インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。
文・写真=斎藤寿子
今年4月に大学に入学した知野光希(新潟WBC)は、高校時代からジュニアの強化・育成選手に抜擢されている、将来を嘱望された選手の一人。同じ現役大学生で一学年上の赤石竜我(埼玉ライオンズ)とは、次の男子U23世界選手権を目指す仲間だ。「無名のところから這い上がってきたという境遇が自分と似ていることもあって、頑張ってほしいと思っている」と赤石。すでにA代表の主力の一人として活躍している赤石が注目する知野とは――。
車いすバスケを始めたのは「自分に自信をつけたかったから」
車いすバスケットボールを始めたのは、小学5年の時。地元で開催された大会を観戦に行ったことがきっかけだった。
「物心ついた時から車いす生活だった僕は、自分に自信が全くありませんでした。だから正直、“障がい者スポーツなんて、大したことないんだろうな”と思っていました。でも両親に誘われて大会を観に行ったら、すごく迫力があって、かっこよかった。ひと目見て“やりたい!”と思いました。一番は自分に自信をつけたかったんです」
すぐに新潟WBCに加入し、練習を始めた。日常用の車いすとは使い勝手が違う競技用車いすの操作にも、それほど苦労することなく、すぐに慣れたというから、やはり潜在能力は高かったのだろう。知野は、週末に行くチームの練習が楽しくて仕方なかった。
当時の知野は、引っ込み思案の性格で、自分から発言することはほとんどなかった。しかしその一方で、実は負けず嫌いでもあった。たとえ遊びでもゲームなどで負けると、悔しいという気持ちが沸き起こった。だが、それを表に出すことはなかった。
そんな知野が本来の負けん気の強さを出すようになったのは、中学3年の時に初めて呼ばれた男子U23育成選手の強化合宿がきっかけだった。
「全国から選抜された優秀な選手ばかりが集まる中、果たして自分はついていけるのか不安しかありませんでした。案の定、もうボロボロでした(笑)。試合形式での練習では、ほかの選手のスピード、切り替えの速さに全くついていけなかったんです」
そして、こう続けた。
「でも、みんなに負けたくないと思いました。自分だってやれるというところを見せたいと」
同世代からの刺激を受けた知野は、さらに練習に打ち込むようになった。
初の海外遠征後、初めて実感して成長
「自分に自信をつけたかった」と始めた車いすバスケ。ようやく自信を掴み始めたのは、高校2年の時。男子U23日本代表として、初めて海外遠征のメンバーに抜擢され、ドバイで開催された国際大会に出場したことが大きかった。
タイとの初戦では得点も挙げ、チームメイトから称えられたが、緊張のあまりシュートを入れた記憶は全くなかった。その後、少しずつ慣れていったものの、大会期間中は無我夢中だったという。最終日には京谷和幸HC(現在A代表HCを兼務)に褒められ嬉しかったが、自分が本当に成長しているのかは、まだよくわからなかった。
しかし帰国後、初めてチーム練習に参加した時のこと。知野は、ある変化に気づいた。
「なんだか自分の動きが良くなったように感じたんです。周りもすごく見えて、状況判断も素早くできた。ワンテンポ、いやツーテンポくらい、プレーのスピードが上がっていたんです。自分は本当に成長しているんだな、と初めて実感しました」
その後の知野は、飛ぶ鳥落とす勢いで成長し続けている。近年では男子U23代表の国際経験の場となっている北九州チャンピオンズカップにも、2年連続で出場。今やU23世代の主力の一人として、次の男子U23世界選手権での活躍が期待されている。
そして知野は、自分自身の性格にも変化を感じている。大学に入学して4カ月と間もない中、知野はグループワーク課題では自ら率先して発言や提案を行っている。「以前の僕には、考えられないことです(笑)」と言って、こう続けた。
「車いすバスケで自分に自信を持てたことで、積極的に行動できるようになりました。プレーだけでなく、人間的にも自分を高めてくれた車いすバスケに出合えて、本当に良かったです」
今年で19歳の知野には、まだまだ伸びしろが十分にあるはずだ。次世代を担う逸材の一人として、今後が楽しみだ。
(Vol.5では、知野選手が注目している選手をご紹介します!)