サッカーなどで知られる海外リーグの一つドイツ・ブンデスリーガ。実は車いすバスケットボールにも「ブンデスリーガ」が存在する。車いすバスケでは他にスペインやイタリア、米国などにもリーグが存在するが、ブンデスリーガは各国の代表クラスがしのぎを削り合う世界最強リーグ。そのブンデスリーガで日本人唯一のプロとして活躍しているのが、香西宏昭だ。3度のパラリンピックに出場するなど世界を舞台に活躍する日本のエースに迫る。
文・写真=斎藤寿子
2020に向け世界最強リーグで磨きをかける日本のエース
12歳で車いすバスケを始めた香西。高校時代、日本選手権(18年より「天皇杯」を下賜)では2年連続でMVPを獲得するなど、国内の車いすバスケ界では早くから注目の存在だった。高校卒業後は、当時車いすバスケ界の名門として知られていたアメリカ・イリノイ州立大学に進学。全米大学選手権優勝も経験し、3、4年時には全米大学リーグのシーズンMVPに輝く。4年時にはキャプテンを務めたことからも、その卓越したプレーのみならず、人間性も認められた存在であったことは想像に難くない。
そんな香西が、大学卒業後の進路として選択したのは、プロとして生きる道だった。しかし、それは決して容易なものではなかったはずだ。実は、車いすバスケ界には未だ完全なるプロリーグは存在していない。いわゆるクラブリーグで、ブンデスリーガも同じだ。その中で、各リーグの強豪チームにはプロ契約をしている選手がいる。つまり、車いすバスケ界でのプロとは、まさに選ばれし存在。世界から認められたトッププレーヤーのみが歩むことができる道なのだ。
香西はその一人として、大学卒業後の13-14シーズンからブンデスリーガでプレーしてきた。昨シーズンには、より高みを目指し、移籍を決意。移籍先はドイツ国内リーグでは常に優勝争いし、過去には欧州クラブ王者にも輝いたほどの強豪RSVランディルだ。
その1年目の昨シーズン、香西は日本代表として世界選手権予選に出場したために1カ月遅れでのチーム合流となったが、すぐにスタメンに抜擢された。最大のライバルとの試合では2度も試合終了間際に決勝点を挙げるなど、シーズンを通して活躍。リーグ準優勝、ドイツカップ(天皇杯と同じくオープントーナメント形式の大会)優勝、欧州クラブ選手権ベスト4という結果を残したランディル。香西はその立役者の一人となった。
今シーズンもアジアパラ競技大会に出場したため、1カ月遅れでチームに合流した香西。だが、新ヘッドコーチの下、すでに主力がかたまりつつあったチームにおいて遅れをとった感は否めず、最初の数試合はベンチを温める時間が多かった。しかし、トップ争いのライバル対決で途中交代の香西が流れを変えたのを機に、今、再びチームにとって不可欠な存在となっている。タイトル獲得に向けて厳しい試合が待ち受けているシーズン後半、さらに香西の力が必要とされるはずだ。
一方、日本国内ではNO EXCUSE(東京)に所属し、日本選手権を沸かせてきた。国内では3Pをはじめシューターとしての魅力が語られることが多い香西だが、実際はマルチな才能を持つ。ディフェンスの技術も高く、アシストのセンスにも長けている。知れば知るほど、見れば見るほど、魅了されていくプレーヤーだ。
その彼が今、最大の目標としているのが1年後に迫った東京パラリンピックでのメダル獲得。ブンデスリーガで世界トッププレーヤーとしのぎを削り合っているのも、すべてはそのためだ。
香西が副キャプテンとして、エースとして出場したリオパラリンピックで日本は9位に終わった。その結果に、彼は大きな責任を感じていた。予選でいきなり3連敗を喫し、決勝トーナメント進出の可能性がなくなったことについて、彼はこう語っていた。
「『うぬぼれるな』と言われるかもしれないけれど、特に最初の1、2戦に負けたのは自分のせいだと思っています」
そして、こう続けた。
「まずは自分自身が変わらなければいけないなと」
その思いを胸に、香西は今、ドイツの地で心技体を磨き続けている。