2021.02.03

【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.18】北風大雅「“和製パトリック”と呼ばれる日を目指して」

今年度、男子U23強化育成のキャプテンを務めた北風大雅[写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。

文=斎藤寿子

 将来を有望視される若手の一人、北風大雅(ワールドBBC)にとって2020年は大事な一年となった。昨年3月に大学を卒業し、ブリヂストンに入社。午前中は社内で勤務し、午後は練習に取り組む生活を送っている。選手としてさらなるレベルアップを図ろうと、チームも移籍した。そして20歳の時から選出され続けてきた男子U23強化育成選手としては最後の年となり、キャプテンを務めた。コート内外で積極的にチームメイトとコミュニケーションを図る北風の姿に、Vol.17で登場した4歳下の溝口良太(長崎サンライズ)は「プレーはもちろん、行動すべてを尊敬している」と語る。来月でU23を“卒業”し、新しい段階に入る北風にインタビューした。

スイッチを入れてくれた先輩の存在

 小学1年から高校3年までサッカー一筋だった北風は、中学校時代には新人戦などで何度か“福井一”になったこともある。高校も県内では強豪校の一角に入るサッカー部でプレーし、3年時にはキャプテンを務めた。

 そんな彼が車いすバスケットボールに出会ったのは、大学1年の時。その年の夏に事故で左脚を切断し、退院した北風に高校時代のサッカー部の恩師が紹介したのが、現在車いすバスケ男子日本代表および男子U23日本代表を指揮する京谷和幸ヘッドコーチだった。元Jリーガーでもある京谷HCによって車いすバスケというスポーツの存在を知った北風は、早速地元のクラブチームの体験会に行ってみた。すると予想以上に難しく、かえって興味が膨らんだという。

「もともとスポーツには自信があったので、車いすバスケも、まぁできるだろうと甘く見ていたんです。ところが、車いすを漕ぎながらドリブルすることも、シュートすることもできない。18歳の僕が、60代のおじさんたちや、中学生に手も足も出なかったんです。もう本当に悔しかった。と同時に、面白いなとも思ったんです。とにかく早くスキルを習得して、自分もバリバリにプレーしたいと思いました」

 大学2年の4月には、通っていた大学の地元のクラブチームに正式に加入し、車いすバスケ人生をスタートさせた。

 北風には1年目から大きな目標があった。遠くない将来に日本代表として世界と戦うことだ。そんなふうに早い段階から代表を意識したのには、ある先輩の存在があった。08年北京、12年ロンドン、16年リオと、3大会連続でパラリンピックに出場し、現在も東京パラリンピックを目指す男子日本代表の強化指定選手の一人、宮島徹也(富山県WBC)だ。

 同じ北陸ブロックのチーム同士、よく合同練習で会っていた宮島のプレーに魅了されていくうちに、北風自身の意識も変わっていったという。

「最初は“すごいな”と思いながらテツさんのプレーを見ていたのですが、そのうちに“いつかテツさんを超えていきたい”と思うようになったんです。今はまだまだですが、テツさんのように世界で堂々と戦える選手になりたいと思っています」

「同じブロックに代表のテツさんがいてくれたからこそ、今の自分がある」と北風は語る[写真]=斎藤寿子

元日本代表・大島ACの指導で感じている成長

 10代の若手にとってA代表の登竜門でもある男子U23強化育成選手に初めて抜擢されたのは18年、大学3年の時だ。5月には12人の海外メンバーにも入り、ドバイ遠征で初めてU23日本代表のユニフォームに袖を通した。

 しかし、最終日の最も大事な試合ではプレータイムはゼロに終わった。加えて、得点を取ることが最大の仕事であるハイポインターであるにもかかわらず、チームで唯一、大会通算無得点に終わった。

 一方、17年以降U23日本代表の主戦場ともなっている国際親善試合「北九州チャンピオンズカップ」では、18、19年と2年連続で出場し、得点を決めている。だが、主力にはなり切れていない自分を感じてもいた。

 そんななか、19年12月にU23のなかから数人が特別参加したA代表の選考合宿に、共に招致された古崎倫太朗(Jamaney石川)と池田紘平(千葉ホークス)が、翌20年にはA代表の強化指定選手に選出された。これまで切磋琢磨してきた仲間の昇格を称える気持ちと同時に、ライバルとしては悔しい気持ちが募った。

 20年はそんな悔しい思いをモチベーションにしてトレーニングに励んできた。なかでも大きかったのは、移籍先のワールドBBCの大島朋彦アシスタントコーチからの指導だった。

「バスケIQを高めたくてワールドに移籍したのですが、大島さんの下でやるようになって、まるで今までと別のスポーツをやっているというくらい、考え方もプレーも変わりました。なかでも習得できたのは、シュートフォームです。チーム練習以外でも野外のストリートバスケのコートで、大島さんにみっちりと教えていただき、フォームが確立したことで確率も高くなりました」

 目指すのは、“車いすバスケ界のマイケル・ジョーダン”の異名をとり、歴代最高プレーヤーと称されるカナダ代表のパトリック・アンダーソンだ。

「まだ代表にもなれていない僕が、パトリック選手が目標だなんて笑われるかもしれません。でも、僕が尊敬するサッカーの本田圭佑選手も、ずっと“世界一になる”と言ってきたからこそ、これだけ世界で活躍する選手になったんだと思うんです。だから僕もブレずに、高い志を持って努力し続けていきたいと思っています」

 そう遠くない将来、“和製パトリック”と呼ばれるプレーヤーとして活躍する日が待ち遠しい。

今年23歳となった北風。まずは2022年度の強化指定選手入りを目指す[写真]=斎藤寿子

(Vol.19では、北風選手がオススメの選手をご紹介します!)

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