2017.06.08
小学4年でバスケットボールの世界に足を踏み入れた男が、高校2年時に「ウインターカップ個人最多得点記録更新」の偉業を成し遂げた。それも、元日本代表の北原憲彦氏がマークした58点を大幅に上回る79点。藤枝明誠高校を初のウインターカップ出場、そして“聖地”東京体育館のメインコートへと導き、絶対的エースに君臨した藤井祐眞(川崎ブレイブサンダース)の高校3年間、大記録が生まれた理由を探った。
インタビュー=酒井伸
写真=兼子愼一郎
――地元の松江市立湖東中学校で全国大会にも出場しましたが、卒業後は島根県を離れて静岡県の藤枝明誠高校に進学しました。
藤井 中学3年になって進路を決める時に県内か県外で迷っていたのですが、やっぱり全中で高いレベルを経験したことが大きかったです。県外の高校の練習に参加していく中で、一番自分に合いそうだと思った高校が藤枝明誠でした。
――親に伝えた時の反応はいかがでしたか?
藤井 「自分の好きなようにしなさい。どこでもいいよ」と言ってくれました。
――入学当初、バスケ部の印象や練習はいかがでしたか?
藤井 西塚(建雄/現新潟産業大学付属高校)先生の下でバスケ部の強化を進めて3年目の新興チームで、優しい先輩が多く、チームメートの大半が県外から来ていたので、すぐになじむことができました。5時30分から朝練があるのですが、学校のテストの結果で走る本数が変わる仕組みだったので、自分はかなり苦しみました(苦笑)。
――高校1年の時から上級生に割って入っていけましたか?
藤井 周りの先輩がうまくて最初は控えでした。監督からは「今のままではスタメンは厳しいぞ」と言われていましたが、東海総体の3位決定戦で調子が良くて長い時間使ってもらい、そこからスタメンに定着しました。
――中学と高校でプレースタイルは変わりましたか?
藤井 あまり変わってないですね。1学年上に藤井佑亮(卒業後に大東文化大学でプレー)さんというめちゃくちゃ点が取れるシューターがいたのですが、その人と一緒に点を取っていました。
――上級生と一緒にプレーすると、控え目になることもあると思います。
藤井 自分はあまりそういうことはなく、うまくて何でもできる中国人の先輩にマークが集まっていたので、比較的自由に思いきりプレーできました。
――高校1年の時には藤枝明誠としても初めてとなるウインターカップに出場し、2回戦で福岡第一高校に75-117で敗れました。手応えはありましたか?
藤井 前半は競っていたのですが、後半に73点も入れられて負けたんです。やれないことはないと思いましたけど、相手との地力の差は感じました。
――自身は大分舞鶴高校との1回戦で19点、福岡第一との2回戦では20点を記録しました。普段どおりにプレーできたのではないですか?
藤井 悪くなかったと思います。初出場にしては緊張もしなかったですし、楽しくプレーできました。
――それから1年後、2回戦の海部高校戦(162-79で勝利)で挙げたウインターカップ個人最多得点記録となる1試合79点が話題になりますが、前日の正智深谷高校戦は16点にとどまっています。
藤井 ダメだった記憶しかないですが、16点も取っているんですね。2回戦の会場に向かうバスの中で、監督から「相手をなめているのか。昨日ダメだったから今日しかないぞ」と怒られ、「80点取ってこい」と本気で言われました(苦笑)。
――言われた時はどう思いましたか?
藤井 最初はふざけてると思いました(笑)。ただ、前日が悪かったので、素直に「はい」と答えました。
――あと1点足りませんでしたが、1回戦を大きく上回る79点を挙げました。コンディションが良かったのですか?
藤井 コンディションよりも気持ちの面が大きく、監督に「80点取ってこい」と言われて試合に送りだされ、試合中も何度も「このままだと80点いかないぞ」と発破を掛けられて、それが気持ちにつながったんだと思います。
――チームとして、藤井選手が80点取るための作戦はあったのですか?
藤井 特になく、基本的に攻めるだけですね。前から積極的に奪うオールコートプレスでスティールして、回ってきたら全部打っていました。自分と兄ちゃん(藤井佑亮の愛称)が点取り屋だったので、自然と2人にボールが集まっていました。
――藤井佑亮選手も歴代4位となる54点です。
藤井 54点もすごいですよね。相手のスコアが79点ですから。海部高校もラン&ガンやトランジション主体のチームでした。前からのプレスを交わして、そのままアウトナンバーで打ってきたので、お互い速い展開のバスケになったと思いますし、だからあそこまで点数が伸びたと思います。
――試合後、監督からは何と声を掛けられましたか?
藤井 監督には、あと1点足りなくて「そういうところだよ。これでは記録抜かれるぞ」と怒られ、「(試合中に)もらったフリースローをわざと落として、誰かが取ったリバウンドをもらってシュートを打てよ」と言われました。
――厳しいですね(笑)。1点足りずに悔しかったですか?
藤井 そうですね。あと2点取ってたら、コービー(ブライアント/元ロサンゼルス・レイカーズ)の記録に並んでいたので(笑)。
――周りからはかなり騒がれたと思います。
藤井 試合後に記者の方と話をしましたが、そこまで騒がれなかったです。逆に今の方が「どうやって取ったの?」と言われます。今年の7月に日本代表の一員として台湾で行われたウィリアム・ジョーンズカップに参加したのですが、試合後のインタビューで台湾の記者に79点のことについて聞かれ、外国でも知られていてビックリしました。
――今後、この記録は更新されると思いますか?
藤井 西塚先生のような監督がいるなら可能性はあると思いますが、いなければ更新はないですね。人とは違う発想や考え方をする監督でないと、更新できないと思います。
――次の試合では、またも福岡第一に負けて敗退となりました。
藤井 トーナメントを見た時に、絶対に福岡第一と対戦するだろうと思っていました。あの時の福岡第一もみんなうまくて、高くて、強かったです。
――最終学年の初戦ではスタメンから外れています。
藤井 ウインターカップ前に腰を痛めてしまい、治っていて大丈夫だったのですが、大事を取ってベンチスタートでした。
――とはいえ約18分間出ています。痛みはありませんでしたか?
藤井 その時は全然痛くなかったです。徐々にプレーしながら、体を慣らしていきました。
――3回戦の大分舞鶴戦でスタメンに復帰し、118-75の勝利に貢献しました。
藤井 次の試合からは、高校に入ってからずっと憧れていたメインコートだったので、勝てて本当にうれしかったです。
――準々決勝は福岡大学附属大濠高校と対戦し、自身は両チームトップの36点を挙げました。
藤井 インターハイでも対戦したので、相手のことは知っていましたし、その時も調子は良かったんです。その時の経験から「今日はいけそうな気がする」とチームメートに言っていて、良いスタートを切れて絶対にいけると思ったのですが。第2クォーターで自分とインサイドの選手がベンチに下がった時、残り5分くらいで一気に攻めこまれてしまいました。前半にリードを保てなかったことが敗因だと思います。
――最終スコア93-99で敗れましたが、結果についてはどのように思っていますか?
藤井 悔いは残ってます。優勝を狙えたチームだったので、まさかベスト8で、という想いが強いです。ただ、悔しかった気持ちよりも、失望感やショックの方が大きかったです。
――今年もウインターカップが開幕します。出場する選手に向けてのメッセージをお願いします。
藤井 高校生ですが、まずは勝ちにこだわること。特に高校3年にとっては最後の大会になるので、悔いが残らないように、全力かつ“高校生らしい”元気さをお客さんに見せることを忘れずにプレーしてほしいです。
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