最後のNBL新人王であり、Bリーグ元年の今季も高い身体能力とオールラウンドなプレースタイルで、名古屋ダイヤモンドドルフィンズをけん引する若きエース中東泰斗。今年11月に、日本代表初招集を勝ち取った若手注目株は、ウインターカップに忘れられない想いを持つ選手の1人でもある。奈良県出身の中東は、越境入学した滋賀県の光泉高校でウインターカップに3年連続出場。1年次、2年次と苦杯をなめて、迎えた最終3年次の大会での忘れられない悪夢を懐かしそうに、そして、少し悔しそうに語ってくれた。
インタビュー=村上成
写真=Bリーグ
――中東選手にとってウインターカップはどんな大会でしたか?
中東 1年次は全然出場できなくて、2年次に、本当にウインターカップくらいから、試合にちょこっと出してもらえるようになりました。その時も明成高校に負けましたが、全国大会に出ることで自分たちのレベルの低さを痛感させられました。近畿では、そこそこの強さでしたが、全国に出ると全然だなっていう……。最後の3年次は、前日に胃腸炎か何かにかかってしまって。熱がある中、試合して、自分がエースだったんですけど思うようなパフォーマンスができなくて。すごく悔いが残る大会でしたね、3年のウインターカップは。
――ちょっと調子悪いなと前日に思った時はどんな気分でしたか?
中東 いや、もう本当にしんどくて、病院に行くまでに道で5、6回くらい吐きました。試合のことを考えるどうこうじゃなくてぐったりしてました(笑)。
――とりあえず苦しいと。
中東 明日の試合本当に大丈夫かな、くらいです。何とか動けるくらいまで1日で戻して、試合には出場しましたが、もう全然感覚が戻らなくて……。東京体育館って、すっごく暑いんですけど、アップの時には、全部着こんでも全く汗をかかなかった。本当に今日ヤバいなと思いました。具合が悪い中、強行出場しましたけど、終わった瞬間に自分のせいだなって。とにかく自分を責めました。
――もしあの時に、体調が悪くなかったらっていう思いはありますか?
中東 ウインターカップ前までの練習試合ではすごく調子が良かったですし、ベスト4、8は狙えたんじゃないかなと思います。その年の国体でも僕たちは3位になったので、自信はあったんですけど(苦笑)。いかんせん、自分が体調を崩してしまって。自分がエースだったので、本当にやっちまったなっていう感じでしたね。
――それは本当に苦い思い出ですね。
中東 はい(笑)。すごい苦い思い出ですね。先ほども言いましたが、2年次には、優勝した明成高校に負けたので、ウインターカップにはやっぱりいい思い出がないですね(笑)。
――今でも高校の先生に言われるんじゃないですか? 「中東、あの時は……」と(苦笑)。
中東 言われますね、今でも(笑)。「お前が体調崩してなければなあ」と最終学年でしたし、想いも強かったんだと思います。でもまあ、当時のチームメートたちも、今となっては本当に笑い話で、「お前なあ、ホント頼むでー」みたいな感じですね(苦笑)。
――ウインターカップとインターハイを比べると気持ちのウエイトも、ウインターカップの方に偏るものなのですか?
中東 そうですね。自分が下の学年だと、3年生の先輩が出る最後の大会ですし、大会に懸ける想いが違うので、最終学年の気持ちの強さをすごく感じる大会じゃないかなと。自分たちが、3年生だと本当に最後だから悔いを残さないよう一生懸命やるし、後輩たちは、そういう3年生の気持ちを見て、自分たちが3年生を助けてあげられるように行動すると思うので。
――ご自身が高校生の時とは違い、目標の一つとして、Bリーグというプロのリーグができました。そのプロ選手からウインターカップに出る選手にアドバイスをいただけますか?
中東 プロリーグができたということは、高卒からプロになれるチャンスも少なからずあると思うので、そういった面でも、そのパフォーマンス次第で、すぐにプロへの道が開ける可能性もあると思います。だから自分の持ってるものを後悔せず出しきってほしいですね。僕みたいに後悔しないように……。一度きりの高校生活なので悔いだけは残さないようにしてほしいなと思います。
中東泰斗(なかひがし・たいと)/名古屋ダイヤモンドドルフィンズ 背番号12
1992年6月18日、奈良県出身
191㎝/80㎏
滋賀の光泉高校を経て、明治大学に進学。アーリーエントリーで三菱電機名古屋(現名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)に入団し、2015-16シーズンのNBL新人王に輝いた。