Bリーグ公認応援番組
『B MY HERO!』
インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。
文・写真=斎藤寿子
Vol.11で登場した女子日本代表の初代メンバー塚本京子(ELFIN)が「成長が楽しみで仕方ない」と語るのが、チーム最年少24歳の石川優衣(ELFIN)だ。車いすバスケットボール歴は6年だが、昨年は女子U25世界選手権のメンバー入りを果たした。初めての世界の舞台は、彼女に何をもたらしたのか。期待される若手の一人、石川にインタビューした。
高校時代、健常のバスケットボール部に憧れを抱き、いつしか「自分もやってみたい」と思ったという石川。その気持ちを知った体育の先生から紹介してもらったのが、車いすバスケットボールだった。大学入学後、意を決して地元の女子チーム「ELFIN」の練習を見学に行き、その日のうちに加入を決めた。
しかし、実際にやってみると、最初は面白さよりもとまどいの方が大きかった――。
石川が車いすで生活をするようになったのは、中学1年の時。体育の授業中に突然、体に激しい痛みが走り、病院に運ばれた。診察の結果は、脊髄炎。その日から歩くことができなくなった。入院中は、特別支援学校に通いながら治療やリハビリを行っていた。その時、周囲には自分よりも重い障がいの生徒がたくさんいた。そのため、自分の障がいは軽い方だという認識があった。
ところが、車いすバスケでは石川の持ち点は最も障がいが重い1点台。“ハイポインター”と呼ばれる選手たちの動きがまったくできない自分に、ショックを受けた。
「初めてバスケ車に乗った時は、日常用の車いすよりも軽くてスピードが速く、それまでになかった風を切る感覚がすごく気持ちが良くて、“楽しいな”と思ったんです。でもいざやってみると、ハイポインターの人たちと比べて、自分はスピードも遅いし、なかなか上達しなくて……。正直、やめようかなと悩むこともありました」
それでも続けていくうちに、気持ちは変わっていった。
「最初はハイポインターが得点を決めるシーンばかりに目がいっていたのですが、その得点はローポインターが相手にピックをかけたりして作りだしていることがわかり始めたんです。そしたら、同じ持ち点の先輩たちのプレーがかっこいいなって思うようになって。自分もそんな“縁の下の力持ち”的なプレーができるようになりたい、と練習にやりがいを感じるようになりました」
一方、昨年1月、女子U25日本代表候補としてオーストラリア遠征に行った際、石川はこう語っていた。
「今後も、車いすバスケを続けたいと思っています。ただ、“趣味”の範囲でとどめるか、それとも“競技”として挑戦していくかについては、まだわかりません」
石川の気持ちに変化が訪れたのは、その半年後のことだった。
昨年5月、石川は女子U25世界選手権に出場した。女子U25日本代表は、石川を含めて国際大会の未経験者が大半を占めていた。しかし、全員がお互いを信頼し合い、ともに刺激し合いながら成長し続けていくなかで生み出されたチームワークを強みに、初のメダルまであと一歩に迫る4強入りを果たした。石川もプレータイムこそ多くはなかったが、副キャプテンとしてチームを献身的に支え、仲間たちと一緒に戦い続けた。その結果、気持ちにある変化が生まれていた。
「選考合宿の時から、同世代のみんなが上手くて、ついていけない自分に引けめを感じていました。だから試合でもプレーで貢献できない分、やれることでチームをバックアップしようと思っていました。でも、コート上で必死で戦うチームメイトを見ていて、“やっぱり自分もプレーで貢献できるような選手になりたい!”と思うようになりました」
帰国後、石川は練習回数を増やした。少しでも練習機会を得られるようにと、男子チームの練習にも参加するようになり、今年4月には正式に加入した。
そんな中、自分の成長が感じることができたのは、今年1月の皇后杯だった。経験豊富な先輩たちが揃うELFINで、これまで石川はベンチを温めることが多かった。しかし、今年は初戦から全試合でスターティングメンバーに抜擢。本人は「先輩たちが、私に経験を積ませようとしてくれたのだと思います」と謙遜するが、それでも40分フル出場した試合もあり、スタミナに大きな自信を得た。さらに、ピックやシールといったローポインターならではのプレーにおいても初めて手応えを感じた。
今後は、さらにレベルアップをしたいと考えている。とはいえ、今の自分に「パラリンピック」はあまりにも遠い世界。「いつかは出てみたい」という気持ちはあるが、目標にするには時期尚早と考えている。
現在の目標は、皇后杯で優勝することだ。これは、車いすバスケを始めた当初からの夢でもある。
「私が初めて経験した女子選手権(18年より皇后杯を下賜)、初戦は現役の代表選手もいる強豪のSCRATCHとの対戦でした。大接戦で同点のなか、残り数秒でうちのチームのシュートが入って劇的勝利をおさめたんです。私はベンチで見ていただけだったのですが、先輩たちのかっこよさに感動して涙が止まりませんでした。最終的にチームは3位で、決勝に行くことはできなかったのですが、“あぁ、この舞台で優勝したい!”と思いました。先輩たちの力をお借りしながら、私自身が代表選手が揃うチームに負けないくらいにレベルアップして、優勝するのが今の私の目標です」
それが現実となった時、また新たなトビラが開かれるに違いない。まずは自分らしく目の前の階段を一つ一つ上っていくつもりだ。