2021.06.30
「18歳」――。この言葉を聞くと人はみな、どのようなシーンを思い出すだろう。Bリーグの選手たちも様々な「18歳」を経てトップリーグのコートに立っている。今回は3人のBリーガーに18歳当時や高校時代の思い出を語ってもらった。
第2弾は新潟アルビレックスBBを引っ張るベテランの五十嵐圭。地元・新潟から福井県の強豪校である北陸高校へ進学したいきさつや当時のことを聞いた。
――今回のテーマでもある「18歳」と聞いてどのようなイメージが沸きますか?
五十嵐 『若いな』という印象ですね。18歳というと高校生なので年齢的にもまだまだ若いのかなと感じます。自分が歳をとったので、そう感じているのかもしれないですけど。
――当時の五十嵐選手は名門の北陸高校(福井県)に所属していましたが、どのような高校生活でしたか?
五十嵐 18歳に限らず、高校3年間はバスケット漬けの毎日だったので、もちろん、高校生活も楽しみながらですが、本当にバスケットボールを中心にした、今とはまた違う生活だったと思います。
――新潟を出て北陸高校に進んだキッカケは何だったのでしょうか。
五十嵐 通っていた中学校は、新潟県内でもバスケットが強いチームではなく、やっと県大会に出られるくらいでした。それでもたまたま、バスケット部の3学年上の先輩と1学年上の先輩が北陸高校に進学していたというつながりがあって。特に1つ上の先輩は僕自身、バスケット始めるキッカケになった先輩でもあり、目標としていました。あこがれていた先輩が北陸高校に進んだこともあり、どちらかというと、その先輩を追いかけてというような感じで進みましたね。
――自ら志願して行ったのですね。
五十嵐 新潟県の高校からオファーがあったわけでもありませんでしたし、中学の夏の大会が終わった後、(1つ上の)先輩のつながりで富山に来ていた北陸高校の試合を見にいかせてもらう機会があったんです。夏休みだったこともあり、そのまま一緒に福井に行って、何日間か練習をさせてもらいました。
全国大会の常連で名門でもあったので、どういう感じなのかなという興味があった中で練習に参加しましたが、自分自身が通用するしないではなく、とにかく「こんなに上手い選手たちがいるんだ」とか「こんなにレベルが高いんだ」といったことを感じて。それが逆に北陸高校に進む決め手になったというか、「こういうところでやってみたい」という思いがすごく強くなりましたね。
大人になってから聞きましたが、両親は(練習に参加した)その数日間で諦めるんじゃないかと思ってたみたいで。でも、僕自身が北陸高校に行きたいという思いを伝え、両親は何も言わずに応援してくれたので、とても感謝しています。
(中学までは)全国大会に出たこともなく、県大会に出ることを目標にしていたぐらいのレベルでしたが、自分自身はそれ以上に、どうせやるのであれば名門と言われるところでやってみたいという思いがありました。できるできないというよりは、やってみたいという思いの方が強かったのかなと思います。親元離れるとかは全く考えていなかった中で、今思えばよく行ったなと思いますけど。
――実際に入学してからは大変でしたか?
五十嵐 (中学3年生の)夏に、先輩づたいに「行きたいです」ということを当時の津田洋道監督に伝えてもらって、そこから話を進めてもらいました。それで年が明けた1月、ウインターカップ後に岐阜でやっていた(交歓)大会に来てみないかと言われ、チームと一緒に行動し、確かそこで試合にも出させてもらったと思います。
3月には親元離れて福井での下宿生活が始まって。アルバルク東京が使っている府中(東京都)の体育館で、高校の何チームかが集まってする試合(遠征)にも一緒に参加していました。そういった感じで段々と(北陸高校の)環境に慣れていきましたね。
同級生は全中(全国中学校大会)に出ていたりとか、ジュニアオールスターに出ていたりした選手が何人もいました。
――その中でポジションを獲るのも大変だったのでは。
五十嵐 津田洋道監督は新しいもの好きというか(笑)。1年生を試しに使うところがあるので、4月に入学してすぐに福井県内の大会があったのですが、その時に監督が自分のことを結構使ってくれました。だから周りがどうこうよりも、まずは自分自身がそのレベルに達しなければいけないなと思っていましたね。とにかく毎日の練習を頑張っていた中で、試合の時には監督が使ってくれたという思い出があります。
――高校時代の自分自身のウリ、武器といったものは?
五十嵐 高校時代の“武器”というのは…。自分がスピードあるとはあまり思っていなかったですし…。ポジションも1、2年生の頃はどちらかというと点を取るシューティングガードのような感じでした。とにかく点を取ることを意識していていました。
ポイントガードは3年生からで、インターハイでたまたまスタメンだった下級生(のガード)がケガをして、インターハイでは即席でポイントガードをやって。本格的には3年生の国体くらいですかね。身長もそんなに大きくはなかったので、高校、大学とバスケットを続けていくうえで、ポジションをチェンジしなければならないとは僕自身もなんとなく思っていた中で監督がポイントガードになるようにしてくれたというか。
北陸高校といえば(卒業生に)佐古賢一さん(元日本代表/現日本代表アシスタントコーチ)がいて、監督の中でもポイントガードといえば『佐古賢一』のイメージは強かったと思います。僕のポジションチェンジはその監督が仕向けてくれたような感じでした。
――当時の得点パターンは?
五十嵐 『運動量で』という感じで、コート内を走り回って我武者羅にプレーして、レイアップシュートにいったり、3ポイントシュートやジャンプシュート打ったり。『これが武器』というのは個人的にはあんまり思っていなかったですね。
だから大学とかトップリーグに入ってから、「高校の時から速かったよね」などと言われても自分ではあまりそれを意識していなかったので、しっくりこなかったです。
――北陸高校のガード陣は運動量豊富な印象があります。
五十嵐 多分、今の若手というか、篠山(竜青/川崎ブレイブサンダース)や多嶋(朝飛/レバンガ北海道)、石崎(巧/琉球ゴールデンキングス)あたりはそうですよね。
僕がいた頃は、日本人のビッグマンだったり、中国人の留学生だったり、ビッグマンが2人いて、その周りにガード、フォワード陣がいる。大学とか当時のトップリーグのような布陣でした。
当時の高校で主流だったのは、田臥(勇太/宇都宮ブレックス)がいた能代工業高校(秋田県)や仙台高校(宮城県)などのアップテンポな速いバスケ。(北陸は)それに逆行していたというか。大学に入ってから思ったのは、ハーフコートバスケットまではいかないにしても、(北陸は)大人っぽいバスケットをしていたなということでした。
――津田監督から学んだことで印象に残っていることなどありますか?
五十嵐 先輩や後輩でも結構怒られた人はいたのですが、僕はあまり言われなかったというか。監督はどういう風に育てようと思っていたのか、それとも全く期待してなかったのかどっちかわかりませんけど…。怒られてというよりは自由にやらせてくれました。多分、北陸では珍しい方だとは思います(笑)。
取材・文/田島早苗
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