カリーやトンプソンにも見劣りしない精度で長距離砲を沈めたレジェンド
現在、3ポイントシュート成功数において、NBA歴代最多記録を保持しているのがレイ・アレン(元シアトル・スーパーソニックスほか)である。
1996年ドラフト1巡目5位でミネソタ・ティンバーウルブズに指名され、ドラフト当日のトレードでミルウォーキー・バックスへと移籍したアレンは、96-97シーズンから2013-14シーズンまでの18シーズンをプレーし、2,973本もの3ポイントシュートを沈めてきた。
3ポイントシュートを多用する現代、1シーズンにおける試投数や成功数の記録にはステフィン・カリーやクレイ・トンプソン(共にゴールデンステート・ウォリアーズ)、ジェームズ・ハーデン(ヒューストン・ロケッツ)、デイミアン・リラード(ポートランド・トレイルブレイザーズ)といったリーグ有数の使い手たちの名前ばかりが並ぶものの、アレンは1シーズンにおける3ポイントの成功数で3度もトップに立っており、05-06シーズンには269本も決めていた。このシーズンに残したアレンの平均成功数(3.4本)は、現代の使い手たちと比較しても決して見劣りしない好成績だった。
今回は、9月1日(現地時間8月31日)に『NBA.com』へ掲載されたインタビューで、アレンがキャリア初期について振り返っていたので紹介したい。
「ジョージ・カールHCが(バックスに)来てから、僕らは速くプレーするようになった。だから良いショットを放てる場面では、常にショットを放つようにしていたんだ」。
98-99シーズンからバックスの指揮官に就任したカールHCは、積極的にショットを放つシステムへと変更。99年3月にトレードで獲得したサム・キャセール、グレン・ロビンソン(共に元バックスほか)、そしてアレンによる3本柱を軸とするオフェンス中心のチームを構築し、プレーオフ出場を果たしてきた。
カールHC加入から2シーズン目となった99-00シーズン以降、アレンの3ポイント成功数は平均2.1本以上を記録しており、平均得点も初の20を突破。アレンは美しいシュートフォームから、鮮やかな長距離砲を何本も繰り出してきたのである。
ビッグマン全盛の時代にシューターとして存在感を放ったアレン
しかし、キャリア序盤はあまり3ポイントを多用していなかったとアレンが明かしていた。
「キャリア序盤の頃は、何人ものコーチが僕にこう言ってきた。もし3ポイントを放とうものなら『君には決める必要がない。すでに(ショットを)決めているじゃないか』って感じだね」。
アレンといえば、歴代屈指のシューターというイメージがあるのだが、高い身体能力も兼備していたため、特にキャリア初期は鋭いドライブからリング下でアクロバティックなプレーを連発し、豪快なダンクをたたき込むことも多かった。
90年代中盤のNBAでは、3ポイントが多用されておらず、ビッグマンへボールを集めてリング下という最も確率の高いエリアから得点を重ねるパターンが主流だったこともあり、アレンもあまり好んで放とうとはしなかったという。アレンはこう続ける。
「僕はゲームの中でビッグマンたちを見るのが好きだった。彼らがポストでプレーし、インサイドアウトするゲームがね。もちろん、優秀なシューターたちがいることもすばらしいことだったけれど、低い成功率に沈んでしまう彼らを見たくはなかったんだ」。
90年代中盤から00年代序盤といえば、アキーム・オラジュワン(元ヒューストン・ロケッツほか)やシャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)、パトリック・ユーイング(元ニューヨーク・ニックスほか)、ティム・ダンカンとデイビッド・ロビンソン(共に元サンアントニオ・スパーズ)といったセンターたちがリーグを支配していた時期だった。
事実、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)率いるブルズが3連覇した96年から98年を除くと、いずれもリーグ屈指のビッグマンを擁するチームが優勝していた。
もし、クイックリリースから正確無比なショットを放っていたアレンが現在プレーしていれば、カリーやトンプソン級の3ポイントシューターとなっていたに違いない。
ちなみに、今年のネイスミス・バスケットボール・ホール・オブ・フェイム(以下、殿堂)のメンバーに入ったアレンは、今月8日(同7日)にマサチューセッツ州スプリングフィールドにあるシンフォニー・ホールでその式典に出席することとなる。
プレゼンターには、アレンが塗り替えるまで歴代最多3ポイント成功数の記録を保持していたレジー・ミラー(元インディアナ・ペイサーズ/2,560本)が選ばれており、当日は両者による3ポイントに対する思いやこだわりが明かされるかもしれない。