2018.08.25
4月15日(現地時間14日)から、計16チームによる今シーズンの王座を懸けた激闘、「NBAプレーオフ2018」が幕を開けた。そこでバスケットボールキングでは、プレーオフ出場チームやシリーズ勝敗予想に加え、これまでのプレーオフにおける名シーンや印象的なシリーズ、ゲームなども順次お届けしていく。
<プレーオフ特別企画⑯>
BEST PERFORMER IN 2000’s コービー・ブライアント
2000年から2009年という10年間、NBAでは5つの優勝チームがあった。ロサンゼルス・レイカーズ、サンアントニオ・スパーズ、デトロイト・ピストンズ(04年)、マイアミ・ヒート(06年)、ボストン・セルティックス(08年)という5チームだ。
しかし、複数回優勝したのはレイカーズ(4度)とスパーズ(3度)のみ。レイカーズは00、01、02年という直近では最後となる3連覇と09年に、スパーズは03、05、07年に優勝を成し遂げている。
そして両チームにおいて、それらすべての優勝にエース格として多大な貢献をしてきた選手が、コービー・ブライアント(元レイカーズ)とティム・ダンカン(元スパーズ)だった。なかでもコービーは、10年間で6度もNBAファイナル進出を果たし、常に第一線で活躍を続けてきた。
今回は、2000年代のベスト・パフォーマーとして、コービーが残してきた足跡を振り返っていこう。
■BEST PERFORMER IN 2000’s
コービー・ブライアント
198センチ96キロ/シューティングガード/ロサンゼルス・レイカーズ
<2000年代プレーオフ戦績>
出場:9回(不出場となった05年を除くすべて)
優勝:4回(00,01,02,09年)
ファイナルMVP:1回(09年)
NBAファイナル進出:6回(00,01,02,04,08,09年)
カンファレンス・ファイナル進出:6回(同上)
00年から02年にかけて達成した3連覇において、チームの中心はシャックこそシャキール・オニール(元レイカーズほか)だった。だが、コービーというリーグ最高級のスコアラーがいなければ、3連覇を達成するまでのチームにはなっていなかったはずだ。
00年プレーオフ、コービーは平均21.1得点4.5リバウンド4.4アシスト1.5スティール1.5ブロックをマーク。自身初となったNBAファイナル(対インディアナ・ペイサーズ)では、第2戦序盤に足首を痛めて途中離脱し、第3戦を欠場。2勝1敗で迎えた第4戦に復帰したコービーは、シャックが延長戦途中に6ファウルで退場する中、3ポイントライン付近からディフェンダーをクロスオーバーで揺さぶりプルアップジャンパー、続いてピック&ロールからトップ・オブ・ザ・キー付近でまたもプルアップジャンパーをヒット。残り約36秒には貴重なブロックを繰り出すと、1点リードの延長終盤、残り5.9秒にダメ押しとなるティップインを決めてレイカーズを勝利へと導いた。レイカーズは2勝2敗のタイになる可能性もあったこの試合に勝利し、第6戦で優勝を決めた。
01年はシャックとコービーの不仲が取りざたされる中、デレック・フィッシャー(元レイカーズほか)復帰後にようやくチームがまとまり始めた。8連勝でレギュラーシーズンを終えると、プレーオフでも連勝街道を突っ走り、11戦無敗でNBAファイナルへ。
ポートランド・トレイルブレイザーズとの1回戦をスウィープで勝ち進み、ウエスト準決勝ではサクラメント・キングス相手にまたもやスウィープ。コービーはキングスとのシリーズで両チームトップとなる平均35.0得点に加え、9.0リバウンド4.3アシストを記録。サンアントニオ・スパーズとのウエスト決勝でも初戦で45得点を挙げるなど絶好調。シリーズトップとなる平均33.3得点を挙げ、リバウンドとアシストでも7.0本を記録する大活躍。レイカーズがスパーズをスウィープする立て役者となった。
フィラデルフィア・セブンティシクサーズとのNBAファイナル。コービーは初戦こそ15得点に終わるも、翌第2戦から31、32、19、26得点と復調し、レイカーズも4連勝。この年のプレーオフを15勝1敗で制し、連覇を果たす。
3連覇が懸かった02年プレーオフ。コービーはブレイザーズとの1回戦でシリーズトップの平均26.0得点を挙げ、第3戦終盤にはシリーズ決着となる3ポイントシュートを沈めたロバート・オーリー(元レイカーズほか)へ見事なアシスト。スパーズとのウエスト準決勝でも、コービーはチームトップとなる平均26.2得点を奪取し、4勝1敗で下す殊勲者となった。第4戦終盤には、貴重なオフェンシブ・リバウンドをもぎ取ってティム・ダンカンとデイビッド・ロビンソン(共に元スパーズ)という7フィート超えのツインタワーの目の前で決勝点を挙げるなど、誰よりも強い勝利への意志を見せ付けたのである。
ウエスト決勝の相手はキングス。アウェーで行われた初戦こそ、コービーが30得点、シャックが26得点、オーリーが18得点を挙げて制したものの、翌第2戦からキングスが連勝。ホームで行われた第4戦でも、第2クォーター序盤に24点ものリードを許してしまう。
そこで奮起したのがシャックとコービー。コービーは第2クォーターだけで13得点を挙げ、キングスのリードを14点にまで縮めることに成功。後半に入っても、反撃を続けるレイカーズの中心にいた。第4クォーター、レイカーズはシャックとコービーが6得点ずつ記録し、最後はオーリーの劇的な逆転ブザービーター3ポイントシュートが決まり、シリーズを2勝2敗のタイへ引き戻す。
第5戦ではマイク・ビビー(元キングスほか)に決勝弾を許し、シリーズに王手をかけられたレイカーズ。ホームで迎えた第6戦前、コービーはシャックから「一緒に力を合わせて勝とう」という電話を受けたことを明かし、2人合わせて72得点と大暴れ。4点差で接戦をものにすると、翌第7戦では延長の末、コービーのフリースローで決着。窮地に追い込まれた中でレイカーズが勝ち切り、ニュージャージー・ネッツとのファイナルをスウィープで勝利し、3連覇となった。この年のレイカーズ以降、NBAで3連覇を達成したチームはいない。
スパーズとのシリーズの最中、コービーはこんな言葉を残していた。
「俺たちは、すべての試合で勝てるものだと思っている。(もし試合が)第4クォーターで競っていようと、勝つことができると思っている。ほかのどのチームよりも、間違いなく俺たちはスマートだと思っているし、自信を持っているのさ」。
キングスとのシリーズ。2勝3敗という絶体絶命のピンチからはい上がり、2連勝でシリーズを制したのは、王者のプライド以外の何ものでもなかった。
翌03年のプレーオフ。4連覇を懸けて戦ったレイカーズだったが、スパーズとのウエスト準決勝に2勝4敗と敗れてしまい、4連覇の夢は早々に終わりを告げた。それでも、ミネソタ・ティンバーウルブズとの1回戦でコービーはシリーズベストの平均31.8得点、スパーズとのシリーズでも両チームトップとなる平均32.3得点と奮闘した。
翌04年のプレーオフ、レイカーズはシャックとコービーの周囲をカール・マローン(元ユタ・ジャズほか)、ゲイリー・ペイトン(元シアトル・スーパーソニックスほか)という元オールスター選手がサポートするという豪華な布陣で迎えた。その中で、コービーはフィニッシャーとして躍動。ヒューストン・ロケッツとの1回戦では平均24.4得点、スパーズとのウエスト準決勝でも平均26.3得点、ウルブズとのウエスト決勝でも平均24.3得点と、いずれもシリーズトップの平均得点を奪い、レイカーズをけん引。
デトロイト・ピストンズとのNBAファイナルでは、テイショーン・プリンス(元ピストンズほか)を中心とした堅いディフェンスの前にフィールドゴール成功率38.1パーセントと抑え込まれてしまい、レイカーズは1勝4敗で敗退。しかし、唯一勝利した第2戦の第4クォーター残り2.1秒、コービーは延長に持ち込む起死回生の3ポイントシュートを突き刺してみせた。
翌05年はプレーオフ不出場、06、07年はフェニックス・サンズの前に2年連続で1回戦敗退となったコービー率いるレイカーズは、徐々にだが、確実にチーム力を高めていく。
そして08年2月、メンフィス・グリズリーズとのトレードで多才なビッグマン、パウ・ガソル(現スパーズ)を獲得したレイカーズは、再び優勝戦線に舞い戻って来た。
この07-08シーズン。レイカーズはウエストトップの57勝25敗でシーズンを終え、コービーは自身唯一となるシーズンMVPを獲得。意気揚々とプレーオフを迎えていた。
1回戦で対決したデンバー・ナゲッツには、カーメロ・アンソニー(現オクラホマシティ・サンダー)とアレン・アイバーソン(元シクサーズほか)という、当時リーグ屈指のスコアラーがいたものの、コービーはシリーズトップの平均33.5得点と爆発し、スウィープで突破。続くジャズとのウエスト準決勝でも、両チームトップとなる平均33.2得点の大活躍を見せ、4勝2敗でシリーズに決着をつけた。スパーズとのウエスト決勝でも、コービーはシリーズベストの平均29.2得点を奪い、4勝1敗で撃破。レイカーズはコービーを軸とした布陣で、04年以来初となるファイナルの舞台へと返り咲いたのである。
しかしながら、ボストン・セルティックスとのNBAファイナルは、コービーにとって苦い思い出となった。ポール・ピアース(元セルティックスほか)やジェームズ・ポージー(元ナゲッツほか)の好ディフェンスに遭い、シリーズトップの平均25.7得点こそ残したものの、フィールドゴール成功率40.5パーセントに抑え込まれてしまう。シリーズも2勝4敗で敗北、最終第6戦では39点差という大敗を喫し、屈辱を味わうこととなった。
シリーズ終了後、「(シリーズに負けたことで)ただ何よりもがっかりしている」と複数の現地メディアへ語ったコービー。自他ともに認める負けず嫌いな男にとって、負けることは許しがたいのは容易に想像がつく。
だが、チーム全体として見た時のコービーは、充実感にあふれていた。
「1年をとおして俺たちが見せてきた旅路について、俺は誇りに思ってる。チームメートたちのことを誇りに思うよ。同時に、俺たちは最も上位の敗者ということも理解している」。
それは、コービーを中心としたレイカーズにとって、頂点(優勝)までの道のりが見えた瞬間だった。そしてコービーがリーダーとしての自覚を強め、チームメートを信頼していることを表していた。
ファイナルでリベンジすることを誓ったレイカーズは、前年のファイナルでセルティクスから学んだ教訓を活かし、ディフェンスとリバウンド面を強化。そして迎えた09年プレーオフ。前年のファイナルではケガのため出場できなかったセンターのアンドリュー・バイナム(元レイカーズほか)とケガから復帰直後だったトレバー・アリーザ(現ロケッツ)を携え、レイカーズは万全の態勢を整えていた。
ジャズとの1回戦を4勝1敗で切り抜け、ロケッツとのウエスト準決勝を第7戦の末に制したレイカーズ。ナゲッツとのウエスト決勝でも激戦が続く中、コービーがシリーズベストとなる平均34.0得点とチームを引っ張り、4勝2敗で突破。2年連続でファイナル進出を果たす。
オーランド・マジックとのファイナルでは、初戦にコービーが40得点と爆発して圧勝。第3戦で黒星を喫したものの、4勝1敗でマジックを圧倒し、コービーは自身4度目のチャンピオンに輝いた。第2戦を除く4試合でゲームハイの得点を記録したコービーは、シリーズ平均32.4得点を奪い、文句なしのファイナルMVPを獲得。
「シャックなしでは優勝できない」「ショットを放ちすぎ」「コービー中心では勝てない」といった数々の批判を、コービーは優勝という最高の形で覆した瞬間だった。
3連覇の時との違いについて聞かれたコービーは「(自身に対する)批判に耳を傾ける必要がなくなったこと。それが最も大きな違いだ」と現地メディアに語っていた。そしてこのように続けている。
「まるで夢でも見ているかのような気分。この瞬間にいることが信じられないくらいさ」と喜びを最大限に表し、自身に対する評価を引き上げた。
コービーは翌10年にファイナルでセルティックスと戦い、最終戦の末に勝利。自身2度目のファイナルMVP、そして自身5度目の優勝を勝ち取ったのである。
2000年代のベストパフォーマーと聞かれ、コービーと同じく4度の優勝、さらに3度のファイナルMVPを獲得したシャック、そして3度の優勝と2度のファイナルMVPを獲得したダンカンと思う方もいるだろう。
確かにコービーは、ファイナルMVPの数ではシャックとダンカンには及ばない。それにゲーム全体で見れば、スタッツ面で両ビッグマンに劣っていた部分もある。
それでも、レイカーズが2000年代にプレーオフを何度も勝ち上がる過程で、そこには必ずコービーの姿があったことは疑いようのない事実。それにコービーは、試合の行方を決定づける重要なショットを幾度も決めてきただけではない。
チームメートへ得点機会を作り出し、自身とのサイズ差があろうとお構いなしに執念でリバウンドをむしり取り、時には一瞬の隙を突いてスティールを奪い、情け容赦なく豪快なブロックをお見舞いしてきた。
コービーは2000年代後半に入ってもエースとして常に先陣を走り続け、何度も何度もレイカーズを勝利へと導いてきた。その中で、この男は常にベストシェイプをキープし、多くの時間を要して入念な準備を行い、ベストなパフォーマンスを見せてきたのである。
だからこそ、2000年代におけるベストパフォーマーは、コービーこそが最もふさわしいと言っていいはずだ。
WOWOW NBA解説の中原雄が語る「2000年代プレーオフのコービー・ブライアント」
「2001-02シーズンのプレーオフを思い出しますね。3連覇が懸かったレイカーズは、コービーとシャックがチームを率いており、やはりチーム力が抜きんでていたという印象でした。カンファレンス・ファイナルを勝ち上がるとき、キングスに苦戦を強いられていました。しかしここで勝ち抜けたことで勢いがつき、ファイナルでスウィープを決めたイメージがあります。今思えば、あそこまで苦戦を強いられていたにも関わらず、ひるむことは一切なかった。レイカーズにはチームとしての自信がありましたね」。
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