の話を、ぜひ今後の学生生活の参考にしてほしい。
第6回はトヨタ紡織サンシャインラビッツの東藤なな子が登場。昨シーズンは新人賞に輝き、日本代表候補にも選出された19歳が語る高校時代とは。名門・札幌山の手高校で学んだことや思い出を全3回のインタビューで振り返る。
インタビュー・文=田島早苗
写真=トヨタ紡織サンシャインラビッツ、山口剛生
――まず始めに、バスケットを始めた年齢、キッカケを教えてください。
東藤 小学4年生で、友達のお母さんに誘われたのがキッカケです。
――日立ハイテククーガーズの関ななみ選手はミニバスからのチームメイトですよね。
東藤 そうです。畠山愛花(桐蔭横浜大学)も一緒で、最初にチームに入ったのが愛花で、小学校1年生の時。一番最後に入ったのが私でした。身長は小学6年生で156㎝くらいだったと思います。成績は最後の大会で全道ベスト8。そんなに強いわけでは無かったです。
――そのメンバーたちが新川中学校に進学し、そこでは全国大会(全中)出場を果たします。
東藤 ミニバスからずっと一緒にやっていたので、息が合ったし、監督からもいろんなことを教えてもらいました。ただ、中学に入った時は全中を目指していたわけではなかったですね。段々と「目立つんだったら北海道で優勝して全中行こう」みたいになっていったと思います(笑)。全中はベスト16で、最後は日章学園中学校(宮崎)に負けました。確か、相手チームの一人の選手に3ポイントシュートを10本ぐらい入れられたと思います。
――そして高校は地元の名門・札幌山の手高校に進みます。
東藤 最初は「山の手でやろう」という気はなくて。中学で引退した後は、「高校はまあまあ強いところで楽しくやれたらいいな」ぐらいでした(笑)
でも、山の手から推薦の話が来たと聞いて。私自身、声のかかるような選手だとは思っていなかったのですが、(札幌山の手高コーチの)上島正光さんが中学校に来て、話をしてもらった時に、すぐに行くことを決めました。
――それは上島コーチの話が情熱的だったのでしょうか。
東藤 情熱的だったし、話を聞いてバスケットのスタイルが今までやってきたスタイルと同じということも大きかったです。それに、ななみと愛花とも一緒の高校に行こうと話をしていて、愛花がすでに「山の手に行く」と決めていたこともあって、それなら3人で行こうとなりました。
――名門チームに入るにあたって不安はなかったですか?
東藤 高校入学前、まだ中学3年時に山の手の練習に数回行ったのですが、練習試合に出してもらえなかったことがあったんです。今考えれば、深い意味は無くて上島さんの気分だったと思うのですが、当時は「このまま高校に入っても試合に出られないのは嫌だな」と思ってしまって。ミニバス、中学とずっと試合に出ていたこともあって、試合に出られないということに初めて直面したというか。それで、山の手に行くのを辞めたいと思い、担任の先生に「今から進路を変えられますか?」と聞きに行ったんですよ、ななみと一緒に(笑)
結局、先生から「頑張ってみた方がいいよ」と言われ、「はい、頑張ります」と、話はまとまったんですけど(笑)
――入学後はすぐに高校のレベルに付いていけましたか?
東藤 初めてのことが多く、覚えることに必死でした。中学と高校とのバスケットでは「こんなに深さが違うんだ」と思うぐらい学ぶこと多かったです。
中学生の時から練習に参加させてもらっていましたが、その頃から、(練習で飛び交う言葉が)何を言っているのか分からないぐらい新しいことが多かったです。
――それでも1年生の時からメンバー入りを果たします。
東藤 ユニフォームはもらえましたが、最初の春の大会では試合にあまり出られなかったと思います。夏以降、スタートで出させてもらう試合も増えていきました。
――印象深いのは6月のインターハイ予選。リバウンドなど1年生とは思えない目を引く働きでした。
東藤 その頃のこと全然覚えてないんですよね。今、高校の時の試合を見返すと、下手くそだけど、とりあえず一生懸命やってるみたいな感じで、見るのも恥ずかしいぐらい。あの時は何も考えずに「とりあえず頑張る」というスタイルだったので、改めて見ると「よくやれていたなぁ」と思います。
――1年生の時は3年生に栗林未和選手(富士通レッドウェーブ)がいて、チームとしても注目された中でインターハイはベスト4。いきなり高校のトップレベルを経験しました。
東藤 (大接戦となった3回戦の)昭和学院高校(千葉)との試合はよく覚えています。最初、緊張からか体も全然動かなかったのですが、後半に「ここでやらないと意味がない」と思って。あの試合は未和さんが本調子ではなかったので、それもあって「ここでやろう」という気持ちが強くなりました。
1年生の時は3年生がみんないい方たちで、私は4番ポジションで未和さんにパスを出していましたが、未和さんは絶対にシュートを決めてくれました。ガードの方も私にパスを出してくれて、すごくやりやすかったです。そういった中で1年生の時は「当たって砕けろ」で臨んでいましたね。
でも、1年生の1年間というのはすごく長く感じました。(コート内外で)初めてのことも多くて大変ではありました。ただ、あの1年間があったから、今の自分がいると思っています。
――そのしんどい時期を頑張れたのは何が大きかったですか?
東藤 同期がすごく仲良いんです。言い合えるし、相談もできる。私を入れて7人でしたが、あのメンバーだったから頑張れたというのは3年間を通してあります。クラスも一緒で、遊びに行くのも常に一緒でした。