ジョージがNBA1年目を終えた後、ペイサーズがドラフトでレナードを指名
7月25日(現地時間24日)、ロサンゼルス・クリッパーズは、今夏チームに新加入したカワイ・レナードとポール・ジョージの記者会見を行った。
昨季トロント・ラプターズをフランチャイズ史上初の優勝へと導いたレナードは、サンアントニオ・スパーズ在籍時の2014年に次いで自身2度目のファイナルMVPを獲得したリーグ屈指の実力者。
かたやジョージは、オクラホマシティ・サンダー在籍2シーズン目の昨季、いずれもキャリアハイとなる平均28.0得点8.2リバウンド2.2スティールに4.1アシストをマーク。MVPと最優秀ディフェンシブプレーヤー賞(DPOY)の2部門で最終候補に選ばれ、自己ベストと言っても過言ではないシーズンを送った。
過去にDPOYを2度獲得した実績を持つレナードはリーグ最高級のディフェンス力も兼備しており、ジョージとのタッグは攻防両面に秀でた超強力デュオと言っていい。
両者は同じカリフォルニア州で育ち、レナードはサンディエゴ・ステイト大学、ジョージはカリフォルニア・ステイト大学フレズノ校と、大学時代にも競い合ってきたのだが、ジョージはレナードと一緒にプレーすることを「これは運命なんだ」と語った。
ジョージは2010年ドラフト1巡目10位でインディアナ・ペイサーズから指名されてNBAキャリアをスタートさせたのだが、翌11年のドラフト1巡目15位で、ペイサーズはレナードを指名していた。ジョージは当時についてこう振り返っている。
「僕ら(ペイサーズ)がカワイをドラフトした時、僕もインディ(インディアナ)にいたことを覚えてる。それで僕はちょっと混乱してたんだ。僕は2番(シューティングガード)のポジションで、カワイと同じポジションだったからね。(カワイとの)ポジション争いに対してちょっと神経質になっていたんだ」。
レナードがペイサーズにドラフト指名された当時、ジョージはルーキーシーズンを終えたばかり。プレーオフでは全5試合で先発起用されたとはいえ、ジョージが残した成績は平均26.6分6.0得点5.0リバウンド1.0アシスト1.4スティール2.0ブロックと、ディフェンダーとしての役割が多くを占めていた。
もしジョージとレナードがこの時ペイサーズでチームメートになっていたら、今のように両者とも攻防両面に秀でたスター選手になっていたかは微妙。1人が先発に定着し、もう1人はトレードあるいはフリーエージェント(FA)となって移籍していた可能性は十分ある。
「ペイサーズで一緒に成長していくことができていたらなぁ」と振り返る
だが、レナードはドラフト指名された当日に、ダービス・バルターンズ(現ワシントン・ウィザーズ)らと共にスパーズへトレード。代わりにコンボガードのジョージ・ヒル(現ミルウォーキー・バックス)がペイサーズへ加わった。
翌シーズンからジョージは先発に定着し、チームの主力、そしてオールスター選手へと着実に成長。プレーオフではレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)擁するマイアミ・ヒートと何度も激戦を演じ、選手としての評価を飛躍的に高めた。ジョージはこう続ける。
「今となってみれば、僕は僕であり、彼も自身のプレースタイルを確立することに成功した。でも、彼が(ペイサーズに)残って、(NBAで)一緒に成長していくことができていたらなぁと思っていたんだ。だから僕らはまるで一緒にプレーすることになっていたかのように、運命なのかと感じてしまうね」。
ジョージはここ24時間で、「コービー・ブライアント(元レイカーズ)のファンだったけど、クリッパーズが好きだった」「サンダーが僕をトレーしたがっていた」といった発言で疑問や批判が集中。
サンダーのサム・プレスティGM(ジェネラルマネジャー)は26日(同25日)に会見を開き、このジョージの発言を「我々の優先事項にはなかった」と否定。コービーに関する発言でも「本当はレイカーズファンだったんだろ?」といった声が上がっている。
新天地クリッパーズで、レナードと共にプレーできることに興奮を隠せないジョージにとって、これらの発言はクリッパーズに対するリップサービスという意味合いもあったのだろう。
もっとも、ジョージがこれらの発言によって自身のイメージを悪くしたとしても、コート上でやることは変わらない。クリッパーズにフランチャイズ史上初優勝をもたらすべく、レナードと共に攻防両面でハードにプレーし、勝利を積み重ねていくだけだ。