欧州で成功を収める中、妻との会話の末に決断した“NBA復帰”と本人が明かす
NBAでキャリア8シーズン目をプレーするPJ・タッカーは、ヒューストン・ロケッツに欠かせない選手となっている。
今季は1月19日(現地時間18日)終了時点で44試合すべてに先発出場。平均35.3分8.2得点6.2リバウンド1.3アシスト1.3スティールを記録、3ポイント成功数は平均1.9本、成功率も39.1パーセントと上々の数字だ。
198センチ111キロと筋骨隆々な肉体を持つタッカーは、身体能力にたけているわけではないものの、3ポイントと粘着気質でタフなディフェンスを武器に“3&D”タイプの選手として活躍を続けている。
タッカーは昨年7月にロケッツと4年3,200万ドル(現在のレートで約34億8,800万円)の高額契約を結んだものの、それまでのキャリアを一言で表すならば、“苦労人”という言葉が的を射ているだろう。
テキサス大オースティン校で3シーズンプレーし、2006年のNBAドラフトにアーリーエントリー。2巡目全体35位でトロント・ラプターズから指名されたものの、ルーキーシーズン(06-07)はNBAとGリーグを行き来し、ラプターズではわずか17試合のみの出場。平均4.9分1.8得点1.4リバウンドの成績にとどまり、07年3月25日(同24日)にラプターズから解雇されてしまう。
そこでタッカーは、活動拠点をヨーロッパ方面へと移し、イスラエルやウクライナ、ギリシャ、イタリア、ドイツのリーグでプレー。
1月20日(同19日)に現地メディア『The Los Angeles Times』へ掲載された記事の中で、タッカーは当時についてこう振り返っている。
「NBAに復帰することは考えてなかったね。当時の僕はまったく興味がなかったんだ。(ヨーロッパで)僕は成功していたから。当時のヨーロッパで、僕はベストプレーヤーの1人としての地位を確立していたんだ。数百万ドルの契約も手にしていたしね」。
とはいえ、ヨーロッパで活躍を続けるかつてのドラフト2巡目指名選手タッカーへ、複数のNBAチームが関心を持っていた。するとタッカーは12年8月にフェニックス・サンズと契約してNBA復帰。当時何度も妻と会話を持ち、ヨーロッパを離れることを決意したという。タッカーはこう続けた。
「NBA復帰。それこそ僕がこれまで下してきた中でもベストな決断の一つになったのさ」。
その後タッカーはサンズで約4シーズン半をプレー。16-17シーズン途中にラプターズへ移籍するも、17年夏にロケッツと契約を結んだ。昨季後半から先発パワーフォワードへ起用されるとロケッツ躍進を後押しし、リーグトップの65勝を挙げる大きな要因の1つとなった。
33歳ながら、タッカーは今季も攻防両面でエネルギッシュなプレーを見せており、ジェームズ・ハーデンやクリス・ポール、クリント・カペラといった主軸たちと絶妙なケミストリーを奏でている。今後もロケッツの勝利に貢献すべく、タッカーは毎試合ハードにプレーしていくことだろう。
ロケッツでここまでの地位を確立したことで、タッカーのNBA復帰という決断は人生の中でベストな決断になったと言っていいはずだ。