「ラストショットを決めることができたんだから、私は幸せさ」
6月25日。NBA史上最長となる22シーズン目をプレーしたビンス・カーター(アトランタ・ホークス)が『The Ringer』のポッドキャスト番組「Winging It With Vince Carter」へ出演し、現役から引退することを発表した。
「正式にプロバスケットボールキャリアを終えたんだ」と切り出したカーターは、新型コロナウイルスの感染拡大を防止すべく、NBAが3月12日(現地時間11日、日付は以下同)にレギュラーシーズンを中断することを発表した直後、ニューヨーク・ニックス戦の延長残り13.4秒に3ポイントを沈めたことが決断を促進したと明かしている。
「ラストショットを決めたことが、状況を助けてくれたんだ。もしあのショットが決まっていなければ、少し違う状況になっていたかもしれない。何か心に引っかかるものがあっただろうね。あと1分コートに戻って、1本のショットを……それがフリースローであろうとレイアップだろうと気にしないけどね。選手としてラストゲームをプレーする場合、そのことを知っていようといまいと、『よし、キャリアの中でラストショットを決めてやるぜ』って言いたいものさ。そして私はそういうことができたんだから幸せさ」。
今季終了後に引退することを表明していたカーターだったが、シーズン中断期間に自身の去就について公の場で話すことはなかった。今回引退することを明かすまでの過程について、カーターはこう話す。
「3月11日以来、(引退することは分かってたけど)私は口を閉ざしていた。この日まで話すことはなかったけど、もう引退へと傾いていたんだ。3月の終わりからというもの、僕のバスケットボールキャリアは終わったんだと感じていた」。
新型コロナウイルスによって前代未聞のシーズン中断という事態となったものの、カーターは「がっかりしたことがあるとすれば、シーズンがこのような形になってしまったことかな。でもそれを脇に追いやって、対処するのは簡単だった。自分のキャリアよりも大きなことだったから」とカーターは言う。
「ビンス・カーターはNBAで忘れることのできないインパクトを与えてきました」とコミッショナーもキャリアを祝福
1998-99シーズンにトロント・ラプターズでNBAデビューを飾ったカーターは、新人王を皮切りにオールスターに8度、オールNBAチームに2度選出され、計8チームで22シーズンという長い間、ローテーション入りしてコートへ立ち続けてきた。
2000年のスラムダンクコンテストでは逆回転のウインドミルやエルボーダンク、空中でボールを受け取ってからレッグスルーダンクを叩き込むなどノーミスで超豪快なダンクを連発。同年夏に行われたシドニーオリンピックでは“人間超えダンク”を見せつけ、世界中のスポーツファンへ強烈なインパクトを残した。
41歳で加入したホークスではリーダーとして若手からリスペクトされるメンター(助言者)となり、コート上で指導しつつ、ロッカールームでも声を上げて存在感を示した。NBAチャンピオンという称号には手が届かなかったものの、史上唯一となる4つのディケイド(1990、2000、2010、2020年代)でコートに立ち、43歳まで現役としてバスケットボールをプレーしてきたことが印象的。
NBAコミッショナーのアダム・シルバーもリリースの中で「ビンス・カーターは特筆すべきスキルと共に、NBAで忘れることのできないインパクトを与えてきました」とそのキャリアを称え、「バスケットボールにおける本物のアンバサダーです」と感謝を示していた。
通算2万5728得点はNBA歴代19位で、キャリアを重ねるごとに磨き上げてきた3ポイント成功数は歴代6位の2290本、1541試合出場は歴代3位と、この男がNBAという世界最高のプロバスケットボールリーグですばらしい実績を残してきたことは間違いない。
屈託のない笑顔を交えながら、コート上では勝利のために真摯にプレーし続けたカーター。その長いキャリアを祝福しつつ、多大な感謝を送りたい。