シュートすることを怖がっていたキャリア初期
現在ウエスタン・カンファレンス・ファイナルでゴールデンステート・ウォリアーズと激しい戦いを演じているヒューストン・ロケッツ。
そのロケッツでここ4シーズン、先発スモールフォワードとして活躍しているのがトレバー・アリーザだ。オフェンスでは3ポイントシュートを積極的に放ち、隙を見つけてはドライブから得点を奪い、平均2ケタ得点を記録。ディフェンスでは、エース級の選手にマッチアップし、攻防両面でロケッツに不可欠なベテランとしてプレーしている。
ウォリアーズとのシリーズではステフィン・カリーのガードを任されるなど、コーチ陣やチームメートたちからの信頼も高く、ロースターで唯一の優勝経験を持つ貴重な選手である。
だが、2004-05シーズンにニューヨーク・ニックスでデビューした直後のアリーザは、身体能力の高いスラッシャーであり、ディフェンダーとしてプレーすることがほとんどだった。
キャリア2シーズン目となった05-06シーズンには、名将ラリー・ブラウンがニックスの指揮官に就任し、アリーザは「ショットを放つな」と言われていたという。
当時アリーザの3ポイントシュート試投数は、平均で0.2本程度。成功率も3割未満で、オフェンスのレパートリーには入っていなかった。得点はほとんどペイント内で、ミドルレンジシュートがあるかどうかだった。
現地メディア『the Los Angeles Times』の記者に語ったところによると、アリーザは「シュートすることに対して怖がっていた」という。また、「彼(ブラウンHC)は僕に、『バスケット(リング)を見てもダメ、シュートするのもダメだぞ』って言ってきた」と振り返っている。
NBAプレーヤーともなれば、ショットを放つことが嫌いな選手などいないと思ってしまうが、当時のアリーザは違った。「当時の僕は、間違いなくシュートすることを怖がっていた。だからシュートしようともしなかったんだ」。
苦手を克服し、攻防両面でロケッツに不可欠な存在へ
そのアリーザに転機が訪れたのは、ロサンゼルス・レイカーズ在籍時のこと。05-06シーズン途中にニックスからオーランド・マジックにトレードされ、07-08シーズン途中にレイカーズ入りしたアリーザは、徐々に3ポイントシュートも放つようになっていった。
「レイカーズに移籍して、それまで抱えていたメンタルブロックから解放されたんだ。僕がオープンになったとき、オープンになりそうなときにチームメートたちは『ショットが入ろうが外れようが、俺たちは気にしない。だからまずはシュートするんだ』と言ってくれた」とアリーザは言う。
実際、レイカーズの先発スモールフォワードとして迎えた09年プレーオフでは、平均3.7本を放って1.7本も決めていた(成功率47.6パーセント)。マジックとのファイナルでも、5試合で24本放ち、そのうち10本を成功させ、41.7パーセントという高確率を残し、優勝に大きく貢献した。
その後、複数チームを渡り歩いたアリーザ。ロケッツでプレーしたここ4シーズンでは、平均試投数がいずれも6本を超え、2.3本以上を決めている。キャリア初期と比較すると、3ポイントシュートに対する“苦手意識”は完全になくなったと言っていい。
キャリア14シーズン目、32歳となったアリーザは、自身のプレーに対して、「もし僕がコートに出て、アグレッシブにプレーできていなければ、チームを助けることはできない」という考えを持っている。
ウォリアーズとの第3戦で大敗し、1勝2敗と負け越しているロケッツ。第4戦では2勝2敗のタイに持ち込むべく、アリーザは攻防両面でアグレッシブにプレーするに違いない。
PJ Tucker (22) & Trevor Ariza (19) combine for 41 PTS, 10 AST, helping the @HoustonRockets even the Western Conference Finals at 1 game apiece!#Rockets #NBAPlayoffs pic.twitter.com/yyzL6Y1F5t
— NBA (@NBA) May 17, 2018