インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。
文=斎藤寿子
2019年の女子U25世界選手権に東北ブロックから2人の選手が出場した。Vol.20で登場した畠山萌(AOMORI JOPS)と碓井琴音(SCRATCH/札幌ノースウィンド)だ。畠山にとって4歳上の碓井の存在は大きく、同じハイポインターとして尊敬し、頼れる先輩でもある。もともと健常のバスケットボール選手だった碓井はバスケ一筋。車いすバスケに転向してからは、将来を有望視された若手の一人として注目されてきた。今年4月には新社会人となり、人生の門出を目前に控えた碓井にインタビューした。
目から鱗だった車いすバスケの魅力
小学1年の時に始めたミニバスケットボールでは、指導してくれた先生が常に「なぜこのプレーをするのか」その理由を説明してくれたという。だからこそ身についた「考えるバスケ」は今も碓井のプレースタイルの礎となっている。
中学ではバスケ部に所属し、フォワードとして活躍。もちろん高校でも続けるつもりでいた。ところが中学2年の終わりに突然病魔が襲った。骨肉腫だった。右脚のひざ下を切断する手術をした碓井は、バスケ部への復帰を断念。それでもバスケに関わりたいと、高校ではマネジャーとしてバスケ部に所属した。
車いすバスケを始めたのは、高校3年の夏だった。実はミニバス時代に同じ会場で車いすバスケの試合が行われていたため、小学生の時から存在自体は知っていた。特に興味を抱くことはなかったが、高校最後の大会を終えて、ふと思い立ったのがきっかけだった。地元のクラブチームの練習を初めて見学に訪れた時のことは、今も鮮明に覚えている。
「40代や50代の大人が本当に楽しそうにバスケをしていたんです。聞けば競技歴は10年以上の人ばかり。それでもこんなに楽しめているなんて、すごくいいなって思ったんです。それと初めてバスケ車に乗って走った時に、“今の私にも、こんなに風を切る心地よさを感じられる手段があったんだ”という発見も大きかった。その場で車いすバスケをやろうと決めました」
大学2年からは毎年、日本代表の候補合宿にも呼ばれるようになった。しかし、当時は代表やパラリンピックを目指すほどの自信が持てなかった。転機となったのは、19年の女子U25世界選手権。同世代ばかりのメンバーで後輩もいるなか、代表候補の合宿にも参加している選手の一人として、碓井はチームを牽引する方の立場に置かれた。プレッシャーもあったが、そのおかげで自覚が芽生えた。
「A代表の合宿では試合をしても自分のほかにもう一人、先輩のハイポインターがいてくれて、おんぶに抱っこ状態でした。でも、U25ではそうはいきません。試合に出させてもらうことも多く、コートに出ている者としての責任があると感じるようになりました」
目指すは最後の一本を託される存在
U25世界選手権では惜しくもメダルには届かなかったが、同カテゴリーでは史上最高の4強入りを果たした。最も強く印象に残っているのは準々決勝のドイツ戦。チェアスキルやスピードなど実力では日本の方が上回っていたが、シュートがリングに嫌われ、第4クォーター残り4分までビハインドを負った苦しい展開となった一戦だ。
「自分もシュートが入らなくて、ハイポインターとしての役割が果たせていないと感じていました。でも合宿の時から山﨑沢香コーチに“シューターなら、どんな時も打つのをやめてはいけない”と言われてきたことを思い出し、強い気持ちでプレーし続けました。そしたら最後の第4クォーターに立て続けに決めることができたんです」
第4クォーターの中盤、碓井はインサイドから2本のシュートを決めて追い上げると、その後日本は逆転。碓井は終盤にもミドルシュートを決めて貴重な追加点を奪った。その結果、日本は42―37で競り勝ち、メダルゲームへと進出した。
「ベンチの選手も含めて、全員で成し遂げた勝利。自分たちのバスケを信じてやり続ければ、結果につながるんだということを学んだ試合でした」
次の目標は、A代表のメンバー入りを果たし、世界選手権やパラリンピックに出場することだ。そして碓井には理想とする選手像がある。現在女子日本代表のキャプテンであり、所属するSCRATCHの先輩でもある藤井郁美だ。
「郁美さんは、最後の一本を託される選手。しかもそこで決め切れる実力があります。私もそんなふうに信頼を寄せてもらえる、そしてその信頼に応えられる選手になることが究極の目標です」
今年大学を卒業し、4月からは新社会人となる碓井。練習環境がより整った関東の会社への就職も考えたが、地元の北海道に残る決断をした。理由の一つは、道民としての誇りだ。
「北海道で車いすバスケの日本代表を目指すのは難しいと言われることもありますが、それを打ち破って北海道でもやれるということを証明したいんです。そして後輩たちがより良い環境で目指せるようにしたい。また、いつかは道内に女子のクラブチームをつくりたいと思っています」
最近、碓井と同じ札幌ノースウィンドで車いすバスケを始めた小学2年生の女子児童から<いつか女子のチームを作ろうね>というメッセージをもらったという。さらに道内のほかのチームに加入した同年齢の選手からは「大会でプレーを見てかっこいいと思い、自分もやりたいと思いました」と言われた。うれしさとともに、気持ちが引き締められた。
北海道の車いすバスケ、特に女子を盛り上げるためにも、今後さまざまなことに挑戦し続けていくつもりだ。
(Vol.22では、碓井選手がおススメの選手をご紹介します!)