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『B MY HERO!』
2024年12月31日、桜花学園高校の井上眞一氏が逝去した。享年78。
愛知県出身で、1980年から愛知県名古屋市立守山中学校を全国中学校バスケットボール大会6連覇(現在でも最長優勝記録)を達成した後、名古屋短期大学付属高校(現・桜花学園高校)の監督の就任。1986年、就任1年目で岡山インターハイに優勝すると、インターハイで25回、国民体育大会(現・国民スポーツ大会)で22回、ウインターカップで24回、高校タイトル71回の優勝を果たし、同校を屈指の強豪校に育て上げた。
ただそれにあぐらをかくわけではなく、常に世界バスケのトレンドにアンテナを張り、気になる指導者には国籍・年齢に関わらずアドバイスを請うこともしばしば。勝利への執念は強いものの、バスケへの取り組みには柔軟性があり、それが強さの大きな要因となっていた。
卒業生にはアトランタ大会に出場した山田かがりさん(当時シャンソン化粧品)を筆頭に、トヨタ自動車の大神雄子ヘッドコーチ、髙田真希、渡嘉敷来夢、三好南穂、馬瓜エブリン、山本麻衣、馬瓜ステファニーがおり、オリンピアンを輩出。その他にも日本リーグ(Wリーグ)、大学などで多くのOGが活躍したことでも知られている。
ファンダメンタルを徹底的に叩き込む厳しい指導法で知られる井上氏だったが、体育館の横にある寮に戻れば、練習時とは対照的に生徒たちと笑顔で接し、食事もともにする父親のような一面を持っていた。卒業生たちの進路にはひときわ気を配り、卒業後も関係性を大切にしてきた。それもあり、バスケシーズンが終わると井上氏のもとに卒業生たちが集い、それを笑顔で迎え入れることを常とした。
また、アンダーカテゴリー代表のコーチとして日本代表の強化にも貢献。現在ではアンダーカテゴリーの代表がほぼ毎回アジア予選を勝ち抜き世界大会に出場しているが、そのための環境整備や後進の指導者の育成にも気を配った。一方、韓国や台湾の指導者とも交流があり、国境を越えてライバル国の高校生たちへ指導することもあったという。
「バスケが好きになってくれれば、どんな子でも教えたい」と口にしていた井上氏のもとには卒業生以外も相談に訪れることもあった。バスケを愛する井上氏を慕う人たちが多かっただけに、その死を惜しむ声が多く聞かれる。
葬儀は家族葬で行い、後日、お別れの会が行われることになっている。