~勝つために必要な3+1つの条件~欧米を知るBT テーブスHCの指導論

親会社から独立し、新たな体制で発進したサンロッカーズ渋谷。チームのタクトを託されたのは、カナダ人のBT テーブスだった。現役時代に日本でプレー、指導者転身後は兵庫ストークス(現西宮ストークス)や富士通レッドウェーブで堂々たる成績を残した。アメリカやヨーロッパのバスケットにも通じ、日本国内で実績を重ねたコーチの招へいからは、クラブの長期的な強化プランがうかがえる。眼鏡とヒゲがトレードマーク、「BTコーチ」と慕われる新指揮官が、SR渋谷に勝ち方を伝授する。

インタビュー=安田勇斗
写真=大澤智子

――まずはここまでのキャリアをお聞きします。出身校であるカナダのウィニペグ大学は、どのようなチームだったのでしょうか?
テーブス カナダの大学は1部しかリーグがなく、ウィニペグ大学は当時、国内でトップ10に入っていました。選手は全員カナダ人でした。

――カナダとアメリカは大学でも交流があったのでしょうか?
テーブス ありました。公式戦ではないのですが、トーナメント戦を戦うことがあったんです。ディビジョン2のチームと試合をすることが多いのですが、ディビジョン1のチームと対戦することもありました。

――ご自身はどんなプレーヤーだったんですか?
テーブス グレート・プレーヤーでしたよ(笑)。もともとはポイントガードで、年を重ねるにつれてポジションが変わり、確か大学を出る頃にはシューティングガードでプレーしていました。以降はずっと同じポジションです。

――大学卒業後、アスリート・イン・アクションというチームに所属しています。
テーブス アメリカに拠点を置く“ツアーチーム”でした。基本的に活動期間は夏で、1カ月ぐらいかけていろいろなところを回るんです。フィリピンの強豪チームや各国のナショナルチームなどと対戦しました。その時は、アメリカのディビジョン1やディビジョン2の選手ばかりで、カナダ人は自分だけでした。

――プロチームなんですか?
テーブス いえ。アメリカではプロに入るにあたって、こうした経験を積むための“ツアーチーム”があるんです。ですので、リーグ戦を戦うことはないんですが、すごくレベルは高いですし、自分としてはとてもいい経験ができました。

――そのチームを経て、日本の黒田電気に加入しました。
テーブス 黒田電気は関西実業団レベルで、それほど有名ではありませんでした。ただサンロッカーズ渋谷の前身にあたる日立大阪(ヘリオス)に対抗心を持っていて、外国人選手を2人獲得しようと動いていました。その結果、中国人選手と自分が加入することになったんです。その当時、自分はカナダのナショナルチームのトライアウトに参加していたのですが、ちょうどそこから漏れたところで(苦笑)。

――日本に来ることに抵抗はありませんでしたか?
テーブス 正直に言うと、特別好きな国ではなかったですけど、来ること自体に抵抗はありませんでした。ただ言葉が違ったのは大変でしたね。日本に来てからはバスケットをすることと、日本語を学ぶことに大半の時間を使っていました。

――実際に日立大阪を倒すことはできたんですか?
テーブス NO(笑)! とても強かったです。

――当時の日立大阪には、現SR渋谷の岡博章社長もプレーヤーとして在籍していたのではないでしょうか?
テーブス はい。そのはずなんですけど、互いに当時のことを憶えていないんですよ(笑)。対戦したとは思うんですけど。

――黒田電気でプレーした後は、ウィニペグ・サンダーに移籍しました。
テーブス ワールドバスケットボールリーグという独立リーグのチームでした。現在、IBLと呼ばれているリーグの前身です。過去にNBAでプレーした選手や、今で言うDリーグ(NBAの下部リーグ)でプレーする選手が、各チームに所属していました。

――その後ドイツへと渡ります。
テーブス この時初めてエージェント(代理人)を介してチームを探し、見つけたのがスタイナー・バイロイトです。そこに初めての外国人選手として行ったのですが、立場としては第3の外国人で、チームと一緒に練習しながら、ユースチームのコーチも務めていました。ここが自分が指導をした一番最初のチームです。

――そのスタイナー・バイロイトを最後に現役を引退しました。
テーブス 実はウィニペグ・サンダーでプレーしていた時、マイク・ビビー(元サクラメント・キングス)の父親で、元NBA選手だったヘンリー・ビビーさんに「もう選手を辞めてコーチをやった方がいい」って言われたんです。試合中にですよ(笑)。ビビーさんはサンダーのヘッドコーチで「まだ若いけど、いいコーチになれる」と言ってくれたんですが、当時はその言葉に耳を貸したくありませんでした。ただバイロイトでの1年目を終えた時に、自分は選手として平均的だと感じ、指導者を目指そうと思うようになりました。それで母校のアシスタントコーチになろうと、カナダに戻ってライセンスを取るための勉強を始めました。

――母国に戻りコーチキャリアをスタートさせて、その1年後には日本に再来日しました。
テーブス 日本人である現在の妻と結婚することもあり日本に戻ってきました。指導者になろうと思っていましたが、最初は神戸で学校の先生として働きながらクリニックなどでバスケットを教えていました。そして、それをきっかけに高校の先生として7年間コーチを務めることになりました。

――それから2011年に兵庫ストークスのHCに就任します。
テーブス 当時の北村(正揮)GMから電話をもらい、ストークスに行くことになりました。

――もともと面識はあったんですか?
テーブス ありませんでした。おそらくストークスのアソシエイトコーチを務めている天日(謙作)さんと私が知り合いだったので声が掛かったんだと思います。天日さんが推薦してくれたのかなと。

――ストークスでは初代HCとして1年目にJBL2で3位、2年目にJBL2で優勝と輝かしい成績を残しながら、翌年、女子チームの富士通レッドウェーブのアソシエイトコーチに就任しました(その翌年からHC)。
テーブス ストークスで優勝し、次は1部リーグで戦う状況でした。そのまま続けることも考えましたが、富士通から良いオファーをいただき、女子バスケットでのチャレンジを決意しました。最初の年は、当時の薮内(夏美)HCを支えるアソシエイトコーチでした。

――富士通では2014-15、2015-16と2シーズン連続で準優勝と上々の成績でした。男女どちらでも結果を残しましたが、指導にあたって男子と女子で違いはありますか?
テーブス 女子を3年間指導した感覚として、女子は異性ということもあってメンタル面のケアが大切ですし、より細かな説明が必要でした。大まかに言うと人間性の部分で、男子はアバウト(笑)、女子は繊細という感じがありますね。ですので、富士通ではケミストリーの部分をとても大事にしていました。

――では日本とカナダやアメリカで違いなどはあるのでしょうか?
テーブス カナダやアメリカの選手はどんな手を使っても試合に勝とうとします。そこは決定的な違いですね。ゲームだけでなく普段の練習、例えば1on1などでもそうです。良いことではありますが、行き過ぎると良くないことも起こったりします(笑)。ただ日本には、その勝ちに対する貪欲な気持ちが足りないように思いますね。

――日本人ならではの良いところは?
テーブス 男女関係なく、学ぶ姿勢や取り組む姿勢は本当に素晴らしい。指導者としては、その謙虚に学ぶ集団を、いかに戦う集団に変えていくかが大事だと思っています。もう一つ、これは良くないことですが、日本人はミスを恐れる傾向があります。他人がどう反応するかを考えてしまうと前に進めません。もっと自由に、自分たちのプレーをしてほしいですね。

――今夏からサンロッカーズ渋谷を率いています。改めて就任の経緯を教えてください。
テーブス 代理人から話がありました。富士通での昨シーズンを終えて、いくつかのお話をもらったのですが、その中でサンロッカーズはとても興味深いチームでした。良い選手がそろっているけど、組織としてはまだまだでもっと良くなると思ったんです。それでHCを務めさせてもらうことにしました。

――アールティー・グイン清水太志郎らが加わりました。補強はご自身の意見も反映されているのでしょうか?
テーブス そうですね。ここで取り組もうと考えているのはヨーロッパスタイルのバスケットです。何人かのシューターを置いて、1人や2人に頼るのではなく全員で戦うスタイルを模索していこうと。

――ここまでの戦いぶりをどう評価していますか(2016年11月3日取材)?
テーブス 良いところが2つあります。一つはディフェンスを強化できていること。もう一つは自分が考えるスタイルに徐々に近づいていることです。オフェンスを機能させるにはまだ時間がかかると思います。ケガ人がいたり、センターがいなかったり、いくつかの問題があるので。
※11月17日にセンターのチャド・ポスチュマスの獲得を発表

――オフェンスはどう改善していきますか?
テーブス インサイドとアウトサイドのバランスを改善しないといけません。今はどちらかと言うとアウトサイドのシュートが多い。もっと外から中にアタックするプレーだったり、センターを入れて中で勝負させたり、そういう攻撃が必要です。

――目標は「Bリーグ初代チャンピオン」と発言しています。
テーブス そうですね。チャンピオンはもちろんですが、まずはファイナルに行くことが重要です。良いゲームをするけど勝てないチームではなく、勝てるチームを作らないといけません。我々が戦う地区には、NBLチャンピオンである川崎(ブレイブサンダース)がいますが、その強豪と対等に戦えるチームにならないといけない。現段階では川崎が自分たちよりも強いと思います。ですが、十分に戦えることは証明しましたし、最終的には彼らを上回れると信じています。

――勝てるチームの条件は何だと思いますか?
テーブス 以前あるコーチから「勝つために必要な条件は3つある」と言われたことがあります。1つは教えること。チームの構造や勝つためのプロセスをしっかり教えるという意味です。2つ目は運。そして3つ目は良い選手。そのコーチは中でも3つ目の良い選手を集めることが一番大事だと言っていました。そこに自分の経験から得た4つ目を足すなら、全員が共通理解を持つことです。私自身はこれが一番大切だと思っています。誰がコートにいても同じようにプレーができる。そういうチームが理想ですね。

――今のSR渋谷にはどの程度浸透していますか?
テーブス パーセントで表すのは難しいですが、徐々に良くなっています。もっともっとコミュニケーションが必要ですけど。NBAはスタッツをとても重要視していて、私もデータを大切にしています。例えばうちはアシスト数が多く、これはボールがよく回っていることを表しています。またディフェンスでもいくつかのスタッツが向上しています。その点からも徐々に浸透している手応えはあります。

――ちなみにブースターの方々には何と呼ばれたいですか?
テーブス 日本に長くいますが、私からこう呼んでほしいと言ったことはありません。ただ、周りからは「BTコーチ」や「BT先生」と呼ばれることが多いですね。

――BT テーブスの「BT」は名前の略称ですか?
テーブス そうです。バーク・テーブス。

――ということは……。
テーブス はい、バーク・テーブス・テーブスと呼ばれていることになります(笑)。小さい頃、「バーク」の発音が難しかったみたいで、「BT」と呼ばれることがあったんです。その呼び名が日本で定着してしまって。だから、BT テーブスって名前はおかしいんですよ(笑)。

――余談ですが、息子のテーブス海君の活躍も話題になっています。いつかはHCとして海君を指導したいですか?
テーブス 海も弟の流河も、指導することはないと思います。約束事というわけではないですが、今は家でもバスケットの話はしないんです。私は彼らに強制してバスケットをやらせているわけではないですし、彼らが好きでバスケットをやっています。もちろん求められればアドバイスはしますけど、彼らのコーチというよりも、父親でいたいと思っています。彼らが高校にいた頃は、週に2回から4回、3人だけでバスケットをしていました。夜に体育館に行って音楽をかけて。海には彼のリクエストに応じてトレーニングメニューを作ったりして、流河はまだ小さかったので遊び感覚で。懐かしい思い出ですね(笑)。

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