復帰戦で39得点。ドライブとユーロステップでアピール
昨年末、6度目のウインターカップ制覇に輝いた仙台大学附属明成高校。その舞台で196センチのビッグガードを務める菅野ブルースは膝のケガのためにベンチで声援を送っていた。同じく主力で、3ポイントのシュート力と跳躍力が光る3年生の加藤陸(拓殖大学に進学)も大会直前に指を骨折したためにエントリー変更で応援席にいた。主軸2人を欠いた明成は、得点が伸びない苦しい場面もあったが、それでも、それぞれが「自分がやる」という強い意志で一丸となり、最後まで粘ることで日本一を達成することができた。その姿を見た菅野は「仲間たちの頑張りに本当に感動しました。自分も早く復帰をして、迷惑かけた分も取り返したい」と誓いを立てていた。そして、年明けから対人練習を始め、3月13日に岩手県釜石市で開催された盛岡市立との試合(復興祈念ドリームマッチ)で復帰のときを迎えたのだ。
復帰戦では新2年生の内藤晴樹、八重樫ショーン龍とともにガードトリオを形成して攻撃を展開。コーストトゥコーストでのドライブや3ポイントシュートを決めて39得点と大暴れした。だが本人は「スピードもディフェンスの足の動かし方もジャンプ力もまだまだ戻っていない」と納得はしていない。それでも、佐藤コーチが「今までは怖がっていた横のステップが踏めるようになったのは大きな前進」と言うように、颯爽と走り抜けるユーロステップで相手を抜き去る姿に会場はどよめき、完全復帰間近の様子がうかがえた。
陸前高田市出身。地元岩手での復帰戦に込めた思い
菅野は岩手・陸前高田市出身。日本人の母とアメリカ人の父を持ち、アメリカで歌手活動を行っていた母・陽子さんの仕事の関係でニューヨークにて生まれ育ったが、2011年3月の東日本大震災を機に、小学校2年次から母の実家である陸前高田市に移り住むことになった。来日当時は英語しか話せずに苦労したが、逆に今では日本語のほうが得意なほどに上達。アメリカでNBAを見て育ち、地元の高田ミニバスケットボールスポーツ少年団に入団してバスケに夢中になり、「小学校6年(2015年)のときに見たウインターカップで八村塁さんに憧れて、明成で日本一を目指したかった」(菅野)と、隣県にある宮城県の明成に進学。1年次よりガードのポジションに挑戦している。
「自分は10年前にはアメリカにいたので震災を経験したわけではないのですが、震災直後に陸前高田に来て、沿岸地域の大変な状況を知りました。また、陸前高田で生活を始めたときは日本語が話せず大変だったのですが、地域の方々がよくしてくれたので本当に感謝しています。この試合には中学までお世話になった方がたくさん来てくれたので、自分がバスケットをすることで勇気と元気を与えたかった」とドリームマッチの意義を語っていた。
また菅野にとっては、自分が育った岩手で復帰戦を飾れたことも大きな意味を持つ。「復帰戦が岩手でできたのはいい経験だし、とてもうれしい気持ちがありました。昨年のウインターカップでプレーできなくて本当に悔しかったので、自分が高校生らしく元気いっぱいにプレーしている姿を後輩のミニバスの子たちに届けて、僕も頑張っているよと伝えたい思いでプレーしました」
エースナンバー『10』をつけて挑む高校最後の年
昨年はケガとの戦いだった。春先から左足の中足骨骨折で5カ月間リハビリを行い、中学時代から右膝の皿(膝蓋骨)が亜脱臼気味だったことから膝のリハビリも同時進行で進め、10月のウインターカップ予選で復帰。しかしその直後に膝の痛みが再発したことで、将来性を重視する決断から11月に手術に踏み切った。そのためウインターカップは無念の欠場となり、結果的に1シーズンを通してリハビリの日々を送ることになった。だがその間には弱点だったフィジカル強化をするためにウエイトトレーニングに精を出し、体重はこの1年で7~8キロ増加して今では90キロ目前。ベンチプレスは80キロだったのが100キロまで上がるようになった。現在の菅野の姿を見て、中学時代、ジュニアオールスターで岩手代表としてともにプレーした盛岡市立のキャプテン佐々木響也は「一回りも二回りも体が大きくなって別人のよう」と驚きを隠せなかったほど。それほど、今年にかける意気込みは人一倍大きいのだ。
今年は2年間つけてきたエースガードの背番号『6』から、シューターや点取り屋のエースナンバー『10』をつけることになった。「先輩の(山内ジャヘル)琉人さんように爆発するプレーを受け継ぎ、得点もディフェンスもゲームの組み立ても全部やる意味でもらった番号だと思います。でもまだ自分は(チームのテーマである)狂犬にはなれていないので、牙を剝き出しにしてハングリー精神を持って、自分が先頭に立ってチームを引っ張るんだという意識で、最後の1年に気持ちを込めて戦いたい」と抱負を語る。ビッグガードとしての可能性を爆発させるのはこれからだ。
文・写真=小永吉陽子