国外追放から一転、「自分は間違っていたんだと分かったよ」とラウリー
昨季フランチャイズ史上初の優勝を成し遂げたトロント・ラプターズにおいて、カイル・ラウリーは自他ともに認めるリーダーとして献身的な働きを見せた。
もっとも、2006年のドラフト1巡目24位でメンフィス・グリズリーズから指名されたラウリーは、キャリア初期にグリズリーズとヒューストン・ロケッツでプレーしてきたものの、決してリーグを代表するポイントガードではなかった。
2012年7月12日(現地時間11日)。ラウリーはトレードでロケッツからラプターズへ移籍。交換相手はギャリー・フォーブズ(元デンバー・ナゲッツほか)と13年のドラフト1巡目指名権(後にオクラホマシティ・サンダーのスティーブン・アダムズとなる)だったことからも、ラウリーの当時の実力を垣間見ることができる。
現地時間10月22日にラウリー自身が『The Players’ Tribune』へ寄稿した記事の中で、こう振り返っている。
「トロントへトレードされた時、僕はまるで国外追放されたんだと感じた。当時の僕は、トロントについて何も知らなかったし、知る必要もないと思ってた。このトレードは、この先どこかでプレーする機会を手にするための休憩場所になるだろうと思ってたんだ」。
ところが、ラウリーは12-13シーズン途中にラプターズの先発ポイントガードへ定着。同シーズンに平均29.7分11.6得点4.7リバウンド6.4アシスト1.4スティールを残すと、翌13-14シーズンからはデマー・デローザン(現サンアントニオ・スパーズ)と共にラプターズの看板選手となり、プレーオフの常連チームの司令塔へと成長。
14-15シーズンから昨季まで、5年連続でオールスターに選出される選手へと進化を遂げたラウリーは、16年にオールNBAサードチームにも選ばれるなど、リーグ有数のポイントガードとしての地位を確立。アグレッシブなプレーと屈強な肉体を活かした献身的なプレーで、ラプターズのリーダーとして現在指揮官を務めるニック・ナースHC(ヘッドコーチ)からも絶大な信頼を得る選手となった。
これまでのキャリアの中で、ラウリーは「小さすぎる」「サイズが足りないシューティングガード」「クイックネスがない」などといった批判を浴びてきた。それでも、チームが勝利するために自身にできることを模索してきたのである。
トロントへ初めて降り立ったラウリーは、すぐさまこれまでの印象をぬぐい去ったという。
「初めてここに来て、自分は間違っていたんだと分かったよ。ここは休憩場所なんかじゃないってね。トロントはすばらしい街であり、最高のファンベースがあった。彼らが本当に必要としていたのは勝者だったんだ」。
ラウリーは今年7月中旬に左手親指の手術を受けたため、今月上旬に行われたジャパンゲームズを2戦とも欠場。その後も順調にコンディションを整えており、16日(同15日)にフルコンタクトありの練習へ参加。
その後ラウリーは19日(同18日)に行われたブルックリン・ネッツとのプレシーズン最終戦に先発出場。約26分プレーして9得点2リバウンド5アシスト1スティールをマークし、勝利に貢献している。
ディフェンディング・チャンピオンとして迎える23日(同22日)のレギュラーシーズン開幕戦(対ニューオーリンズ・ペリカンズ)でも、“勝者”となったラウリーはコートに立ち、ラプターズを勝利へと導くべく、献身的なプレーを見せてくれると期待したい。