日本時間4月12日(現地時間11日)に公式戦を終えたNBA。ロサンゼルスの2チーム、クリッパーズとレイカーズは、ともにプレーオフ進出を逃したが、それぞれシーズン終了まであと2日というところで、新たなNBA選手を誕生させた。
クリッパーズは2012年以降海外などでプレーし、今季はTwo-way選手だったC.J.・ウィリアムズとNBA選手として3年契約を結び、レイカーズは10年間NBAの育成リーグでプレーしてきたアンドレ・イングラムと今季残りの試合の契約を果たした。ウィリアムズの契約は完全に保証されたものではなく、イングラムも残り2試合を戦った後、次もNBAという約束はない。
だが、2人の努力が実り、次のステップへのきっかけとなったことは確か。それに2人には自分達と同じように苦労の末、NBAに定着した先輩達が多くいる。
その一人がヒューストン・ロケッツのPJ・タッカーだ。2006年のドラフトで2巡目全体の36位でトロント・ラプターズから指名された。ルーキーシーズンのうちにNBAデビューは果たしたが、17試合計83分プレーしただけで3月に解雇された。
そこからが、長かった。
翌シーズン、イスラエルのプロリーグでプレーし2011-12シーズンまでの5シーズンを海外で転々とした。その間に所属したのは6カ国7チームだ。
「海外でプレーしている間はとてもタフだった。いいこともあったけど大変なことも多くあった。プレーする国が変わり、チームが変わる中で、自分がどのように所属チームにフィットし、助けることができるかを探ることの繰り返しだった」とタッカー。そんな中、身につけたことは、「どうすれば勝者になれるのか、プロらしくいられるのか、その時々で出くわす状況に適応することができるのかということだった」という。「でも最も大きかったのは、成長度だ。毎日必死だった。素早く成長することが必要だった。なぜなら、それがチームに長く留まる方法だったからだ」と苦労を重ねた日々を振り返った。
そして2012年オフ、サンズと契約。21歳でNBAデビューしてから6年。27歳になっていたタッカーは、「NBAでできる準備は十分に整っていた」と言う。
以降メキメキ力を発揮した。特にディフェンス力に関しては高い評価を受け、昨季途中には、打倒キャブスでファイナル進出を目指すラプターズから望まれてトレード移籍、フリーエージェントになったオフには、西カンファレンスを勝ち抜くために積極的な選手編成に臨んでいたロケッツと4年契約を結んだ。
来月33歳となるがキャリアはまだ7年目。しかし、回り道した選手には不屈の精神と四苦八苦した中で培った賢明なプレーがある。
それは、たとえ目立たなくともここぞという時に現れるはずだ。