インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。
Vol.2で登場した吉田絵里架(カクテル)が、最も印象に残っている選手として挙げたのが、古野祥子(Brilliant Cats)だ。「彼女は代表合宿で選考から落ちたとわかった翌日も、誰よりも本気でトレーニングに励んでいたんです。代表に選ばれた選手たちも“負けていられない”と刺激を受けていたはずです」と吉田は語る。果たして、古野とはどんな選手なのか。そのバスケ人生に迫る。
文=斎藤寿子
バスケで初めてつかんだ自分への自信
古野がバスケに出合ったのは、小学4年生の時。練習すればするほどできることが増え、周りから評価してもらえることがうれしくてたまらなかったという。
「私の姉は何でもすぐにできて、すごく優秀なんです。そんな姉に小さい頃から憧れていた反面、自分に対してはあまり自信が持てませんでした。でもバスケを始めたら、どんどんうまくなっていくし、みんなに褒めてもらえるようになって……。初めて自分が認められた気がして、子どもながらに居場所を見つけられた感じでした」
バスケをすることで前向きな気持ちを抱くことができた古野は、明るくて積極的な性格へと変わっていった。
しかし突然、古野は引退を余儀なくされてしまう。中学生の時から痛めていたケガを直そうと、高校1年生の夏に手術に踏み切るも、右足首に麻痺が残り、バスケをすることができなくなったのだ。
「もう人生が終わった気がしました。何もやる気が起きなくて……。学校にも行くのが辛く、家に閉じこもる生活でした」
そんなある日のこと、偶然目にした新聞広告に、なぜか引き付けられた。車いすバスケの大会ボランティアの募集だった。それまで外の世界を遮断するようにして、ほとんど自宅から出ることがなかった古野だったが、不思議と車いすバスケに興味が湧いた。
「当時は、もうバスケに関わりたくないと思っていました。プレーできない悔しさが出てくるので、体育館に近づくこともできなかったんです。でも、車いすバスケは全く知らない世界。自分がプレーヤーになれるとも思っていなかったので、逆に素直に興味が持てたのだと思います」
車いすバスケで再び取り戻した前向きな自分
その大会で、初めて目にした車いすバスケは、予想以上のスピードと迫力で面白かった。すると、会場で車いすバスケ関係者に声をかけられ、自分もプレーヤーとして登録が可能ということを知った。「やってみようかな」。最初はそんな軽い気持ちだった。しかし、やっていくうちに、忘れていた感覚を思い出していった。
「はじめは車いすを漕ぎながらドリブルもできなかったし、シュートもリングにも届かなったのが、練習していくにつれて、できるようになっていって……。それは小学生の時にバスケを始めた時と同じでした。ケガをしてからは“走れない”“ハイヒールも履けない”……と、できなくなったことが増えて、落ち込むことばかりでした。でも、車いすバスケで再び“できること”が増えていった。それがとにかくうれしかったんです」
その後、古野は日本代表となり、2011年にはパラリンピックのアジアオセアニア予選にも出場した。
一児の母親となった今も、子育てと仕事を両立させながら、現役を続けている。現在は新型コロナウイルスの影響で自粛中だが、ふだんは週末には車で片道4時間かけて子どもと一緒に、兵庫の自宅から愛知の所属チームの練習へと通っている。パラリンピックの出場経験もあり、長年日本を代表する選手として活躍してきた大島朋彦HCの指導を受けるためだ。
「大島さんのバスケは、しっかりと組み立てられていて、誰か一人が中心とかではなくて、みんなで守り、コート上の5人が“化学反応”を起こしながら得点を狙う、というスタイルなんです。そういう考えられたバスケができるようになりたくて、Brilliant Catsに加入しました」
今の目標は、皇后杯で日本一になること。尊敬する指導者の下、古野はまだまだ自分自身のバスケを追求していくつもりだ。
(Vol.4では、古野選手が注目している選手をご紹介します!)