インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。
文=斎藤寿子
Vol.14に登場した山下修司(長崎サンライズ)とは同世代で、ともにブロック選抜ではチームメイトの赤窄大夢(あかさこひろむ/ライジング福岡)。山下と同様に赤窄も、2022年に千葉県で開催が予定されている男子U23世界選手権の出場を目指している。今年で車いすバスケットボール歴8年目、14歳の時から男子U23育成選手として将来を有望視されてきた赤窄にインタビューした。
成長を促した敗戦から1年後の雪辱
子どもの頃からスポーツが得意で、野球やサッカーを楽しんでいた赤窄。そんな彼が突然、病魔に襲われたのは小学2年の時。本格的に野球チームに所属しようとしていた頃だった。
「その日、普通に小学校に行ったのですが、途中で足に違和感があって少し変だなと思っていたんです。そしたらみるみるうちに足の感覚がなくなって、帰る頃には足が動かなくなっていました。翌日には胸から下が動かず、ベッドからも起き上がれませんでした」
診断の結果は「急性横断性脊髄炎」。すぐに入院をして治療を行い、退院後には約1年半、リハビリ生活を送った。当初は医師から「寝たきりの状態、あるいは電動車いすでの生活となる可能性が高い」と言われていたが、きついリハビリにも耐え、自分で車いすを漕いで移動できるほどに回復した。
とはいえ、大好きだったスポーツをすることはできないと諦めていた。
そんな赤窄に、リハビリの先生から紹介してもらったのが車いすバスケだった。だが、一度練習を見学に訪れたものの、「今の体の状態では、とてもついていけない」と断念。代わりに重い障がいがある人向けにつくられた日本発祥のスポーツ「ツインバスケ」のチームに入り、そこで自信をつけ、ゆくゆくは車いすバスケに挑戦したいと考えていた。
高学年になる頃には体の状態はさらに良くなり、中学入学後に地元の車いすバスケチームに正式加入した。最初は「一番遅くて、何もできなかった」が、それでも念願の車いすバスケをやれることが楽しくて仕方なかった。
しかし、しばらくすると楽しさだけでなく、上達したいという気持ちが強くなっていった。きっかけは、加入した年の暮れに初めて出場した公式戦で味わった悔しさだった。当時は九州ブロック予選の上位2チームが、日本選手権に出場することができた。そのブロック予選の準決勝で、所属する福岡ライジングは敗れ、あと一歩のところで全国の舞台への切符を逃した。
「敗因は、完全に僕でした。当時、チームには持ち点が2点台の選手が少なくて、始めたばかりの僕を出さざるを得ない状況でした。当然、相手は何もできない僕のところを狙ってきました。ミスマッチで簡単にシュートを狙われたり、僕のミスで失点したり……。狙われているのはわかってはいましたが、その時の僕にはどうすることもできませんでした。それが悔しくて悔しくて……」
その敗戦を機に、赤窄はより練習に打ち込んだ。特に磨いたのは、ディフェンスだった。チームには好シューターの先輩たちがいる。だからオフェンスでは負けてはいなかった。自分がディフェンスで穴にならなければ勝てる、と考えたからだった。チーム練習だけでなく、個人でも体育館を借りて徹底的に走り込み、チェアスキルを磨いた。
そして1年後の九州ブロック予選の準決勝、再び同一カードとなった試合で、今度は2ケタ差をつけて勝利。しっかりと雪辱を果たした。
「自分の成長もあったけれど、チーム自体がその1年前の敗戦で変わりました。練習や試合後に、それまで以上にしっかりとミーティングを行って、みんなの意識を高めていくようになっていたんです。時には3時間以上も話し込んだりしたこともありました。自分自身に対してもでしたが、チームも意識一つでここまで変わるんだなって、すごく貴重な経験でした」
チームを左右するミドルポインターの存在
一方、赤窄が初めて男子U23育成選手として強化合宿に呼ばれたのは、2014年、中学3年の時だった。翌15年には、男子U23日本代表として臨んだドバイ遠征のメンバーに抜擢された。しかし、そこで自分の立ち位置がはっきりと示された。予選では試合に出してもらっていたが、メダル争いとなった準決勝、決勝ではプレータイムはゼロだった。
「もちろん自分のレベルはまだまだと分かっていましたので、当然の結果でしたし、大事な試合では使われないことはなんとなく予想はしていました。でも実際にそうなった時に、やっぱり悔しかった。痛感したのは、自分自身にはアピールできるような強みがないということ。ライジング福岡ではチームに貢献できるようにはなってはいましたが、自分なりの強みがなければ、全国の舞台でも勝てないし、代表としてもメダル争いするような大事なゲームでは使ってもらえないんだなと」
まだ強みという強みはつかみきれていない。ただ、以前よりも意識が強くなったのは、オフェンスでの貢献だ。これまではディフェンス面を強化してきたが、現在はアウトサイドシュートや、ボールハンドリングの技術を磨くことにも注力している。そこには、持ち点2.5としてのプライドがある。
「2.5はちょうど真ん中のクラスで、ハイポインターほどのスピードはないけれど、ローポインターの中では動くことができます。そんな2.5の僕が、どんなプレーをするかで、チーム力に差が出るんだろうなって思うんです。全国のチームを見ていても、ミドルポインターがカギを握っていたりするんです。ハイポインターをアシストするローポインターの役割もするし、ハイポインターのように得点力もある。そんな選手になりたいと思っています」
車いすバスケを始めて8年。少しずつレベルアップしてきたという自負とともに、まだここからという伸びしろも感じている。今後も、自分自身を見失うことなく、一つ一つの積み重ねを大事にしながら、高みを目指していくつもりだ。
(Vol.16では、赤窄選手がオススメの選手をご紹介します!)