【トッププレーヤーの高校時代】シェーファーアヴィ幸樹「チャンスは転がっているので、それをつかみ取れるかどうかだと思う」(後編)

三河のシェーファーアヴィ幸樹に学生時代の話を聞いた[写真]=B.LEAGUE

BリーグやWリーグの選手たちに、高校時代のことを振り返ってもらうインタビュー企画、
第12回はシーホース三河シェーファーアヴィ幸樹選手。
高校2年生から本格的にバスケットを始めた同選手が短期間でどのように技術を磨き、
日本代表まで上り詰めることができたのか。前編・後編にわたってお届けする。

インタビュー・文=山田智子
写真=B.LEAGUE

基本を忠実に、チームのために自分にできることを大切にしている

ヨーロッパでの大会を経験したことで、バスケで生きていくことを決意したと話す[写真]=B.LEAGUE

――高校時代、思い出に残っている試合は?
シェーファー
 アメリカン・スクール・イン・ジャパン(ASIJ)というライバル校との試合ですね。ASIJとはどの競技でもライバルで、特に高校3年生の時に、オーバータイムの最後に僕がダンクをして勝ったという試合がすごく思い出に残っています。

 最も自分のレベルアップや自信につながったのは、U19の世界選手権です。準々決勝でイタリアに負けた後の韓国戦、4Qで僕と(八村)塁が初めて同じコートに立ったんです。4Qに入る時に10点差くらいで負けていましたが、そこから6-30で逆転して勝つことができて、すごく自信になりましたし、記憶にも残っています。

――アメリカの大会に出場経験があるので、いわゆる世界の壁というのはあまり感じませんでしたか?
シェーファー
 いや、わりと普通に感じましたよ。アメリカ(の大学)でやっていた時もそうですけど、とんでもない選手がまだまだうじゃうじゃいるんだなという感覚でしたね。

 一番世界の壁を感じたのは、U18で初めて出たアルバート・シュバイツァー・トーナメントという大会ですね。ドイツ、オーストラリア、セルビアなどが出場していました。セルビアはその年すごく強かった。最後にアメリカとも対戦しましたが、フルメンバーじゃなかったので良い試合ができました。ディビジョン1の大学に進むことが決まっている選手ばかりだった中で、全く歯が立たないところもあったんですけど、自分にできることもあったので、すごく手応えを感じました。その試合で本当にバスケをやっていこうと決意しました。

――アメリカへの進学はその大会がきっかけになったと。
シェーファー
 アメリカの大学に行くことは決めていたのですが、普通に学業で行くつもりでした。その大会を経て、本格的にディビジョン1を目指して、バスケでやっていこうと明確になりました。

――その頃、憧れていた選手はいますか?
シェーファー
 当時サンアントニオ・スパーズにいたティム・ダンカンです。スキルに長けていて、基本に忠実でファンダメンタルな選手なので、それを目指そうと参考にしていました。

――シェーファー選手が大切にしているのもそういう基本の部分ですか?
シェーファー
 そうですね。基本を忠実に、チームのために自分にできることを大切にしています。

――バスケを初めて今年で何年目ですか?
シェーファー
 ちょうど6年経ったところで、これから7年目ですね。

――改めて伺うと驚きますね。
シェーファー
 6年も経ったらそんなに変わらないですけどね。もう言い訳はできないので。

――スキル的にはどれくらい周りの選手に近づいていると思いますか?
シェーファー
 ハンドリングやシュート力はまだまだ足りないと感じますし、それと同時に少しずつ上達して追いついてきたという手応えもあります。レブロン(・ジェームズ/ロサンゼルス・レイカーズ)のようにすべてをやれる必要はないので、まずは自分にできること、自分の長所を磨くことに集中して、その中でシュートやハンドリングを磨いて、少しずつ自分にできることを増やしていこうと取り組んでいます。

 人と比べてレベルアップすることは良いことだと思うのですが、比べていたら永遠に終わらない。いくらでも比べる相手は出てくるので。だから、追いついた追いついてないうんぬんではなくて、自分が他の人に勝っているところを考えることにフォーカスするというのが僕の考え方です。

――では、最後に部活生へのメッセージをお願いします。
シェーファー
 今年の夏の甲子園やインターハイもそうですが、高校3年間スポーツに全力で打ち込んできて、目標にしていた大会、次へのアピールの場がなくなってしまったというのは、喪失感や悔しい気持ちでいっぱいだと思います。コロナ禍という誰のせいにもできないことなので、とても辛いと思いますし、何を伝えていいのかすごく難しいですが……これで終わりじゃない。過ぎたことは変えられないので、自分にできること、自分で変えられることに焦点を当てて、次のステージに向けて頑張ってほしいです。

 僕はインターナショナルスクールに通っていたので、インターハイやウインターカップを経験していないですし、経験するチャンスすらもらっていません。そういう意味では、大会以外にもいくらでも方法はあると思います。僕は代表に呼んでもらって、すごくありがたい場所へ連れて行ってもらいましたが、本当にいつ誰がどこで自分を見ているかは分からない。それこそ代々木公園のバスケットコートでやっていたら、もしかしたら代表のコーチが見ていて何かが起こるかもしれない。チャンスはそこらじゅうに転がっていると思うので、あとはそれを自分がつかみ取れるかどうかだと思います。

――シェーファー選手が言うとすごく説得力がありますね。
シェーファー
 いやいや、とんでもない。僕はチャンスがたくさん舞い降りてきたので、ありがたかったです。本当に周りの人のおかげでここまで来られたと感謝しています。

――舞い降りたチャンスに応えてきたからこそ、また次のチャンスに恵まれたのだと思います。
シェーファー
 そうありたいと思っています。

「自分で変えられることに焦点を当てて、次のステージで頑張ってほしい」と中高生へエールを送った[写真]=B.LEAGUE

PROFILE
シェーファーアヴィ幸樹(しぇーふぁーあゔぃこうき)・シーホース三河
兵庫県西宮市出身。高校1年生の時にセント・メリーズ・インターナショナルスクールへ転入し、高2からバスケットボールを本格的に始める。競技を始めてわずか1年でU18トップエンデバーに招集されると、2016年のFIBAアジアU18選手権や2017年FIBAU19ワールドカップに出場。その後A代表に選出され、2019年に行われたFIBAワールドカップで日本代表史上最年少で大会出場を果たした。206センチ106キロの恵まれた体格を生かし、インサイドで攻守にわたって貢献する。今シーズンはスリーポイントシュートも効果的に沈めており、バランスの良い選手へと成長している。
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