2020.03.26
2020年を迎え、いよいよ東京2020オリンピック・パラリンピックの開幕が近づいてきた。今回、車いすバスケットボール日本代表とバスケットボール日本代表をサポートする日本生命の協力により、本大会で活躍が期待される香西宏昭選手と比江島慎選手の対談が実現した。国際大会で各国のライバルと競い合ってきたチームの柱が今どのような心境にいるのだろうか。初めて会ったという2人が世界の舞台での経験を話し合うことで意気投合。対談は非常に盛りあがった。
取材協力=日本生命
取材・文=入江美紀雄
インタビュー写真=加藤誠夫
香西
「できるの?」というのが正直な感想でした。というのも、前年に行われたロンドンパラリンピックが観客の盛りあがりだけでなく大会運営、さらにはイギリスのテレビでのPRが素晴らしかったので、ちょっと心配になりました。比江島 未知の世界というか、まず出場できるのかなという不安がありました。でも、オリンピックに出ることを夢見て頑張っていたので、絶対に出場したいという思いが強かったと覚えています。一方で、「開催国枠で出られるのか?」、「予選リーグは突破できるのか?」という心配をしたのも事実です。
――香西選手はパラリンピックに3大会連続で出場されています。
香西 オリンピックやパラリンピックには「魔物がいる」とよく言われますが、あれは(選手自身が)自分で作っているものなのだろうなと思います。というのも、初めて出場した北京パラの初戦、コートに入場した際、今まで浴びたことのない明るさのライトに照らされ、その時に何かおかしいなと自分の中で感じました。北京パラリンピックはそれからの記憶が全くないんです。
比江島 自分は何もかもが初めての経験なので、あっという間に終わってしまいそうで心配です。次のロンドンパラではどうだったのですか?
香西 ロンドンは記憶あります。バッチリです(笑)。北京パラの1年前からアメリカに留学していて、ロンドンまでに色々と経験を積めていたからだと思います。
比江島 実はワールドカップの時に自分もそのように記憶がところどころないんです。自分がミスしたところは覚えていますけれど。
香西 じゃあ次は大丈夫ですよ(笑)。
――今、アメリカ留学のお話をされましたが、きっかけは何だったのですか?
香西 僕は12歳で車いすバスケを始めたのですが、13歳の時に参加した車いすバスケのキャンプがきっかけです。それは日本で行われたのですが海外特別コーチとして来日されていたのが当時イリノイ大学のヘッドコーチであったマイク・フログリーさんで、その時から「イリノイ大学に来ないか?」と誘われていました。中学生の僕は「面白いことをいうおじさんだな」という認識でしたが、中学を卒業して高校に進学すると頻繁に連絡が来るようになって。それでこれは本気なんだと。そして高2の時に親に相談して留学を決めました。
比江島
プロの世界に入ってから本格的に海外に行きたいという思いはありましたけど、挑戦する勇気がなかったり、タイミングを逃してしまったりで。そんな状況の中で、ワールドカップ予選でオーストラリアと対戦して、アジアとは違うバスケが楽しかったし、自分が成長するチャンスだと改めて感じたので、年齢は28歳でしたが東京オリンピックの前にチャレンジしてみようとオーストラリアへ行く決心をしました。――お互い苦労したことは?
香西 もちろん英語には苦労しました。準備はしていたのですが、渡米当初は相手が何を言っているのかわかりませんでした。言葉はわかるようになっても、言い返すことはなかなかできずに悔しくて苦しかったです。ドイツのブンデスリーガでは毎年のようにメンバーが変わります。メンバーは国も違えば覚えてきたバスケも違っているので、それに合わせるのは大変でしたね。それぞれがナショナルチームのエース的な存在なので、その中でいかに自分をわかってもらえるかに苦労しました。相手に認めてもらわないと話すら聞いてもらえないので。
比江島 僕も言葉には苦労しました。
香西 オーストラリアの英語は僕もわからないですよ(笑)。
比江島 僕はずっと(シーホース)三河でしかプレーしたことがなかったので、チームが代わってそのスタイルに合わせることやチームメートのプレースタイルや癖を把握することもやらなければいけなかったですね。すでにできあがっているチームのスタイルに溶け込んで行くことには苦労しました。
――最近バスケットボール・車いすバスケともにニュース等でみかけることも多くなってきましたが、注目が高まっている実感はありますか?
比江島 日本代表戦に、多くのファンが応援にきてくれるようになったという感覚はあります。特に昨年のさいたまスーパーアリーナの試合では満員となり、感動しました! 日本代表戦のこの盛りあがりは、Bリーグが支えていると感じています。自分は、栃木ブレックスに所属していて、ファンのひろがりを実感しています。
香西 車いすバスケもこの1、2年で会場に応援にくる人が本当に増えています。昨年、武蔵野の森総合スポーツプラザ(パラリンピック本番大会会場)で国際大会が開催された時には、2万人を超える方に応援に来ていただき、驚きました!
比江島 そんなに多くの方が応援に来てるんですね。実は、自分まだ車いすバスケをみたことがなくて。
――比江島選手、車いすバスケをPRする動画があるので、ぜひ動画を見てください。
比江島 (動画を見て)かっこいいのはもちろんですが、めちゃくちゃハードですね! シュート、ドリブルだけでなく、車いすの操作で試合中ずっと腕を使うってことになりますよね。バスケットボールよりもずっとタフさが求められるスポーツだと感じました。
香西 初めのシーンで僕の顔がアップになって驚きました(笑)。僕もこの動画は見たのは初めてですけど、カッコいい映像にしてくれてうれしいです! 昨年は国際ゲームがたくさんあって悔しい結果もありました。本番に向けて、バスケットボールはもちろん車いすバスケも盛りあがっている中で、自分も改めて身が引き締まった気がします。良い結果を残したいですね。
――そのような苦労を乗り越えて迎える東京オリンピック・パラリンピックへの意気込みを最後にお願いします。
比江島 初めて臨むオリンピックなので、一番は自分自身がバスケットボールやオリンピックを楽しみたいと考えています。それと同時に、国内でバスケットボールが盛りあがってきているので、それをもう1ランクアップできるように内容と結果にこだわりたいと思います。昨年のラグビーワールドカップで日本代表が示してくれたように、世界と戦って結果を出すことが盛りあげに直結します。ですからやるからにはメダルを狙っていきたいですし、ワールドカップで多くの可能性があると感じたので、しっかりと準備したいと思います。
香西 リオパラの時は大会前に「6位以内」という目標を立てたものの、9位という結果に終わりました。そこから「東京では金メダルを目指す」というチームの目標ができたのです。この目標に対して具体的にはどういう取り組みをすればいいのかと考え、僕個人の取り組みとしては、どれだけ高い質で毎日の1分、1秒を過ごせるかということを心がけています。僕はこれを続けていけば東京パラリンピックの最終的に望んでいる結果に繋がってくれるだろうと信じてこの取り組みを続けていきたいと思います。
ただ、昨年の12月にタイのパタヤで行われた車いすバスケの「アジアオセアニアチャンピオンシップス」に出場した時、4位という結果に終わりました。この大会は東京パラリンピックのアジア・オセアニア予選を兼ねていて、勝てなかったとしても日本は出場権を与えられているものの、優勝を目指して戦いました。一方で日本以外の上位3チームが東京2020パラリンピックの出場権を獲得した事実、つまりは自力で出場できなかったことは重く受け止めています。それでも一昨年にドイツで行われた世界選手権で3位に入ったオーストラリア、4位のイランに勝ったことは、僕たちもメダルに間違いなく近づいていると感じることができましたので、あとは本当に自分たちを信じて練習を続けるのみだと思っています。
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