2021.01.25

【車いすバスケリレーインタビュー 女子Vol.17】藤井郁美「Wリーグ皇后杯の決勝で再確認したスポーツの力」

車いすバスケ女子日本代表の“キャプテン&エース”の藤井郁美[写真]=斎藤寿子
フリーライター

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文=斎藤寿子

 国内随一のシュート力を持つ藤井郁美(宮城MAX/SCRATCH)。初出場ながら主力として4位入賞に貢献した2008年北京パラリンピックから日本のエースとして海外勢と渡り合ってきた。現在、車いすバスケットボール女子日本代表のキャプテンを務める藤井は、面倒見が良く、後輩からも慕われている。Vol.16に登場した鈴木百萌子(Brilliant Cats)もその一人。鈴木がまだバスケ歴が浅い時から、いつもとことん練習に付き合ってくれたのだという。今年の東京パラリンピックを「バスケ人生の集大成」として迎える藤井にインタビューした。

車いすバスケのカッコよさを教えてくれた唯一無二の存在

 父親は陸上で国体に出場し、7歳下の妹も同じく陸上でインカレに出場した経歴を持つ。2つ上の兄はバスケットボール、サッカーと球技を得意としていたといい、藤井も幼少時代からスポーツには自信があった。

 小学校でミニバスケットボールを始め、中学校ではバスケ部に所属。ポジションはガードで、現在親交のある大神雄子に憧れていた。3年時にはキャプテンを務め、神奈川県でベスト4に進出。いくつか県内の高校からスカウトもされていた藤井は、将来は実業団のチームに入りたいと考えていた。

 ところが、中学を卒業する直前に骨肉腫が見つかり、入院を余儀なくされた。退院後、1年遅れで高校に進学したが、走ることはできなくなり、バスケで生きる道を閉ざされた。友人からの誘いで高校3年間は女子バスケ部のマネジャーを務め、たくさんの思い出ができた。それでも、やはりプレーヤーとしてコートに立てなくなったことへの葛藤がずっとあった。

 そんな藤井が20歳の時に出合ったのが、車いすバスケだ。最初は楽しいというよりも、負けず嫌いという側面のほうが強かったという。元バスケ部の自分にできないことが多くあることが悔しかったのだ。

 始めて3年後には日本代表に選出されるようになり、05年のアジアオセアニアチャンピオンシップスで国際デビューを果たした。しかし、当時はまだ車いすバスケに夢中になるほどには至っていなかった。気持ちのどこかで「自分はランニングバスケの選手だった」というプライドを捨てきれず、車いすバスケ選手という自分を受け入れることができていなかったのだという。

 ところが、翌06年に初めて出場した世界選手権で、車いすバスケへの見方が一変した。もちろん、世界のレベルの高さを目の当たりにしたこともあった。だが、何より藤井の心を動かしたのは、女子アメリカ代表のジェニファー・ハウイットだった。その2年前のアテネパラリンピックで金メダルに輝いたチームのスタメンでもあったハウイットのプレーは圧巻だった。

「当時、女子で3Pを打てる選手は海外でもごく稀でした。その時代に、ジェニファー選手はバンバン3Pを打っていて、しかも高確率に決めていたんです。フォームもきれいで、見とれてしまいました。車いすバスケがどんなにかっこいいスポーツかってことを、彼女が教えてくれたんです」

 決してミーハーではない藤井が、思わず「一緒に写真を撮ってください」と言ったというのだから、よっぽどだったのだろう。そんなことは、後にも先にもその時一度限り。藤井にとって、今もハウイット以上のスター選手はいない。

初めての“世界一決定戦”が藤井を本気にさせた[写真]=斎藤寿子

延期のショックから再びスイッチを入れてくれた夫の言葉

 藤井がキャプテンを務める女子日本代表は、シドニーパラリンピック以来5大会ぶりのメダル獲得を目指している。藤井自身にとって北京以来2度目のパラリンピックの舞台は、「バスケ人生の集大成」。その後のことは、考えていない。東京にすべてをかける決意で、満身創痍の体にむちをうってトレーニングに励んできた。

 そんな藤井にとって、昨年突然ふりかかってきた「1年延期」はショックが大きかった。

「正直なところ『終わった』と思いました。肩のケガをだましだまし、精一杯のハードワークを課してきて、心身ともにギリギリのところでやっていました。なので、『こんな過酷なことを、あと1年も長くやるなんてとても無理』と心が折れかけたんです」

 気持ちを切り替えることができたのは、元車いすバスケ男子日本代表選手で、現在は男子U23日本代表のアシスタントコーチ(AC)を務める夫の藤井新悟からの、こんな言葉だった。

「辛いのは分かる。苦しいのも分かる。でも、今までこれだけ頑張ってきて、しかもせっかく東京の舞台に立つチャンスがあるのに、それを自分から投げだしてしまうのはあまりにももったいないじゃないか」

 その言葉が、再び藤井の気持ちにスイッチを入れた。

 さらに最近では、Wリーグのチームが出場した皇后杯やウインターカップの試合を見て、モチベーションが高まったという藤井。特に皇后杯のENEOSサンフラワーズと、トヨタ自動車アンテロープスとの決勝は、熱い気持ちがこみ上げ、奮い立ったという。

「昔から憧れの存在で、対談を機に今では仲良くさせてもらっている大神さんがACを務めるトヨタを応援していたはずなのに、渡嘉敷来夢選手など主軸をケガで欠きながらも頑張っているENEOSにも感動して……本当に素晴らしい試合でした。やっぱりスポーツは人にこんなにも力を与えてくれるものなんだということを改めて教えてもらいました」

 東京パラリンピックでは、藤井自身が見ている人に“生きるパワー”を与えられるプレーをするつもりだ。そのために、今は前を向き、チームの先頭に立って歩んでいく覚悟だ。

東京パラリンピックでは見ている人が元気になれるようなプレーを披露する[写真]=斎藤寿子

(Vol.18では、藤井選手がおススメの選手をご紹介します!)

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