4月15日(現地時間14日)から、計16チームによる今シーズンの王座を懸けた激闘、「NBAプレーオフ2018」が幕を開けた。バスケットボールキングでは、プレーオフ出場チームやシリーズ勝敗予想に加え、これまでのプレーオフにおける名シーンや印象的なシリーズ、ゲームなども順次お届けしていく。
<プレーオフ特別企画⑰>
QUOTES Part.1~プレーオフ名言集①~
今回は、プレーオフのファーストラウンドとカンファレンス・セミファイナルで生まれた名言集をピックアップ。プレーオフで輝いたスター選手たちは、印象的なコメントと共に見事なパフォーマンスを披露し、世界中を盛り上げていた。シリーズを勝利するうえでターニングポイントとなったプレーやコメントもあわせてお届けしよう。
■1994年ウエスタン・カンファレンス・ファーストラウンド第3戦
フェニックス・サンズ×ゴールデンステート・ウォリアーズ
“You gonna double me?” ——チャールズ・バークリー
1Qだけで27得点! 歴代3位タイの56得点を荒稼ぎしたバークリー
1992-93シーズンにシーズンMVPを獲得したチャールズ・バークリー(元サンズほか)率いるサンズは、リーグトップの62勝20敗を記録しNBAファイナルへ進出。翌93-94シーズンもウエスト3位の56勝26敗を挙げ、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)引退後、チーム史上初の優勝へ向けてエンジン全開でプレーオフを迎える。
1回戦の相手はこのシーズン50勝32敗をマークしたウォリアーズ。クリス・マリン(元ウォリアーズほか)、ラトレル・スプリーウェル(元ニューヨーク・ニックスほか)、クリス・ウェバー(元サクラメント・キングスほか)を中心とした若いチームだった。
シリーズは第1戦を7点差、第2戦を6点差で制したサンズが、ウォリアーズのホームで行われる第3戦にも勝利し、スウィープ勝ちを狙っていた。特に気合いが入っていたのは、この年を優勝への“ラストチャンス”と捉えていたバークリー。第3戦も序盤から積極果敢にウォリアーズを攻め立て、12得点したところでウォリアーズのドン・ネルソンHCに向かって“You gonna double me?(俺をダブルチームしないのかい?)”とバークリーは口にした。
しかし、ウォリアーズはバークリーをダブルチームで守ろうとしなかったため、第1クォーターだけで27得点も許してしまった。その後もバークリーはスコアリングマシンと化し、レギュラーシーズンを含めてもキャリアベストとなる56得点を奪取。
バークリーは試合全体でフィールドゴール31投中23本、そのうち3ポイントシュートを4投中3本決め、フリースロー9投中7本を成功。加えて14リバウンド4アシスト3スティールという大爆発を見せた。
試合後、ネルソンHCは「彼がすべてのショットを決めるだなんて、誰も考えたりしなかったはずだ。今日の彼は選手時代も含めて、私が目にしてきた中で最も驚異的なゲームの1つ」とコメント。
バークリーの活躍もあり、サンズはウォリアーズとのシリーズをスウィープで決着。この日バークリーが残した1クォーター27得点は歴代2位タイ、56得点はプレーオフ史上歴代3位タイの快挙。この日のバークリーは、キャリアの中で最も驚異的なスコアリングマシンとしてゲームを支配してみせた。
■1995年イースタン・カンファレンス・セミファイナル第1戦
インディアナ・ペイサーズ×ニューヨーク・ニックス
“Choke Artists!”——レジー・ミラー
誰もが予想不可能だった奇跡を起こしたミラー
前年のイースト決勝。ニックスが4勝3敗でペイサーズを下し、NBAファイナルに進んだのだが、先に王手をかけたのはペイサーズだった。ニックスのホーム、マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)で行われた第5戦。第3クォーター終了時点で12点ビハインドだったペイサーズは、リーグ屈指のクラッチシューター、レジー・ミラー(元ペイサーズ)が第4クォーターだけで5本の3ポイントシュートを含む25得点と大爆発。この“ミラータイム”によって、MSGに集まったファンとニックスの選手たちを奈落の底へと突き落としたのである。
そして翌95年のイースト準決勝初戦。MSGでまたも“ミラータイム”が開演する。試合時間残り18.7秒で、ホームのニックスが105-99と6点もリードしていた。普通に考えれば、逆転できるとは考えにくい状況だ。
しかし、ミラーはまたも奇跡を起こしたのである。バックコートの相棒マーク・ジャクソン(元ペイサーズほか)からスローインを受け、左45度付近から鮮やかな3ポイントシュートをヒット。すると、ニックスのスローインをスティールし、自ら3ポイントラインへ戻り、ほぼ振り向きざまに3ポイントシュートを放った。これが見事にネットを通過し、ペイサーズはほんの数秒で同点に追いついてしまったのである。
ニックスは動揺を隠せなかった。その後ジョン・スタークス(元ニックスほか)がフリースロー2本の機会を得たものの、このシーズンのフリースロー成功率73.7パーセントを残していた男が、ホームの観客の前で2投ともミス。次のポゼッションでフリースロー2本を決めたミラーは、当然とばかりに成功し、わずか8.9秒間で8得点を1人でたたき出し、ペイサーズを大逆転勝利へと導いてしまった。
試合が終わり、ロッカールームへ戻る途中、ミラーは“Choke Artists(ここ一番に弱い奴らだ)”と叫び、自らの強心臓ぶりをこれでもかというほどアピール。
翌戦のミラーは、ニックスの執ようなディフェンスと大ブーイングを浴び、フィールドゴール10投中成功わずか3本の計10得点。ペイサーズ大敗のA級戦犯となってしまう。それでも、ペイサーズは第7戦の末にニックスを下し、このシリーズを制した。
■2007年ウエスタン・カンファレンス・セミファイナル
サンアントニオ・スパーズ×フェニックス・サンズ
“It was just an end of game foul and Steve fell down”——グレッグ・ポポヴィッチHC
サンズ史上最大級の優勝チャンスを奪った“ゲーム終盤のファウル”
07年のウエスト準決勝、スパーズとサンズのシリーズは、この年のプレーオフにおける事実上のNBAファイナルと言っていいシリーズだった。
リーグベストの67勝15敗を挙げたダラス・マーベリックスがゴールデンステート・ウォリアーズに敗れて1回戦敗退となり、ウエスト2位のサンズ(61勝21敗)と3位のスパーズ(58勝24敗)がウエスト準決勝で激突。
サンズとのシリーズを4勝2敗で制したスパーズが、ウォリアーズを下したユタ・ジャズを5戦で片付け、NBAファイナルではクリーブランド・キャバリアーズをスウィープ。4度目の優勝を飾った。
06-07シーズン途中、スパーズは選手起用に変化を加えた。過去2シーズンで主にスターターを務めていた第3の得点源マヌ・ジノビリを、07年1月下旬からシックスマンへ転向したのである。ティム・ダンカン(元スパーズ)とトニー・パーカーと共にコートに立つと、3人それぞれの個性が活かしきれないと判断し、ジノビリの個性、そして独特なプレースタイルを存分に発揮できるようにした。ジノビリはマッチアップ相手が予測不能なムーブを繰り出し、何度もディフェンス陣を切り裂いてきたことから、この起用は奏功。スパーズは2月中旬から3月中旬にかけて13連勝するなど一気に調子を上げていったのである。
一方のサンズは、05-06シーズン、膝の負傷によりわずか3試合の出場だったチームのトップスコアラー、アマレ・スタッダマイヤー(元サンズほか)が復活。スティーブ・ナッシュ、ショーン・マリオン(共に元サンズほか)に加え、アマレ不在の期間に急成長を遂げたボリス・ディアウ(元スパーズほか)も健在と、優勝候補と呼ぶにふさわしい布陣をそろえていた。
シリーズ初戦はスパーズが主導権を握ってゲームの大半をリード。サンズは必死に追い上げる中、試合終盤にナッシュがパーカーと衝突し、鼻から出血するというアクシデント。止血が追いつかず、勝負どころで何度もコートを離れる事態となり、5点差でスパーズが先勝。
第2戦はアマレが27得点9リバウンド、ナッシュが20得点16アシストを記録するなどサンズが20点差をつけて勝利。翌第3戦では、ダンカンが33得点19リバウンド3ブロック、ジノビリが24得点を挙げる活躍でスパーズが7点差で勝利し、シリーズを2勝1敗とリード。
迎えた第4戦。王手をかけたいスパーズと、シリーズをタイに戻したいサンズによるゲームは、第4クォーター残り53.9秒にアマレの得点で逆転に成功したサンズが勝利を収め、2勝2敗のタイに戻す。
しかしながら、この試合終盤に起きた1つのプレーが、シリーズの行方を決めてしまった。
第4戦残り18.2秒。ロバート・オーリー(元ロサンゼルス・レイカーズほか)がナッシュに向かってタックルをかまし、コート外へと突き飛ばした。危険なファウルとジャッジされたオーリーは即退場。2試合の出場停止となったのだが、オーリーのダーティーなファウルを受けてベンチから跳び出してしまったアマレとディアウにも、それぞれ1試合の出場停止処分が下されたのである。
サンズのホームで行われた第5戦。サンズは第1クォーター中盤から主導権を握り、ナッシュとマリオンを中心にリードを2ケタに広げていった。スパーズの反撃に遭い、リードは徐々に減っていったものの、サンズは第4クォーター終盤までリードを許さなかった。しかし試合時間残り2分29秒、スパーズがパーカーのショットで同点に追いつく。するとマリオンとダンカンが点を取り合い、81-81の同点となる中、残り36.4秒にブルース・ボウエン(元スパーズほか)が値千金の3ポイントシュートを決めてスパーズが3点リードを奪うと、サンズは追いつくことができず、痛い黒星を喫することとなった。
「アマレとディアウがいれば勝てていたはずだった……」。サンズのファンだけでなく、一部の選手たちでさえ、そう思ってしまってもおかしくないほど惜しい試合だったに違いない。
後がなくなったサンズは、第6戦でアマレがゲームハイの38得点12リバウンド、ナッシュが18得点14アシストでチームをけん引。対するスパーズはパーカー、ジノビリ、ダンカンの“ビッグ3”だけで87得点を奪う猛攻で応戦。スパーズがリードしてはサンズが追いつくという展開を繰り返し、同点20回、リードチェンジ19回という好ゲームとなった。
第4クォーターは、両チーム合わせて72得点を記録する激しい点の取り合いとなった。シリーズを終わらせまいと、サンズはアマレとナッシュがそれぞれ15得点を挙げるも一歩及ばず。スパーズは4勝2敗でシリーズを制し、最終的に優勝することとなったのである。
第4戦終了後、オーリーのファウルについて「ベンチを離れてコート上でファイトするようなものではなかった」とナッシュは振り返った。
スパーズのグレッグ・ポポヴィッチHCも「あれはゲーム終盤に犯したファウルであり、スティーブが倒れ込んだだけのこと。私は大きなことだとは思わなかった」とコメントしていた。
ハンドチェックが厳しく、フィジカルコンタクトが激しかった1980年代から90年代と比較すると、オーリーのファウルは「よくあることだった」と評する人もいるだろう。
その一方で、チームの最重要人物(ナッシュ)をシリーズ途中に負傷離脱させようとするかのようなタックルは、決して許されてはならないものだった。
今思うと、あの1プレーが2000年代中盤からナッシュ中心にリーグの強豪となったサンズにとって、優勝する最大のチャンスを奪ってしまったように思えてならない。
■2009年イータン・カンファレンス・ファーストラウンド
ボストン・セルティックス×シカゴ・ブルズ
“He’s stubborn”——ダニー・エインジGM
チーム随一の“頑固者”が前年王者の窮地を救う
2007-08シーズン。ボストン・セルティックスは、生え抜きのポール・ピアース(元セルティックスほか)、ケビン・ガーネット(元ミネソタ・ティンバーウルブズほか)、レイ・アレン(元セルティックスほか)による“ビッグ3”を形成。レギュラーシーズンをリーグトップの66勝16敗で爆走し、プレーオフで苦しみながらも、通算17度目となる優勝を成し遂げた。
翌08-09シーズンは開幕から飛ばしに飛ばし、最初の29試合で27勝を挙げる圧倒的な強さを見せた。しかしその後勢いに陰りが見え、シーズン成績は62勝20敗となり、イースト2位でプレーオフに進出。
一方のブルズはオールスターブレイクの時点で23勝30敗だったものの、トレード・デッドライン前にジョン・サーモンズとブラッド・ミラー(共に元サクラメント・キングスほか)らを獲得すると白星先行モードへ。シーズン最後の12試合を9勝3敗で締めくくり、41勝41敗のイースト7位でプレーオフへと乗り込んだ。
このプレーオフ。連覇を狙うセルティックスにとって、守護神ガーネットが膝の負傷によりプレーオフ絶望となったことは大打撃だった。ガーネットの穴を埋める人材はおらず、特にディフェンス面で不安視されていた。
それがこのシリーズ初戦で浮き彫りとなってしまう。ブルズのルーキー、デリック・ローズ(現ウルブズ)がプレーオフ初戦でカリーム・アブドゥル・ジャバー(元ロサンゼルス・レイカーズほか)に並ぶ36得点に加え11アシスト。ブルズは延長の末にアウェーでディフェンディング・チャンピオンに勝利。
翌戦はセルティックスが3点差で勝利してリベンジに成功すると、第3戦では21点差をつけて圧勝。このままセルティックスがシリーズを終わらせるかと思われたが、ブルズはそう簡単には引き下がらなかった。
2度の延長までもつれた第4戦を3点差で制したブルズは、第5戦でも延長にもつれる熱戦を演じる。この試合は延長残り3.4秒でピアースが決勝ジャンパーをねじ込み、セルティックスが王手をかけたのだが、翌第6戦は3度の延長にまでもつれ込む大激戦と化す。
セルティックスはアレンがゲームハイの51得点でけん引するも、ブルズはサーモンズが35得点、ローズが28得点、ミラーが23得点をマーク。同点17度、リードチェンジ21回を記録した長期戦にピリオドを打ったのは、ブルズのジョアキム・ノアだった。123-123で迎えた3度目の延長残り38.9秒、ピアースのパスをスティールしたノアがそのままリングまで持ち込んで3ポイントプレーを完遂。これが事実上の決勝点となり、ブルズが逆王手をかける。
しかし、運命の第7戦はセルティックス優勢の展開が続き、最終的には10点差でセルティックスが勝利。延長続きの長いシリーズをようやく終えた瞬間だった。ブルズとのシリーズでは、アレンがチームトップの平均23.4得点。ピアースが平均23.1得点を挙げたのだが、シリーズ突破はラジョン・ロンド(現ニューオリンズ・ペリカンズ)抜きにはありえなかった。
このシリーズのロンドは、7試合のうち2度もトリプルダブルを達成し、シリーズ平均45.3分19.4得点9.3リバウンド11.6アシスト2.7スティールと八面六臂のパフォーマンスを見せた。シーズン平均(33.0分11.9得点5.2リバウンド8.2アシスト1.9スティール)を大幅に上回る活躍でセルティックスをけん引したのである。
シリーズ途中、セルティックスのダニー・エインジGMはロンドについて、このように評していた。
「彼は頑固者なのさ。(チームを)いつも良い方向へと導くわけじゃない。でも、(チームが)成功するために何をすべきかを理解した、頭のいい選手なんだ」。
ロンドという男は、ピアース、ガーネット、アレンというベテランのオールスター選手3人に囲まれた中であろうと、自身の意見をぶつけてきた。そんなロンドにとって、ブルズとのシリーズは選手としてレベルアップしたばかりか、強豪セルティックスを司る正真正銘の司令塔となった瞬間でもあった。
WOWOW NBA解説の石田剛規が語る「1995年イースタン・カンファレンス・セミファイナル第1戦 インディアナ・ペイサーズ×ニューヨーク・ニックス」
「8.9秒間で8得点という尋常ではない活躍をしたレジーミラーの動画は、高校生の頃に出会い、何度も見直したのを覚えています。“普通に考えれば”という常識が覆されるのがスポーツ、そしてNBAの世界なんだと感じた瞬間でした。何が起きこるかわからないNBAプレーオフ、このような語り継がれるドラマにまた出会いたいですね」。