2021.02.27

『18歳の自分』Vol.2五十嵐圭(新潟アルビレックスBB)今の高校生たちへ――『目標を持つことは大切』(後編)

新潟アルビレックスBBの顔としてチームを引っ張る五十嵐[写真]=B.LEAGUE
フリーライター

「18歳」――。この言葉を聞くと人はみな、どのようなシーンを思い出すだろう。Bリーグの選手たちも様々な「18歳」を経てトップリーグのコートに立っている。今回は3人のBリーガーに18歳当時や高校時代の思い出を語ってもらった。

 第2弾は新潟アルビレックスBBを引っ張るベテランの五十嵐圭。高校時代の休みの日の過ごし方や成長した面、さらには現役高校生へのメッセージをもらった。

14、15人が入部も最後に残った同級生は4人
朝起きたら(仲間の)荷物がないことも…

――さて、前編では北陸高校入学のいきさつなどを伺いましたが、当時寮生活で楽しかったことなどはありましたか?
五十嵐 僕が通っていた時は休みも少なくて。一週間の中で唯一の休みが日曜日の午後で、それ以外は毎日(平日は)16時から21時の5時間くらい練習して、なおかつ朝練や自主練習もやっていたので、本当に体育館と下宿だけの生活でした。

 下宿生活も親元離れて生活をするのが初めてでしたし、練習も辛かったし、学校生活もあったので、すごく大変ではありました。僕の同級生は最初入ってきた時は14、15人ぐらい。段々と辞めていって最後は4人しか残らなかったです。

 寮が電車の音とか聞こえるぐらい福井駅から近かったので、それでホームシックになる選手もいて。朝起きたらもう(仲間の)荷物が無くてという感じが当たり前というか、そういう世界でした。

――そういった中で五十嵐選手自身、厳しい環境を乗り切れた要因は?
五十嵐 やっぱり楽しかったんだと思います。辛いことの方が大半ではありましたが、インターハイで優勝したい、バスケットが上手くなりたいという目標があったので、なんとか3年間乗り切れました。

 バスケットを本格的にやり始めたのが中学生で少し遅かったこともあって、なおかつ高校で高いレベルでやれるというのが、付いていけるかという心配よりも楽しいという方が上回った。その思いがずっと続いていますね。もちろん今もそうです。プラスしてもっともっとうまくなりたいという思いを高校時代から常に持っているので、その気持ちがあるからこそ今もこの年齢まで続けられているのかなと思います。

――向上心が今の五十嵐選手を作っている?
五十嵐 そうですね。向上心とかうまくなりたいとか、もっともっといい成績残したいという思いがなくなった時はもう引退かなと思っているので、その思いを持っている以上は、現役を続けたいと思います。ただ、プロである以上は思いを持っていてもコートの中で結果が残せなければ、プロの世界は結果が全てだと思うので、その結果を残しながらもっともっと現役を続けられるようにしたいと思いますね。

――高校時代の話に戻りますが、休みの日の楽しみは?
五十嵐 日曜午後の唯一休みは、練習後に学校の近くにある定食屋で好きなもの食べて、そこから福井駅前に遊びに行っていました。デパートとか当時のファッションビルに行って、マクドナルドにも行って。それが唯一の楽しみや気分転換のような感じでしたね。

――北陸高校は他競技の部活動も盛んですよね。

五十嵐 僕がいたころはハンドボール部が強くて、1つ上の代がインターハイ優勝、僕の代が準優勝というレベルでした。バレー部も、野球部も全国大会に出れるか出れないかくらいのレベルでしたね。

(他競技の)クラスメートで仲の良い人もいましたが、休みが全く合わないんですよね。休みに会って遊ぶほどみんな元気もなかったと思いますよ、疲れ果てていて(笑)

 一緒にどこか行くというのは、3年生のウインターカップが終わってからですかね。部活動をしていなかった友達と学校が終わって遊びに行くというような高校生活を初めて体験したのもその1カ月間でした(笑)

 もうあんなバスケット漬けになることはないだろうなという3年間でしたが、一番成長できました。親元を離れて、僕らの時代はまだ体育会系で年功序列、上下関係もかなりあったので、目上の人に対する言葉使いやどういった行動をしないといけないかなど、『人としての基本的なところ』を3年間でしっかり学ぶことができたと思います。もちろん、理不尽なこともたくさんありましたけど、それがバスケット以上に自分の人生において成長させてくれた3年間だったと思っています。

バスに貼ってあった佐古賢一の代の写真と
『目指せ日本リーグ』の文字

――高校時代にトップリーグでプレーすることをイメージしていましたか?
五十嵐 全くしていなかったです。ただ、当時、北陸高校は移動する時にバスを使うことが多かったのですが、バスの後ろに佐古さん(賢一/現・日本代表アシスタントコーチ)たちがインターハイで優勝したときの写真が貼ってあって、そこに『目指せ日本リーグ』(※当時のトップリーグ)と書いてあったんです。漠然と自分もそういうところでプレーできたらいいなと、目標というよりも夢みたいな感じでは思っていましたね。

――バスケット選手になっていなかったら何になっていましたか?
五十嵐 接客業とかじゃないですかね。アパレルとか接客業に興味があったし、姉が美容師をやっていたので、そういった影響もありますね。

――今回、高校時代の思い出の品に『北陸』と刻印されたボールをあげていただきました。
五十嵐 中学3年生の夏に、練習に参加させてもらった時、当時中学での使用球と高校のものとは大きさが違うこともあって、「これを持って帰って練習しておけ」みたいな感じであのボールをもらったんです。

 新潟に戻ってからすぐ塾に通うのを止めて、大人の方たちのクラブチームなどに(混じって)、体育館に通うようになって。生活が一変したというか、北陸に行く準備をし始めるキッカケでもらったボールです。実は実家には(バスケ関連のものが飾ってある)自分のギャラリーがあるのですが、そこに置いてあります。

 僕自身、運が良かったと思います。周りにはうまい選手がたくさんいる中で、1年生の4月からずっとスタメンで使ってもらえて。それは自分の技術や実力というよりも津田洋道監督が使ってくれたおかげで、それで今の自分があると思っています。本当に感謝しても感謝しきれないくらいですね。

北陸高校時代の五十嵐と思い出のボール[写真]=本人提供

――今回のテーマでもある18歳。当時の自分へメッセージを送るとしたら。
五十嵐 もっといろんなことを勉強する。特にバスケットに関して、今でさえ高校生でもウェイトトレーニングが当たり前になってきてますが、当時は筋トレもしていなかったので、そういった身体作りや、あとは技術的な基本的なことをもっとしっかりやっておいたらよかったなと思います。

 プロになると基本が一番大切だと感じますね。基本的なことをやっている選手が今も残っていると思いますし。基本的なことをしっかりとやっておく必要があったのではないかなと感じています。

――最後に、今はコロナ禍で思うように試合や練習ができませんが、現役の高校生たちへのメッセージをお願いします。
五十嵐 自分が高校生のころと違い、今は練習のやり方や筋力トレーニングに体幹トレーニングなど色々な情報が入ってきやすい時代になっています。Bリーグに近い練習などを取り入れているところも多くなっているし、高校生から特別指定選手でいろんな選手がBリーグにも入っています。

 今はBリーグができて明確な目標が自分たちの頃よりはできたと思うので、そこに向けてできることはたくさんあると思います。その中で、やはり基本的なことはプロになった自分たちでも毎日やっていることなので、高校生だと試合をすることの方が楽しいと思ってしまいますが、基本的なこともやり続けてほしいと思います。

 高校時代からやり続けていくことで、高校からプロの世界に行くというような選手も今後もっと生まれてくると思います。可能性も大いにあると思うので、基本的なことを忘れずに、目標を持って取り組んでいってもらいたいです。

 あとはコロナ禍で小学生であれば6年間、中学生であれば3年間、高校生も3年間、大学生では4年間と限られた期間の中でしかできないこともたくさんある中、今までやっていたものが変わってしまい、大会などもできなくなって生活が一変してしまったと思います。バスケットを(前のように)やれる環境になるには今後どれくらいの期間がかかるか分からないですが、戻ってくると思いますし、一人の人間としては今後もっともっと長い人生が待っています。辛い思いをしている学生の子たちもコロナに一喜一憂するのではなくて、今後の自分の人生の一つの出来事だったと思えるように、また新たな目標を立てて頑張っていってもらいたいと思います。

 それが将来バスケットボール選手になる、Bリーガーになるといった目標であれば、今現役である僕にとってもうれしいことですし、やっぱり目標を持つことは大切だと思います。小さな目標でも大きな目標でもいいと思います。

 僕自身、学生の頃から手の届きそうな目標を掲げてそれを一つ一つクリアして過ごしてきたので、そういった目標を立てながら最終的には大きな目標や夢に近づいていくことで人としても成長してほしいです。コロナ禍の中でも目標を持っていれば成長できると思うので、そういった思いで取り組んでほしいと思います。

五十嵐圭(いがらし けい)
180センチ・73キロ/PG/1980年5月7日生まれ/直江津東中学校→北陸高校→中央大学→日立→トヨタ自動車→三菱電機→新潟アルビレックスBB/北陸高校で全国デビューを果たすと、中央大学ではインカレ準優勝という成績を残す。その後、日立サンロッカーズ(現・サンロッカーズ渋谷)に入団。日本代表にも選出され、2006年に日本で開催された世界選手権では司令塔として奮闘した。現在は新潟アルビレックスBBにて活躍中。大きな存在感を放っている。

取材・文/田島早苗

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