「人々が俺たちのことを嫌うようにしていきたい」と意気込むバトラー
ハードワークが身上のジミー・バトラーは今夏、フィラデルフィア・セブンティシクサーズから4チームが絡んだトレードでマイアミ・ヒートへと移籍した。
マーケット大学出身のバトラーは、2011年のドラフト1巡目30位でシカゴ・ブルズに指名されてNBAデビュー。キャリア初期はタフなディフェンダーとして活躍し、キャリアを追うごとにオフェンス面でも平均20得点以上をたたき出すリーグ有数のスコアラーへと成長。
昨季はミネソタ・ティンバーウルブズとシクサーズでプレーし、平均33.6分18.7得点5.3リバウンド4.0アシスト1.9スティールをマーク。第4クォーターではボールハンドラーとしてシクサーズのコンダクターを務め、数多くのクラッチショットを沈めてきた。
9月14日に30歳を迎えたバトラーは、昨季までの8シーズンで4度のオールスター選出を筆頭に、4度のオールディフェンシブチーム、2度のオールNBAチームに選ばれたほか、15年にはMIP(最優秀躍進選手賞)にも輝いた実績を誇る。
キャリア4チーム目となったヒートには、ゴラン・ドラギッチやジャスティス・ウィンズロウ、バム・アデバヨらが在籍しているのだが、バトラーにはヒートの大黒柱として攻防両面で大暴れすることが期待されている。
9月29日(現地時間28日)に公開された『Five Reasons Sports Network』では、ヒートのバスケットボール運営部門代表、パット・ライリーが「彼はリーグでトップ10に入る選手」とバトラーを高評価。そのバトラーも、「俺は人々が俺たちのことを嫌うようにしたい。皆がマイアミ・ヒートのことを嫌がるようにしていきたい」と意気込んでいた。
「俺の人生の中に、このチームのカルチャーが必要だと思った」と明かす
そんなバトラーにとって、ヒート移籍を決断した理由とは何だったのだろうか。地元メディア『Miami Herald』によると、そこにはバトラーと同じマーケット大学の先輩で、ヒートのフランチャイズプレーヤーとして昨季まで君臨していたドウェイン・ウェイド(元ヒートほか)の影響があったという。
同メディアのバリー・ジャクソン記者は、バトラーが「この組織のカルチャーについて、俺はずっと聞いていた。勝ち続ける方法についてもね。この組織の一部になりたがらないヤツなんているかい? このカルチャーについて聞いているうちに、俺の人生にはそれが必要だと思ったということ」と語っていたと報道。
そしてウェイドからのアドバイスについて「No.3(ウェイドの背番号)は『このカルチャーは君にフィットする』って感じで言ってくれたんだ」とバトラーが明かしていたという
また、バトラー擁するシクサーズは、ウェイドの“ラストホームゲーム”となった4月10日(同9日)に対戦しており、試合後に「ファンが彼に対して、愛情たっぷりに抱きしめていたんだ。あれを見て、俺も(マイアミで)こういう選手になりたいと思ったんだ」と告白。
昨季終了後にNBAを引退したウェイドは、ヒートがこれまでに成し遂げてきた3度の優勝(06、12、13年)すべてにおいて主力として貢献しており、数々のフランチャイズ記録を保持している。
今後、バトラーを軸にヒートが通算4度目の優勝を手にすることができれば、ウェイドに次ぐフランチャイズプレーヤーとして認知される可能性は十分あるのではないだろうか。