2021.02.19

『18歳の自分』Vol.1八村阿蓮(サンロッカーズ渋谷)「高校時代はバスケット=青春。それが一番幸せだったんだなと思います」(後編)

高校の3年間を振り返った八村阿蓮(サンロッカーズ渋谷)[写真]=B.LEAGUE
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「18歳」――。この言葉を聞くと人はみな、どのようなシーンを思い出すだろう。Bリーグの選手たちも様々な「18歳」を経てトップリーグのコートに立っている。ここでは3人のBリーガーに18歳当時や高校時代の思い出を語ってもらった。

 第一弾はサンロッカーズ渋谷に加入した八村阿蓮。後編では明成高校(宮城県/現仙台大学附属明成高校)でのオフの過ごし方や現役高校生へのアドバイス聞いた。

佐藤コーチは変化球を投げない
全部ストレートで心に伝えてくる

――高校時代、佐藤久夫コーチから「一番言われた」というような言葉はありますか?
八村 いろいろと言われすぎて…(笑)。でも、「お前がチームの中心になってやるんだ」ということはよく言われました。

――技術面やメンタル面など、どういった指導を多く受けましたか?
八村 圧倒的にメンタルが多いですね。当時、チームのみんなが、ミスすると人任せになってしまうところがあったので、佐藤先生はそういうところで自信を持たせてくれるような指導をしてくれていました。

――名将・佐藤コーチの指導、言葉などにも重みがあるのではないですか?
八村 佐藤先生は、変化球を投げないというか、全部ストレートで心に伝えてくる声掛けをしてくれるので、そういったことが自信にもつながったと思いますし、優勝できたのだと思っています。

――プレーにおいて、高校3年間で伸びたことなどありますか?
八村 体も大きくなりましたし、スキルも習得できました。その中でもやっぱり一番は外からのプレーですね。1年生の時からやり始めたのですが、僕がマッチアップするのは2メートルの留学生なので、そこを攻めるために3ポイントシュートやミドルシュートの練習をたくさんしたことは覚えています。

――そういった練習の積み重ねは今の東海大学、Bリーグでも生きていますか?
八村 そうですね。高校3年生の一年間で努力して習得したものだと思います。

オフの日は公園でキックベース
「貴重なオフですが、体を動かしていました(笑)」

――高校での寮生活などで楽しかったことはありますか?
八村 たまにオフがあるのですが、その時はみんなで近くの公園に行って“キックベース”をしました。それを鮮明に覚えてますね。貴重なオフなんですけど、結局体動かして、ガチでやっていました。僕は結構インドア派で、家でゴロゴロしたい方なのですが、みんなに連れられてという感じでした。

――先輩たちも同じようにキックベースなどしていたのですか?
八村 僕らが1年生の時の3年生が近くの公園で遊んでいて、そこに一緒に行っていました。気分転換のためにやってましたね。

(明成は)上下関係も厳しくなかったので、チームメートの仲は良かったです。(一つ下の)後輩の田中裕也(中央大学)もスタートで一緒に出ていたのですが、意見をしっかり言ってました。

――当時、いつも楽しみにしてたことなどはありましたか?
八村 近くに『おもと』というラーメン屋があって、そこのトマトラーメンがめっちゃ美味しくて。たまに食べに行っていました。先輩に連れて行ってもらって(そのお店を)知って、仲のいい友達何人かで行ってました。

――寮のご飯で思い出はありますか?
八村 たまに焼肉が出ました。ホットプレートで肉を自分たちで焼いて食べるのですが、それが一番美味しかったです。

――(明成高校のある)仙台はご飯も美味しそうですね。
八村 そうですね、でも、僕は当時、牛タンを食べたことなくて。大学2年生くらいの時に初めて食べたら美味しかったので、高校の時に食べておけばよかったなと思いました。

――話は変わりますが、今年度のウインターカップでは母校が阿蓮選手の時以来となる優勝を果たしました。
八村 自分もあの舞台でああやって優勝したんだなぁと思って、感動しましたね。試合には明成対福岡第一高校(福岡県)の試合だけ、(会場に)見に行きました。

 今年の3年生は、僕たちの優勝を(入学前に)応援席で見ていた代なので、そういったこともあっていい刺激になりました。ずっと明成は応援していたいチームなので、できれば見に行きたいという思いはあります。

――高校生活を振り返って、どんな3年間でしたか?
八村 普通の高校生とは違い、バスケットが青春みたいなところがあったのですが、それが一番、僕にとっては幸せなことだったんだなと思います。

――新型コロナウイルス感染症の影響で、八村選手も今の高校生と同様、練習や試合ができない期間が続きました。
八村 昨年の3月から7月頃までは練習ができず、体育館も使えなかったのですが、自分で時間を見付けてウエイト練習とかしていました。スポーツ選手は大会を目標として練習を組んだり、ウエイトしたりすると思うので、いつまで(コロナの状況が)続くか分からなくてすごく難しい時期でした。でも、練習ができない時こそ、周りと差をつけるチャンスですし、大会が始まるまでの準備期間だと思ってやっていました。自粛期間は体重も少し増えてしまったのですが、ウェイトトレーニングやラダー、坂道のダッシュなどを学生トレーナーの指導のもとでやってきました。そういった環境は恵まれているなと感じています。

――最後に、今の高校生たちに向けてアドバイスなどをお願いします。
八村 僕の高校時代はバスケット=青春、バスケットが中心に回っていましたが、バスケット以外でも何か楽しいもの、好きなものを見つけるといいと思います。友達との関係でも何でもいいので、そういったことを見付けるのが大事だと思います。

サンロッカーズ渋谷の特別指定選手としてBリーグで奮闘する八村阿蓮[写真]=B.LEAGUE

八村阿蓮(はちむら あれん)
198センチ・98キロ/PF/1999年12月20日生まれ/梅丘中学校→明成高校→東海大学(3年生)/梅丘中では全国大会に出場。卒業後は兄の塁(ワシントン・ウィザーズ)が所属する明成高校へ進み、3年生の時には大黒柱としてウインターカップ優勝に貢献した。東海大学ではインカレ優勝などトップレベルで活躍を見せており、今季はサンロッカーズ渋谷に特別指定選手として加入している。

取材・文=田島早苗

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