通算3ポイント成功率で歴代1位に君臨するピュアシューター
97年のファイナル第6戦終盤にはジョーダンのパスから優勝決定弾を沈める
5月29日(現地時間28日)。ゴールデンステイト・ウォリアーズのスティーブ・カーHC(ヘッドコーチ)が『NBC Sports』とのインタビューに応じた。
カーは現役時代に15シーズンプレーし、通算910試合(うち先発は30試合)に出場。ロールプレーヤーとしてキャリア平均17.8分6.0得点1.2リバウンド1.8アシストを残し、通算3ポイント成功率45.4パーセントで歴代トップに君臨している。
1988年のドラフト2巡目全体50位でフェニックス・サンズから指名されると、サンズ、クリーブランド・キャバリアーズ、オーランド・マジックでプレーし、93-94シーズンからシカゴ・ブルズへ加入。
ブルズ加入後、カーは前期3連覇(91年から93年)に主力の1人として貢献したジョン・パクソン(元ブルズほか)からアドバイスをもらうなど、自身の役割について学び、このシーズンに自己最高となる平均8.6得点をマークした。
そんなカーのキャリアを一変させたのが、マイケル・ジョーダン(元ブルズほか)の現役復帰だった。95年3月に“I’m back”というシンプルかつ強烈な言葉をメディアへ発信し、世界的な人気と知名度を誇るスーパースターがブルズへ復帰。
93年までに成し遂げた前期3連覇メンバーがほぼ退団していた中で、ジョーダンはブルズを再びチャンピオンチームへと押し上げるべく、恐るべき闘争心を前面に出してチームメートたちに接し、一触即発の展開になることもあった。
だがジョーダン率いるブルズは再び覇権争いに加わり、96年から98年に90年代2度目の3連覇を達成し、NBA史上に残る王朝を築いた。カーはベンチから登場して高確率なショットと堅実なディフェンスをコートへ持ち込み、97年のNBAファイナル第6戦終盤にはジョーダンからパスをもらって2連覇を決定づける貴重なジャンパーを鮮やかに放り込んだ。
「これまでいろんな人たちが私を雇ってくれたのは、マイケル・ジョーダンのすぐそばでプレーしていたからなのさ」と感謝したカー
「私のその後の人生を完全に変えるものだった。マイケル・ジョーダンとプレーしたことで、私のキャリアそのものが変わっていったんだ」。
カーHCがそう話したように、ブルズで3連覇を達成したメンバーの一員となったカーは、その後サンアントニオ・スパーズとポートランド・トレイルブレイザーズに所属。99年と2003年にはスパーズで優勝し、計5度のチャンピオンリングを手にして現役を引退。
そしてテレビへ出演したり、『TNT』でコメンテーターも務めたカーは、04年から10年までかつて選手として所属したサンズの球団社長兼ゼネラルマネージャー(GM)も務めてきた。
ここ6シーズンはウォリアーズの指揮官として活躍しており、昨季まで5年連続でファイナルへと勝ち上がり、3度の優勝を経験。レギュラーシーズンでは475試合で337勝138敗(勝率70.9パーセント/歴代2位)、プレーオフでは105試合を指揮して77勝28敗(勝率73.3パーセント/歴代1位)というすばらしい実績を残している。
ブルズで優勝を経験した元選手たちの中で、ジョーダンを除けばカーは出世頭と言っても過言ではない。それはカー自身も理解しており、ジョーダンへこう感謝していた。
「チャンピオンシップを制したチームでプレーできたこと、プレーオフで自分の名を残すことができたこと、その後テレビ界に参入し、アナリストを務め、マネジメントやコーチをする機会も手にすることができた。これまでいろんな人たちが私を雇ってくれたのは、マイケル・ジョーダンのすぐそばでプレーしていたからなのさ。今の私があるのは彼のお陰なんだ」。
ジョーダンとプレーし、3連覇のメンバーとなったことで、カーのキャリアが大きく好転したのは事実。だがカーはブルズで得た経験を存分に活かし、03年のプレーオフでは短時間ながらも効果的な働きを見せてスパーズ2度目の優勝に貢献。引退後も持ち前のトーク力とユーモアを磨き、現在は指揮官として見事なキャリアを歩んでいる。
ここまでの実績を残すことができたのは、ジョーダンとプレーしたことだけでなく、カー自身の明晰な頭脳と適応力があったことも忘れてはならない。