「超えなければいけない壁は、バードとマジックだったんだ。セルティックスに追いつこうとして、レイカーズを捕まえようとしてきたからね」
デトロイト・ピストンズのレジェンド、アイザイア トーマスが5月22日(現地時間21日、日付は以下同)に『Fox Sports』の番組“Speak For Yourself”に出演した。
1981-82シーズンからNBAデビューしたトーマスは、ルーキーシーズンから先発ポイントガードを務め、平均17.0得点7.8アシスト2.1スティールをマーク。キャリア2年目には平均得点を20に乗せ、22.9得点7.8アシスト2.5スティールと活躍。
だがピストンズはトーマスの活躍も実らず、6年連続でプレーオフ出場を逃していた。ピストンズがプレーオフへ返り咲いたのは、名将チャック・デイリーが指揮官に就任した83-84シーズンから。そこから9年連続で出場し、89、90年に2連覇を飾った。
80年代後半からはマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)率いるブルズと激しいシリーズを戦い抜き、3年連続でイースタン・カンファレンスを制したのだが、トーマスにとってチームを優勝へと導くための壁として立ちはだかったのはラリー・バード擁するボストン・セルティックス、そしてアービン“マジック”ジョンソン率いるロサンゼルス・レイカーズだった。
「私たち(トーマスとジョーダン)が互いに若く、健康だった時は84年から90年かな。その時、私にとって彼は本当の競争相手ではなかった。(優勝するために)超えなければいけない壁は、バードとマジックだったんだ。セルティックスに追いつこうとして、(イーストを制したら)レイカーズを捕まえようとしてきたからね。その当時のジョーダンは、私にとっては本物の競争相手とは言えなかったんだ」。
トーマスが振り返ったように、80年代当時はイーストではセルティックス、ウェストではレイカーズが最も多くファイナルへと勝ち上がっており、ピストンズはバード、マジックの時代を終わらせるべく、タフでフィジカルなディフェンスを構築し、“バッドボーイズ”として果敢に挑戦。
ハーフコートバスケットを極めたセルティックス、堅実なディフェンスとマジックが繰り出すファストブレイクを武器に相手チームを打ち負かしたレイカーズが立ちふさがる中、ピストンズはオリジナルをコピーするのではなく、独自のスタイルでNBAに新たな時代をもたらした。
ピストンズが3連覇を狙った90-91シーズン。イースト決勝でブルズはトライアングル・オフェンスを駆使してピストンズを圧倒。ブルズに敗れた後、急降下してしまったピストンズだったが、トーマスは80年代を代表する司令塔であり、NBA史上有数の選手の1人であることに変わりはない。