2019.08.01

東山の米須玲音、何度でも挑む“河村勇輝”という高い壁

インハイ男子準々決勝、福岡第一の河村を上回ることができなかった東山の米須 [写真]=佐々木啓次
本格的に取材を始めたのが「仙台の奇跡」と称された2004年アテネ五輪アジア予選。その後は女子バスケをメインに中学、高校と取材のフィールドを広げて、精力的に取材活動を行っている。

 7月31日に行われた「令和元年度 全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会」の男子準々決勝、優勝候補の呼び声が高い福岡第一高校(福岡県)に近畿チャンピオンの東山高校(京都府)が挑んだ。この対戦は昨年のウインターカップ2回戦以来の再戦で、その時は83-54で福岡第一が勝っている。東山とすれば冬の借りを返すべき対戦となったわけである。果たしてゲームは70-56で福岡第一が勝利した。

 敗れた東山のポイントガード、米須玲音は昨年のウインターカップのことを今もよく覚えている。1学年上の河村勇輝に手も足も出ず、終わってみれば司令塔として屈辱ともいうべき12個のターンオーバーを犯している。河村には3つのスティールをされたそうだ。以来、常に河村を意識し、努力を重ねてきた。6月に行われた近畿ブロック大会でもハーフタイムに河村がプレーする映像を見て、イメージを高めて自らのプレーの精度を上げようとしていた。

 しかし今回も河村を上回ることができなかった。得点もアシストも、そして今回は3つに減ったターンオーバーも河村にスティールされた数はゼロだが、河村はターンオーバーそのものがゼロで上回れなかった。もちろんチームを勝利に導くという最も大切な役割さえも、である。

 しかも序盤はウインターカップでの完敗を強くイメージしすぎたのか、これまでの米須らしくない、やや空回り気味とも思えるドライブを頻発していた。本人は「ウインターカップではアウトサイドのシュートばかりで、しかもそれがタフショットだったので、今回はインサイドで勝負をしようとドライブを意識して練習を重ねてきました」と言うが、そのシュートの精度が低く、結果としてチームを悪循環に陥らせる場面が多くあった。

 それでも後半に入ると、チームメートを活かしながら、隙があれば自らも得点していく本来の米須の姿に戻った。そのため前半が終わった時に11点あった得点差を第3クォーターの終盤には3点差にまで縮めている。米須自身も「ウインターカップに比べると対抗できたと思う」と手応えを口にするが、ライバルであり、越えるべき目標でもある河村はさらにその上を行き、3点差に詰め寄られた直後に米須のファウルを受けながら3ポイントシュートを決めるなど、3ポイントシュートという武器もプラスさせていた。

20得点の河村に対し、米須は10得点を挙げるにとどまった [写真]=佐々木啓次

 米須はそんな河村が高校生のうちに勝ちたいと言う。河村が卒業したあとの高校バスケット界一のポイントガードは米須、ではなく、河村がいるうちに高校バスケット界一のポイントガードは米須、と言われるようになりたいのだ。

「河村さんが福岡第一にいる時に一度は勝ちたいです。今回は勝てるチャンスがあったのにそれを逃してしまいました。今年のウインターカップは河村さんにとって最後の大会になるので、そこだけは譲れません。勝ちたいと言っているだけではダメだとわかっています。しっかりと努力を重ねて、河村さんに対抗するための練習を考えて、これからの練習に取り組んでいきたいです」

 これまでも意識はしてきた。その距離も着実に縮まってきている。米須自身はそんな手応えも得た。あとは、いかにシュートを沈めるか。精度の上がらなかったドライブからのシュートをいかに確実に決めるかである。

「昨年のウインターカップでは悔し涙を流しましたが、今回は勝てると思っていました。でも自分がシュートを外して、自分がチームのリズムを崩してしまった。相手ではありません。抜くことには成功しているので、そのあとのフィニッシュ(シュート)が課題です」

 越えるべき壁が目の前にあって、それを越えようと本気で努力を重ねるからこそ、人は成長していく。変わっていける。米須はまたひとつ、負けの中で自分を高められる“財産”を見つけた――。

文=三上太

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