B1で史上初めて3ポイントシュート成功500回を達成した選手はシューターではなく、リーグ屈指のポイントガードだった。
その記録を作ったのは千葉ジェッツの司令塔・富樫勇樹だ。12月19日に開催された富山グラウジーズ戦の第1クォーター残り1分40秒。オフェンスリバウンドを獲得したセバンチャン・サイズからパスを受け取り、右45度付近からいつもどおり放たれた放物線がリングに吸い込まれたのだ。彼にとっては数多く打ってきた1本になるのだろうが、身長167センチというバスケットボールにおけるサイズの不利を覆して、B1でこの記録に一番早く到達した。
加えて彼はこの日、18得点8アシスト3スティール1ブロックの活躍を見せ、98-82でチームの9連勝に大きく貢献も果たした。試合後のヒーローインタビューでは、500回成功について「僕のシュートのほとんどがビックマンのスクリーンをもらってからのシュートなので、(彼らに)感謝したいと思います」と、サイズ、ジョシュ・ダンカン、ギャビン・エドワーズらを見ながら、笑顔で振り返った。
富樫は言わずと知れたBリーグ、いや日本を代表する点が取れるポイントガードである。これまで数々のビックショットを決めてきたが、それも自分の弱みを認識したうえで、強みを作るべくシュートにこだわってきたからこそである。
「ずっと言っていることですが、ディフェンスではどうしてもミスマッチになってしまいます。オフェンス以上にチームのヘルプが必要になってしまう。だから、それを僕はオフェンスでどうプラスに変えていくか。そこが自分の生きる道だと思って、やってきました」
そして、彼へ生きる道をさし示したのが、かつて秋田ノーザンハピネッツでヘッドコーチを務めた中村和雄氏である。小さい頃から親子そろって同氏と親交が深く、高校時代のアメリカ留学から帰国した2012-13シーズンに、彼は中村氏が指揮を執るbjリーグの秋田へ加入した。当時について「厳しいというか、(今)あまりこういう言い方をするヘッドコーチはいないと思います」と前置きして、こう続けた。
「『この身長で点数を取らないなら、いらない』と言われていました。だから、今もその気持ちでやっています」
ミニバス、中学時代には点取り屋として活躍した富樫。しかし、アメリカに留学した高校時代には、身長が低いこともあってシュートよりもパスを優先された過去がある。
そのような経験を積んだ後、中村氏のアドバイスにより目指すスタイルが固まった。「秋田での1年半があったことで、自分のプロにおけるプレースタイルを明確にできたと思っています」と彼は断言する。
一方で、現ヘッドコーチである大野篤史氏に、彼の勝負強さについて聞いた。上手な選手は数多くいても、富樫のように勝敗を決する試合終盤、クラッチタイムで仕事ができる選手は数少ないからだ。
「彼の何が一番良いかというと、(シュートを)打ちたい姿勢、自分が最後に責任を取るんだという気持ちです。そこに凝縮されると思います。もともと(私は)その日の調子が良いか悪いかではなく、バスケットに対して真摯に取り組んでいる、それまでの過程があって彼に(クラッチタイムのシュートを)託しています」
もっとも富樫本人へ印象に残る3ポイントシュートを尋ねれば、「あまりないですね…… ひとつのシュートに対してパッと思い浮かぶものは」と返事があった。過去よりも、目の前の試合にフォーカスを当ててる。
「毎試合、全力でプレーできるように準備をしています。ただ、まだまだ気持ちもプレーも、良いときと悪いときがあるので、(その差を)少しでも無くしていけるように頑張っていきます」
500本を通過点に、彼はこれからも記録と記憶に残る姿をブースターやファンに見せてくれるだろう。そして将来、彼が印象に残る1本を語ることがあれば、どんなシーンになるのか。またそれも楽しみにしておきたい。
文=大橋裕之