【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.2】湯浅剛「野球一筋から車いすバスケで代表候補に」

大学まで野球選手として活躍した湯浅剛。車いすバスケでも国内トップクラスの実力を持つ[写真]=斎藤寿子

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文・写真=斎藤寿子

 海外でもプレーし、世界のトップクラスで活躍し続ける香西宏昭(NO EXCUSE)。その彼が、「尊敬する選手」として真っ先に名を挙げたのが、湯浅剛(NO EXCUSE)だ。2人は今年、チームの“ダブルキャプテン”を務めている。「真面目で努力家」。周囲の誰もがそう口にする湯浅とは――。

大きな後悔の念を抱いたプレーが教訓に

 もともと野球選手だった湯浅。高校時代には、プロのスカウトが視察に訪れたこともある。大学時代には、レギュラーとして全国大会に2度出場を果たしている。

 車いすバスケットボールと出合ったのは、22歳の時。大学卒業を間近に控えたていた頃、スキーでけがを負い、入院先の病院でのリハビリで初めて知ったのだ。

 退院後、東京のクラブチーム「NO EXCUSE」に加入した湯浅は、2年後には主力として活躍。日本選手権(18年より天皇杯を下賜)では、これまで3度、決勝の舞台を踏んだ。しかし、いずれも現在11連覇中の宮城MAXに決勝で敗れ、初優勝はお預けのままとなっている。

 なかでも湯浅の心に今も色濃く残っているのは、18年の決勝だ。40分で決着がつかず、延長戦へ。お互いに一歩も譲らないシーソーゲームが続き、試合の行方はまったくわからなかった。

流れが変わったのは、同点で迎えた延長1分半。相手のビッグマンがシュートモーションに入ったところに、湯浅が強めのチェックに行った。これがファウルとなり、バスケットカウントに。フリースローも決められ、3点差となった。すると、ここからじりじりと点差を広げられ、NO EXCUSEは敗れた。

「ファウル覚悟で行くんだったら、シュートを入れられてはいけなかったんです。でも、『ファウルはダメだ』ということがやっぱり頭にあって……中途半端なプレーで相手に流れを渡してしまいました。優勝するにはまだまだ力が足りていなかった。でも、今度はあの時の教訓を活かして、絶対に優勝を逃したりはしません」

 次は、必ずチーム初の栄冠を手にするつもりだ。

「自分だからこそ伝えられることがある」

「努力家」として有名な湯浅。東京パラリンピックを目指して悔いのない日々を過ごしてきた[写真]=斎藤寿子


 強化指定選手の一人として、東京パラリンピックの出場を目標としてきた湯浅。そんななか、今、誇れるものがある。努力してきたこれまでの過程だ。

「練習量では強化指定の中でもトップ5に入るんじゃないかな。それくらいやってきたという自負があります」

 ふだんは温厚な性格の湯浅だが、一転、自分自身のこととなると、誰よりも厳しくなる。「自分はまだまだ」が口ぐせで、決して努力を怠らない。

 その彼が、自分自身についてこう語るのはいたって珍しい。それほど過酷なトレーニングを課し続けてきたのだろう。

 今年で33歳の湯浅。最近では、現役引退後のことも漠然とながら考えている。

「自分と同じ持ち点1点台の選手は、若い頃から車いすバスケを始めた選手が多くて、僕のように20歳を過ぎてからというのは意外と少ないんです。しかも、僕は野球一筋で、バスケは素人同然でした。そんな僕でも、強化指定に入ることができた。それはNO EXCUSEに入って、及川晋平さん(現車いすバスケ男子日本代表監督)に質の高い指導をしていただいたからこそです。きちんとした指導によるプロセスを踏めば、経験年数が短くても、日本代表としてパラリンピックを目指すステージにまで行ける。それを実証することができたんじゃないかなって。だから、次は僕が若い世代に伝えていきたいと思っています」

 もちろん、まだまだ熟練したプレーで魅せてくれるに違いない。だがその先、湯浅がどんなバスケ人生を歩んでいくのかも、また楽しみだ。

自らの経験、得られたものを、次世代につないでいきたいと考えている[写真]=斎藤寿子


(Vol.3では、湯浅選手が注目している選手をご紹介します!)
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