2023.05.06

高校時代をともにした伊藤大司とケビン・デュラント…キャンプでの出会い、そして東京五輪での再会

A東京のGMを務める伊藤(左)とサンズでプレーしているデュラント(右)[写真]=アルバルク東京,Getty Images
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メリーランド州の高校で出会ったエリートフォワードと日本人ガード

 NBA屈指のスコアラー、ケビン・デュラント(フェニックス・サンズ)とアルバルク東京のゼネラルマネージャー、伊藤大司がかつてチームメートだったという話を聞いた人もいるだろう。彼らはモントロス・クリスチャン高校(以下、MCS)でともにプレーしていたが、その出会いはデュラントが同校に転校する1週間前にさかのぼる。現地メディア『ESPN』が、その顛末を紹介している。

 当時2人は全米のトップ選手100人を招待したキャンプに参加しており、伊藤はデュラントが同室であること、そして自身の所属するMCSに彼が転校してくることを知る。

 彼らは意気投合し、毎晩のように話をしていたという。そのトピックはデュラントの生い立ちや日本文化などと幅広く、2人ともキャンプで疲れ切っているなか、消灯時間を過ぎても話に花を咲かせていたようだ。

のちにシアトル・スーパーソニックスでNBAキャリアをスタートするデュラント[写真]=Getty Images

 すでにテキサス大学への進学を決めていたデュラントだったが、高校の最終学年にはオークヒル・アカデミー(以下、OHA)を離れることに。タイ・ローソン(元デンバー・ナゲッツほか)やマイケル・ビーズリー(元マイアミ・ヒートほか)らとのプレーを続けることもできたが、自宅から6時間という通学時間、そして自分にプレッシャーを与えることを考慮した末の決断だった。

 デュラントのMCS加入が決まったとき、コーチ陣はグレイビス・バスケス(元トロント・ラプターズほか)らとのシナジーを模索し、そこで出た案の1つが伊藤とのデュオ。「伊藤大司が行くところには、必ずケビン・デュラントもついていかせるようにしよう」と、コーチ陣は彼らの連携がカギになると踏んだ。

 当初は電車を乗り継いで練習に来ていたデュラントだったが、気づけば伊藤のホームステイ先で一緒に生活するように。バスケットボールだけでなく、伊藤がデュラントに数学を、デュラントが伊藤に英語を教えるなど、スポーツと学業の両立を協力してこなしていたようだ。

 ときには険悪な雰囲気になることもあったようだが、「また友達に戻るんだ」と伊藤が語ったように、翌日まで摩擦を持ち越すことはなかったという。シーズンが始まると、現地紙に全米1位とも評されたMCSは充実したスケジュールをこなした。

デュラントの古巣、オークヒル・アカデミーとの一戦

 そして、デュラントは古巣のOHAとの試合を迎える。彼が在籍していたころの連勝が途切れることはなく、56連勝で全米1位に君臨していた対戦相手に、伊藤は「向こうの才能あるガードに苦戦する気がする」と試合前にこぼしていたという。

 だが、デュラントは「僕が君の背中を押している。ボールを勝ち取って、タフなディフェンスをしていれば大丈夫」と伊藤を鼓舞。将来のNBAプレーヤーが相まみえるということで、この一戦には観客が殺到した。

 試合開始から躍動し、最終的に31得点6リバウンドを叩き出したデュラント。それでも第4クォーターの中盤には16点リードを許し、頼みの綱であるデュラントも4ファウルと、MCSは敗戦の可能性が高まる。しかし、チームの窮地を救ったのはエースのデュラント、そしてガードの伊藤だった。

 デュラントが12秒間で6得点を挙げるスコアリングを披露すると、残り2分には伊藤がオープンの3ポイントシュートを決め切る。残り1分で72-72の同点に追いつくと、伊藤とバスケスが相手ガードのターンオーバーを誘発し、残り20秒でボールのコントロールを得る。

 迎えたラストオフェンス、MCSが選択したのはデュラントの3点弾だった。シュートはコンテストされてわずかに逸れてしまうが、味方がリバウンドからボールを押し込み、プットバックで逆転勝利をつかんだ。

 その夜、伊藤は満面の笑みでベッドに入ったが、デュラントと同じチームでプレーできることはもうないだろうと痛感したようだ。当時を振り返って、伊藤は「24時間365日、ほとんど彼と一緒にいた。彼は大学でも活躍して、NBAに行くだろうってね。彼には才能が満ちあふれていた」とコメントしている。

 高校卒業後、デュラントは予定どおりテキサス大学へ、伊藤はポートランド大学に進学。デュラントは1年をカレッジで過ごして2007年にリーグ入りし、伊藤は4年間を大学でプレーしてキャプテンを務めるまでに。そして2008-09シーズンのある日、伊藤はかつての相方からシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)対ポートランド・トレイルブレイザーズの試合に招待される。

ポートランド大で4年間プレーした伊藤[写真]=Getty Images

 自身のシグネチャーシューズである「KD1」をリリースしていたデュラントは、試合後に「タイシ、僕の靴に君の名前を入れたぞ」と伊藤に伝える。最初はサインのことだと思った伊藤だったが、その翌日に実物を見ると、ソールに名前が記されていることを知った。

 すぐにデュラントに電話をかけた伊藤は、「君は僕の人生に大きな影響を与えたんだ、タイシ。君のおかげで、僕はここにいる」というメッセージを受け取ったという。伊藤は笑いながら「多分泣きましたね、心に響きました」と、当時を思い返している。

東京オリンピックで再会を果たした2人

 時は流れて、彼らは2021年夏に開催された東京オリンピックで再会を果たす。デュラントはアメリカ代表に参加していた理由の1つに「旧友との邂逅」を挙げていたようで、そのために伊藤へメールを送っていた。

 伊藤はデュラントが待つホテルに向かうと、互いにロビーでかつての相棒を見つけ、2人は高校時代のように会話を弾ませる。デュラントは伊藤がA東京のフロントスタッフの一員になったことも知っており、どのようなキャリアを思い描いているのかを知りたがったという。

 伊藤は「君をチームに迎え入れたいね」と冗談を言い、デュラントも思わず笑みをこぼしたという一幕。数時間をともに過ごしたあと、伊藤はホテルの出口へ、デュラントは自室に向かって歩き始める。高校時代のように夜更けまで話すことはかなわなかったが、両名にとって充実した時間になったことは間違いないだろう。

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