インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。
文=斎藤寿子
現在、車いすバスケットボール女子日本代表のキャプテンを務める藤井郁美(SCRATCH/宮城MAX)。その彼女が「将来、日本を牽引する存在」として期待を寄せているのが、柳本あまね(カクテル)だ。2019年のアジアオセアニアチャンピオンシップス(AOC)まで、代表メンバー12人の中ではずっとチーム最年少の彼女だが、今や不可欠な存在の一人となっている。
「二度とあんな思いはしない」と誓った15年AOCが原動力に
柳本のプレーを初めて目にしたのは、今から6年前の2015年11月。その1カ月前に行われたリオデジャネイロパラリンピックの予選で敗れた女子日本代表は、すでに東京パラリンピックを目指してスタートしていた。その最初の強化合宿で、目に飛び込んできたのが、柳本だった。
高校2年生だった彼女は、まだ表情にはあどけなさが残ってはいたものの、ゲーム形式での練習では、小柄ながらスピードがあり、シュートフォームも見ていて気持ちのいい柔らかさが感じられた。
聞けば、すでに高校1年生の時から日本代表に選ばれ、14年にはアジアパラ競技大会にも出場していた。ところが、リオパラリンピック予選を兼ねた15年のAOCのメンバーからは惜しくも外れたのだという。それでもその悔しさを糧にして、練習してきた成果がすでにその合宿で表れていると、当時のHCも大きな期待を寄せていた。
その時のことを訊くと、柳本はこう答えてくれた。
「実は14年に代表の合宿に呼ばれるようになってから今日まで、メンバーに入ることができなかったのはリオ予選の一度きりでした。でも、だからこそ当時の私には、どこかで過信があったのだと思います。予選のメンバーから外れたことを知ってからは、日に日に悔しさが増してきました」
予選を見ながら、「何をどうしたら、この舞台に立てるのだろうか」と考え続けたという柳本。出た答えが『意識改革』だった。
「急にシュートの確立やパスの精度を上げるということは無理だけど、意識を変えることは今すぐにできるはず、と思ったんです」
地元の男子チームの練習にも参加させてもらうようにお願いをして練習日を増やし、できるだけ早めに体育館に行って、個人練習の時間に費やした。また、1回1回の練習を大事にし、言われたことはその場でメモを取るようにしたのも、この頃からだった。
「二度と、あんな思いはしない」。 あの時の悔しさをひと時も忘れたことはないという柳本。今も一番の原動力となっている。
満身創痍で戦い続けたAOCでオールスター5受賞
そして19年、ついに“その時”が訪れた。タイ・パタヤで行われたパラリンピックの予選を兼ねたAOCだ。開催国枠がある日本はすでに出場が決まってはいたものの、それでも柳本にとってはやはり特別な大会だった。
パラリンピックの出場をかけ、アジアオセアニア地区の国・地域が本気でぶつかり合う大会もまた、4年に一度しかないからだ。岩佐義明現ヘッドコーチからは「(日本が武器とする)トランジションバスケの申し子」と呼ばれるなど、すでにチームの中で存在感を示していた柳本の名は、12人のメンバーにしっかりと刻まれていた。
しかし、チームは連敗が続いた。実力差が大きく、完敗したわけではない。選手が口々に言うように「勝てる試合を落とした」という印象が強い。確実に上がっているチーム力を、いかに勝ちゲームへとつなげることができるのか。東京パラリンピックまでの日本の大きな課題が浮き彫りとなった大会でもあった。
一方、その課題を克服するためにも、チームにとって明るい材料もあった。その一つが、柳本の活躍だ。序盤はベンチスタートが多かった柳本だが、スピードのある彼女がコートに立つことによって、試合の流れが一変することも少なくなかった。速攻など得点にも絡む活躍がチームを勢いにのせ、何より粘り強いディフェンスが相手の脅威となっていた。
全試合に出場した柳本だったが、実は大会期間中の公式練習で激しく転倒し、背中を強打していた。その日から「テーピングで上半身をぐるぐる巻きにして、試合に出ていた」のだという。
そんな彼女には、最後に想定外のご褒美が待っていた。大会最終日のセレモニーで「アマネ・ヤナギモト」がアナウンスされた。日本人でただ一人、オールスター5の一人に選出されたのだ。
「自分に対して“やればできるじゃん”と思うことができた大会でした。特に、自分の強みとするスピードは十分に通用するんだなと。ピックアンドロールからのシュートや、素早いディフェンスなど、スピードを活かしたプレーに対しては自信がつきました」
もちろん、それで満足しているわけではない。(19年までは)12人のメンバーのなかで最年少である自分の成長こそが、チームの底上げになると感じているからだ。
目標とするのは、同じ1998年生まれで同じ持ち点2.5のイギリス代表ジョイ・ヘイゼルデン。すでに16年リオデジャネイロパラリンピックに出場し、18年世界選手権では主力として準優勝に輝いている選手だ。
「スピード、チェアスキル、ディフェンス、シュート力も高く、アウトサイドでのボールコントロールも巧い。私もジョイ選手のような世界トップレベルでのオールマイティなプレーヤーになりたいと思っていますし、同い年の彼女ができるなら自分も、という気持ちでいます」
19年の女子U25世界選手権では、お互いにチームのエースとして対戦しているが、A代表としての公式戦ではまだ一度も同じコートには立ってはいない。東京パラリンピックでは、将来母国を背負うと期待されている若手2人の“初対戦”が見られるかもしれない。
(Vol.19では、柳本選手がおススメの選手をご紹介します!)