2020.06.09

【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.1】 香西宏昭「20年目でも色褪せない車いすバスケへの思い」

小学6年の時にスタートした車いすバスケ人生は、今年で20年目を迎えた香西宏昭[写真]=斎藤寿子
フリーライター

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文・写真=斎藤寿子

 今年で車いすバスケ歴20年目を迎えた香西宏昭(NO EXCUSE)。その経歴は、実に華々しい。高校卒業後、各国の代表選手を多く輩出する米イリノイ州立大学に入り、2年連続で大学選手権のシーズンMVPを受賞。大学卒業後の2013年からは世界最高峰のリーグの一つ、ドイツのブンデスリーガで日本人唯一のプロとして6シーズンにわたってプレーした。三大タイトルのうちの一つ、ドイツカップでは優勝を経験。リーグ戦では準優勝2回。さらに欧州クラブ王者を決めるユーロカップでは銅メダルを獲得した。

世界トップクラスへのプロローグとなった大学選手権優勝

 そんな輝かしい実績を持つ香西にとって、最も忘れることのできない思い出の試合は、大学選手権での優勝だ。

 高校卒業後に単身渡米後、大学に入るための勉学に励んでいた香西。英語のスキルを身につけ、単位を取得し、3年目にしてついに編入が叶った。すると、当時イリノイ大のHCだった車いすバスケ界きっての名将マイク・フログリーは、練習生から正規部員となり、公式戦出場が可能となった香西をすぐに起用。優勝を争っていたライバル校との試合にも抜擢した。そこでの活躍が認められ、香西は大事な試合ではスタメンに入るまでの存在となっていった。

 そしてその年、大学選手権でイリノイ大は2年ぶりに優勝。ライバル校との決勝戦は、前半はリードを許す苦しい展開だったが、後半に逆転。その試合、スタメンの一人として出場した香西は、勝利に大きく貢献した。

「僕が中学生の時から目をかけてくれて、イリノイ進学を勧めてくれたマイクに、やっと少し恩返しができたかなと。それと、日本から来てくれていた両親の目の前で優勝する姿を見せられたことも嬉しかったですね」

 それは、香西がその後歩み続ける、世界トップクラスの選手としての幕開けでもあった。

再確認できた、バスケで養われた力と変わらない情熱

リオ直後、「一日も無駄にしない」と誓い、心身ともに鍛えぬいてきた[写真]=斎藤寿子

 一方、今でも忘れられないほどの悔しさを感じたのは、4年前のリオパラリンピックだ。初戦から3連敗を喫し、日本は予選リーグ敗退。その前のロンドンパラリンピックと同じ9位に終わった。

「自分自身の力不足を痛感させられました。とにかく強く思ったのは『このままでダメだ』ということ。何かを変えなければと」

 香西は、すぐに実行に移した。リオ後、「チーム香西」を結成。フィジカルトレーナー、メンタルトレーナーと専属契約を結び、「一日も無駄にしない日々」を過ごしてきた。

 そして今年、4年前とは明らかに違う自分を感じながら、満を持して挑もうとしていたのが、東京パラリンピックだ。しかし、本番の舞台は1年後に延期となり、2カ月以上、本格的なトレーニングができていない。

 そんななか、再確認できたことがあるという。

「バスケって、展開が目まぐるしく変わって、予期しないことがどんどん起こる中、最良の判断をして実行していく。その繰り返しのスポーツですよね。それをずっとやってきたからこそ、今こういう状況の中でも、それほど大きな気持ちの浮き沈みなく、トレーニングや今できることをやってレベルアップを図っていこうって考えられているんだろうなって」

 そして、もう一つ。自粛生活が始まった当初、香西は車いすバスケの動画を見ることができなかったという。「今、見てしまったら、バスケをやりたくて仕方ない自分が出てきてしまう。それが怖かった」からだ。

「でも、そう思うってことは、やっぱり自分はバスケが大好きなんだなって思いました」

 20年経った今も、車いすバスケへの純粋な愛情、情熱は少しも色褪せていない。それが、香西宏昭という名プレーヤーが誕生した要因の一つなのかもしれない。

20年目を迎えた今も、車いすバスケへの熱い気持ちは変わらない[写真]=斎藤寿子

(Vol.2では、香西選手が注目している選手をご紹介します!)

車いすバスケリレーインタビューのバックナンバー