インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。
文=斎藤寿子
Vol.5で登場した伊藤明伸(宮城MAX)が、同世代で注目している選手の一人として挙げたのが、同じ東北ブロックからジュニアの強化・育成選手に選出されている山崎泰誠(秋田県WBC)だ。持ち点3.5ながら身長175cmと高さがある山崎は、持ち点4点台の選手さながらにゴール下でのプレーを強みとしている。地元秋田の車いすバスケ界で一番のホープである山崎にインタビューした。
得意だった球技で見つけた第2の競技人生
子どもの頃から球技が得意だったという山崎が特に好きだったのは野球だ。小学生の時からチームに入り、ピッチャーとしてプレーしていた。当然、中学、高校でも続けるつもりだった。
しかし、中学2年の時に患った肺炎の後遺症で脊髄炎となり、その影響で下半身に障がいが残った。自由に歩いたり走ったりすることができなくなった山崎は、野球を諦めるしかなかった。その後、卒業をするまで、特にスポーツをすることはなかったという。だが、スポーツへの気持ちはずっと消えることはなかった。
そこで高校入学を機に、またスポーツをしようと考えていた。すると、高校で出会ったのが、車いすバスケットボールをしているという事務職員だった。
「その方の誘いで、地元で活動しているクラブチームの練習に行ったんです。もちろん車いすバスケ自体は知ってはいましたが、ほとんどやったことがありませんでした。実際やってみたら、僕より一回りも二回りも年輩の方たちのスピードについていけず、ボールも全然コントロールできなくて……」
球技が得意だった山崎にとって、初めて経験する難しさが車いすバスケにはあった。だが、やはり体を動かすことは楽しくて仕方なかった。そして汗をかくことが、心地よかった。山崎は迷わず、チームに加入することを決めた。
初めてジュニアの強化・育成選手の合宿に呼ばれたのは、高校3年の時。そこには、その年のリオパラリンピックに高校生で出場し、すでにA代表の主力ともなっていた鳥海連志(パラ神奈川)がいた。もちろん、彼のことは知っていたし、同世代の中で群を抜くスピードとクイックネスを持つ選手だということもわかっていた。だが、鳥海の能力の高さは、想像をはるかに超えていた。
「練習前のアップで、鬼ごっこみたいなことをしたんです。その時、彼には一度も触れることができませんでした。こんなにすごい選手が、同世代でいるんだなとビックリしました」
所属するクラブチームでは、同世代が一人もいない山崎にとって、ジュニアの合宿は貴重な場。参加するたびに刺激を受け、自身のモチベーションにもなっている。
地元から狙う日本代表入りの意味
山崎はこれまでに一度だけ、男子U23日本代表として国際大会のメンバーに選ばれたことがある。2017年5月、ドバイで行われた「ファザ国際車いすバスケットボールトーナメント」だ。ベンチを温めることが多かったが、最後の3位決定戦では出場機会を得て、プレーすることができた。積極的に得点を狙ったが、相手の厳しいマークにあう中、シュートを入れることができず、国際大会の厳しさを肌で知った。
しかし、得たものも大きかった。特に学んだのは、声を出すことの重要性だ。先輩たちから「声を出していこう!」という助言を受け、日に日にベンチから大きな声を出すようになっていった。さらに、実際に自分がコートでプレーをしていて、ベンチからの声に背中を押されたこともあった。
「味方のシュートが外れて、相手が速攻にきたんです。それを止められなくて抜かれた時に、ベンチから『諦めるな!』という声が聞こえてきたんです。それですぐに切り替えて、追いかけていったら、相手がレイアップを外して、僕がリバウンドを取り、攻撃につなげることができました。あの時、一瞬でも止められなかったことに落胆していたら、相手にリバウンドを取られて、失点していたかもしれません。ベンチの声に助けられました」
今後の目標は、A代表に入ること。だが、山崎にはそれ以上に力を入れていきたいことがある。地元の秋田や、東北地区における車いすバスケを盛り上げていくことだ。
「一カ所にかたまらず、全国津々浦々にトップ選手がいれば、全国的に車いすバスケが盛り上がるんじゃないかなって思うんです。だから秋田にいる僕が代表に入ることだったり、体験会などを通して、車いすバスケの魅力を、もっと広く伝えていきたいと思っています」
現在、秋田大学4年生の山崎。これからも地元を拠点に、車いすバスケ人生を歩んでいくつもりだ。
(Vol.7では、山崎選手が注目している選手をご紹介します!)