まさにシンデレラストーリーと言えるだろう。無名の高校生がひとりの大学指導者に見い出されたことで、彼のバスケ人生が一変することになる。
大学進学当初、これまで経験したことのない高いレベルのバスケに面食らうこともあったが、次第に才能を開花。“ダイヤモンドの原石”は学生代表メンバーに選ばれるまで成長した。
今では将来の日本代表候補と評価されるまでになった小酒部泰暉に改めてバスケ人生を振り返ってもらった。さらにインターハイ、全国中学校大会が中止となった部活生にメッセージを送ってもらっている。
『バスケットボールキング』では、学生自らが投稿したプレー動画集などをTwitter、Instagram、Tiktok等のSNSに「#バスケを止めるな2020」をつけた動画の投稿があれば、これら動画の拡散に協力することで、スポーツ推薦を引き寄せるための支援を行う『#バスケを止めるな2020』プロジェクトを実施しています。詳しくはこちら
https://basketballking.jp/news/japan/20200514/229918.html
取材・文=入江美紀雄
目立った成績はなかったミニ、中学、高校時代
――バスケを始めたのはいつですか?
小酒部 小学校3年生の時です。姉がミニバスをしていて、見学に行った時にやらせてもらったのが楽しくて、それが始めるきっかけでした。サッカーをしている友達がいたのもあって、サッカーをやろうと思って道具もそろえていたのにバスケに惹かれちゃいました。
――小酒部選手は隣の静岡県と接した神奈川県の山北町出身です。
小酒部 ミニ、中学とぜんぜん勝てなくて、ほとんど地区大会で終わってしまうレベルでした。身長が小さかったこともあり、中学になっても県選抜の合宿に参加したこともありません。身長は高校に入って急激に伸びましたね。
――アルバルク東京のプロフィール欄には「尊敬する人は?」という項目があります。小酒部選手は山北高校時代の恩師、藤平先生と答えていました。
小酒部 高校には中学1年の時から練習に参加させてもらっていて、とても面倒を見ていただきました。自分としてもフィットするスタイルだと思っていたので、藤平先生の名前をあげました。
――藤平先生にはどんなことを教わりましたか?
小酒部 山北高校自体が小さい選手ばかりだったので、「スピードで勝つ」ことを意識していて、走るメニューが練習のほとんどでしたね。
――当時の成績は?
小酒部 最高が県大会の2回戦です。
――神奈川には全国レベルの強豪校がいくつかありますが、対戦経験は?
小酒部 厚木東(高校)とは練習試合をしたことがあります。桐光(学園高校)とは新人戦の県大会で当たりましたが結構ボロボロにやられちゃった感じです。個人としては多少点が取れたり自分のプレーができたりもしたのですが、1対1のレベルでも強豪校は違うと思いました。ただ、負けはしましたがとても楽しく試合ができたなということを覚えています。
偶然だった神奈川大学・幸嶋監督との出会い
――その高校時代、地区大会を視察に来た神奈川大学の幸嶋謙二監督が小酒部選手のプレーをたまたま見て、大学進学が決まったと聞きました。その時のことを話してもらえますか?
小酒部 公式戦の地区の決勝だったと記憶していますが、幸嶋さんが試合を見に来られていて。僕は直接話をしていないのですが、藤平先生に「気になる」って言っていただいたのが神奈川大に進学するきっかけになりました。
――大学バスケには興味があったのですか?
小酒部 幸嶋さんに声をかけていただいたのは高校3年の時でした。実は神奈川大学には進学しようと思っていて。でも指定校推薦でバスケもするつもりはなかったんです。その後、練習見学にも行かせてもらったのですがレベルが違っていて、そこで本当にバスケができるのかと思いました。しかし、それからスポーツ推薦をいただいて、大学でも続けることになります。
――大学でバスケを続けることを決めた時は「よしやってやろう」という感じですか?
小酒部 もちろん最初はそんな気持ちでいましたが、正直、「ここでプレーできるのかな」と不安があったのも事実です。というのも、高校時代は自分がボールを持てば1対1でほとんど攻めるというスタイルだったので、セットプレーもほとんどなくて。でも大学ではシステムによって自分がいなければいけない位置も決まっていましたし、フロアバランスも考えなければいけなかったりで、それらを覚えるのが大変でした。最初はそれに慣れるのが必死で、「コーナーステイ(コーナーにとどまってパスが来るまで待つ)」をしなければいけないのに、我慢できず動いてしまうこともありました。
――その中で、大学でやっていけると確信したのはいつですか?
小酒部 入学する前のスプリングキャンプでちょっと出させてもらって、そこで自分の持ち味であるリバウンドだったり泥臭いプレーだったりは通用したのが大きかったと思います。それから、試合を重ねるごとに慣れてきてポジショニングも分かっていった感じです。
――特に大学に入って成長したと思えるものは何ですか?
小酒部 シュートのパーセンテージが良くなったと思います。それと2年生の時に李相佰盃(日韓学生対抗戦)のメンバーに選んでいただいて、そこでピックの使い方などをヘッドコーチの比嘉(靖/大阪体育大学)さんやアシスタントコーチの網野(友雄/白鷗大学)さん、西尾(吉弘/大東文化大学)さんに教えてもらいました。これでオフェンスのパターンが増えたと思います。
これからも信じた道を歩んでいくだけ
――改めて、幸嶋監督との出会いが小酒部選手のバスケ人生を大きく変えたと言えます。その時にチャンスをつかめたからこそ、現在、アルバルク東京でプロとしてプレーしているのですか?
小酒部 ただし、地元の山北中学から山北高校に進んだ選択は間違ってなかったと思います。仮に強豪校に進学していたら、プレータイムをそれほどもらえなかったでしょう。山北高に進学したからこそ自分を成長させてくれたのだと思います。そういう意味からも今までの環境に感謝しています。
――大学でもう1年プレーする気持ちはなかったのですか?
小酒部 4年生としてチームみんなで最後を飾りたいという思いはありました。しかし、自分をもっと成長させたい、上のレベルでやってみたいと心の中にあって。チームメートには申し訳ない気持ちもありますが、自分が決めた道なので間違いないと思い決断しました。その意味では幸嶋さんやチームメートに背中を押してもらったと思います。
――今年はインターハイや全国中学校大会が中止になっただけでなく、地方予選も行われなかったところがほとんどです。中学3年、高校3年生に言葉をかけていただけませんか。
小酒部 引退試合もできなかった人も多いと聞いています。でも、中学や高校時代に積み重ねた努力は無駄になりません。これまで頑張ってきたことに自信を持って、これからも夢を見出してください。どんな努力も絶対に報われます。そして、今後もバスケを続けてくれればうれしいです。
――小酒部選手は今後のバスケ人生をどのように切り開いていきますか?
小酒部 今は自分をレベルアップさせて、もっと試合に出られるようになりたいです。そして、日本代表に絡むのが夢なのでそれに向けて頑張っていきたいと思います。