2018.08.25
4月15日(現地時間14日)から、計16チームによる今シーズンの王座を懸けた激闘、「NBAプレーオフ2018」が幕を開け、今年はゴールデンステート・ウォリアーズの2連覇で幕を閉じた。今回、バスケットボールキングでは、2000年代のプレーオフで輝かしい活躍を見せた選手たちをピックアップし、オールプレーオフチームを選出したのでお届けしよう。
<プレーオフ特別企画36>
ALL 2000’s PLAYOFFS TEAM
2000年代限定! オールプレーオフチーム
今回は、2000年代(00年から09年)に限定した、オールプレーオフチームを選出したので紹介したい。10年間というのは長いようで短く、この10年間だけが全盛期ではない選手もいれば、その中の3、4年がキャリアのピークにあった選手もいる。もちろん、キャリアのピークが2010年以降、あるいはそれ以降にデビューし、現在ピークを迎えている選手もいる。そんな中、ここでは00年代に絞ったオールプレーオフファーストチームとセカンドチームを選出してみた。
※G=ガード、F=フォワード、C=センター
■2000年代オールプレーオフファーストチーム
G:ジェイソン・キッド(元ダラス・マーベリックスほか)
G:コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)
F:ダーク・ノビツキー(ダラス・マーベリックス)
F:ティム・ダンカン(元サンアントニオ・スパーズ)
C:シャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)
キッドはこの10年間に、フェニックス・サンズ、ニュージャージー・ネッツ、マブスと3チームを渡り歩き、毎年プレーオフに出場。ネッツ在籍時の02、03年はNBAファイナル進出、ネッツとマブス時代に4度のカンファレンス・セミファイナルを経験。ケガによる戦線離脱のため、1回戦途中の復帰となったが、00年もカンファレンス・セミファイナルでプレーした。司令塔として申し分ないリーダーシップを誇り、アシストやスティールのみならず、リバウンドやスコアリングでも貢献。ショットの成功率は高くないものの、勝負どころでいくつものクラッチショットを決めてきた。出場10回のうち、7回も平均40分以上をプレーしている点も評価。
00年代に、05年を除く9度のプレーオフ出場を果たしたコービー。プレータイムは00年こそ平均39.0分だったものの、そのほかの年はすべて平均40.0分以上をマーク。最初の5年間はシャックというリーグ最強のビッグマンとプレーしていたとはいえ、1回戦敗退は06、07年の2度のみ。10年間で6度のファイナル進出、4度の優勝は文句なしの実績だ。9度の出場のうち、平均30得点以上を4度記録している点、そしてクラッチタイムでは自らの得点力でレイカーズを何度も窮地から救い、勝利をもたらしてきた。
00年から05年までの6年間は、ダンカンとシャックがリーグを支配していたと言っても過言ではない。ダンカンは03、05年に優勝、シャックはレイカーズで00年から02年にかけて3連覇を成し遂げ、いずれもファイナルMVPに輝いている。さらにダンカンは07年、シャックはマイアミ・ヒートの一員として06年の優勝に大きく貢献。動きに一切無駄のない滑らかなプレーを見せたダンカンは、攻防両面でスパーズを複数回の優勝へと導いた。NBA史上においても段違いのパワーを誇ったシャックは、巨体には似つかわしくないスピードとクイックネスを兼備し、ペイントエリアで世界最強の名をとどろかせた。この2選手のファーストチーム入りに異論はないはずだ。
01年にプレーオフデビューを飾ったノビツキーは、10年間のうち9度出場し、いずれも平均39.4分以上のプレータイムを残したタフガイ。この期間に優勝こそしていないものの、06年にファイナル進出、03年にはカンファレンス・ファイナル進出を果たしており、徐々にリーグを代表するするスター選手へと進化。04年にはリーグトップの平均26.6得点を残し、平均ダブルダブルは8度も記録。このスポットには、ピアースとレブロンという強力な候補がいたが、9度の出場とエースとして支配力を増していった点を評価し、ノビツキーを選出した。
■2000年代オールプレーオフセカンドチーム
G:スティーブ・ナッシュ(元フェニックス・サンズほか)
G:アレン・アイバーソン(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)
F:ポール・ピアース(元ボストン・セルティックスほか)
F:レブロン・ジェームズ(クリーブランド・キャバリアーズ)
F-C:ラシード・ウォーレス(元デトロイト・ピストンズほか)
ナッシュは01年、ノビツキーの相棒としてマブスでプレーオフデビュー。1回戦で名司令塔ジョン・ストックトン(元ユタ・ジャズ)とのマッチアップで苦しむも、試合終盤に重要なショットを決め切るなど先輩を撃破。04年オフのサンズ移籍後はゲームメークと得点力に磨きをかけ、選手として格を上げた。10年間で8度の出場を果たし、そのうち4度もアシストでトップにランクされた。特に07年は平均13.3アシストというハイアベレージを残しており、見事なコンダクターぶりを発揮。
アイバーソンが00年代にプレーオフへ出場したのは7度。そのうち1回戦敗退は4度と、半分以上を占める。それでも、01年に満身創痍の中で見せたファイナル進出は、永遠に語り継がれるほど感動的なストーリーだった。この年のアイバーソンは平均46.2分に出場し、平均32.9得点6.1アシスト2.4スティール。前歯が折れても口を閉じて血を飲み込みながらプレーを続け、複数個所を負傷しても試合に出続けた。爆発的な得点力はもちろん、絶不調でも勝敗を決める重要な場面で決め切る勝負強さも魅力的だった。03年の1回戦初戦で奪った55得点は00年代のプレーオフ最多で、歴代6位タイ。
00年代、ピアースはセルティックスのエース、レブロンはキャブスの絶対的なリーダーとして君臨。08年にはイースト準決勝で激突し、第7戦でピアースが41得点、レブロンが45得点を挙げる激しいスコアリングバトルを演じた。ピアースは08年に優勝し、ファイナルMVPを獲得したほか、02年のプレーオフデビューでも爆発的な得点力を見せつけ、大きなインパクトを与えた。00年代のレブロンは、優勝こそしていないものの、07年にはイーストを制してファイナル進出。07年イースト決勝第5戦では48得点。チーム最後の30得点のうち、1人で29得点を挙げる超絶パフォーマンスで世界中に衝撃を与えたことは間違いない。
フロントコート候補には、ケビン・ガーネット(元ミネソタ・ティンバーウルブズほか)やベン・ウォーレス(元デトロイト・ピストンズほか)、ドワイト・ハワード(シャーロット・ホーネッツ)、クリス・ウェバー(元サクラメント・キングスほか)らがいたものの、最後の枠にはラシードを入れた。00年代、毎年プレーオフに出場したラシードは、ポートランド・トレイルブレイザーズ在籍時の00年にカンファレンス・ファイナル出場を果たし、レイカーズ相手に第7戦までもつれる激闘を演じた。04年以降のピストンズ在籍時には2度のファイナル進出(04年は優勝)、5度のカンファレンス・ファイナル出場を果たし、いずれの年も主軸を務めていた。トラブルメーカーという一面もあったが、211センチの長身ながらしなやかな動きで流れるようなポストムーブを見せ、威圧感抜群のトマホークでリングを強襲するなど迫力も十分。賛否はあるだろうが、爆発的かつ献身的だったこの男をセカンドチームに入れた。
■惜しくも選出漏れしてしまった選手たち
G:ドウェイン・ウェイド(マイアミ・ヒート)
F:ケビン・ガーネット(元ミネソタ・ティンバーウルブズほか)ほか多数
ルーキーだった04年にプレーオフデビューを飾ったウェイドは、ニューオリンズ・ホーネッツとの1回戦初戦、残り1.3秒にクラッチショットを決める強心臓ぶりを発揮。イースト準決勝のインディアナ・ペイサーズとのシリーズでは、強烈なダンクをたたきこむなど圧巻のパフォーマンスを見せた。05年のプレーオフでもヒートをけん引し、自らは負傷してしまったものの、あと1勝でファイナル進出という好位置まで勝ち上がる。翌06年、ウェイドはヒートの大黒柱として驚異的な活躍を続け、マブスとのファイナルでは2連敗から4連勝という奇跡の巻き返しで主役を演じ、初優勝とファイナルMVPを獲得。この3年間だけで見れば、ウェイドがオールプレーオフチームに入ったとしてもまったく不思議ではなかった。
ガーネットはウルブズ在籍時、03年まで1回戦敗退を喫していたものの、04年はウエスト決勝まで進出。この年、サクラメント・キングスと戦ったウエスト準決勝第7戦では、32得点21リバウンド4スティール5ブロックと大爆発した。セルティックス移籍後の08年には守護神としてペイントエリアに君臨し、自身初となる優勝を経験。翌09年は連覇のチャンスがあったものの、膝の負傷により無念の欠場。04年と08年に関してはオールプレーオフチーム選出にふさわしいものの、10年間というスパンで見たため、ほかの候補者たちと比較して実績とインパクトの両面で劣ってしまったことは否めない。
このほか、00年代にファイナルMVPを獲得したチャウンシー・ビラップス(04年/元ピストンズほか)やトニー・パーカー(07年/スパーズ)、05年に旋風を巻き起こしたマヌ・ジノビリ(スパーズ)、リーグ屈指のシュート力で得点を量産したレイ・アレン(元シアトル・スーパーソニックスほか)といった名選手は数多くいたものの、00年代における実績とインパクトを考慮した結果、選出することはできなかった。
ただ、今振り返ってみても、00年代のプレーオフでは数々のドラマや信じられないエンディング、驚異的なプレーが幾度も生まれてきたと言っていい。
2010年代は、ゴールデンステート・ウォリアーズとキャブスが4年連続で頂上決戦を争うという、歴史的な展開が繰り広げられている。
今から10年後、または20年後に、この2010年代がどのような10年間として記録されるのかは興味深い。
ヒート在籍時も含めて3度の優勝を誇るレブロンなのか、あるいは過去4年で3度の優勝を勝ち取ったウォリアーズなのか。
いずれにせよ、現代はSNSをとおしてNBAの最新情報や超絶プレーの数々、名場面を楽しむことができるため、気になった方はぜひともチェックしてみてほしい。
WOWOW NBAメインキャスター長澤壮太郎が語る
「2000年代限定! オールプレーオフチーム」
「2000年代はプレーオフで旋風を巻き起こしたチームが次々と登場したため、プレーオフのオールスターを選ぶのは非常に難しい。現在もスターが豊作な時代と言えるが、2000年代は同等、もしくはそれ以上と言える。今思えば、存在感が圧倒的に強かった選手が4人いた。コービー・ブライアント、シャキール・オニール(シャック)、ティム・ダンカンにアレン・アイバーソンだ。コービー、シャックとダンカンの3人は、2000~2009年の10年間で2004年と2008年を除く全ての年で3人のうち誰かがNBA王者に輝いている。また、アイバーソンも王者にこそならなかったが、この10年の間で3度の得点王に輝き、強烈なインパクトを残したと言える。2000年代のプレーオフを語るうえで、この4人は絶対に話題になることは間違いない。ただ、この4人以外にも素晴らしい選手は沢山いたため、語り尽くせないのも真実だ。個人的には、土壇場で物凄い勝負強さを発揮したピストンズのビラップスや、3P王に輝いたキングスのペジャ・ストヤコビッチが大好きだった記憶がある」。
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