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『B MY HERO!』
4月15日(現地時間14日)から、計16チームによる今シーズンの王座を懸けた激闘、「NBAプレーオフ2018」が幕を開けた。バスケットボールキングでは、プレーオフ出場チームやシリーズ勝敗予想に加え、これまでのプレーオフにおける名シーンや印象的なシリーズ、ゲームなども順次お届けしていく。
<プレーオフ特別企画32>
BIGGEST SURPRISE IN 2000’s
ドアマットチームから優勝候補へ変貌!
2年連続でNBAファイナル進出を果たした“ミラクル・ネッツ”
1994-95シーズンから2000-01シーズンまで、ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツはプレーオフ出場がわずか1回(98年)。期間中の7シーズンにおいて、勝率4割を超えたのも97-98シーズンだけという低迷ぶりだった。
だが01年オフに成立したトレードにより、ネッツは瞬く間に生まれ変わることとなる。
まずは01年ドラフト当日のトレード。6月28日(同27日)、1巡目全体7位でエディ・グリフィン(元ヒューストン・ロケッツほか)を指名すると、ロケッツが1巡目全体13位で指名したリチャード・ジェファーソン(現デンバー・ナゲッツ)、18位で指名したセンターのジェイソン・コリンズ(元ネッツほか)、23位で指名したブランドン・アームストロング(元ネッツ)の3人と交換。
そして7月19日(同18日)。チームトップの平均23.9得点7.6アシストをマークしたオールスターガード、ステフォン・マーブリー(元ニューヨーク・ニックスほか)を含む3選手をフェニックス・サンズへと放出。代わりにリーグを代表する司令塔であるジェイソン・キッド(元ダラス・マーベリックスほか)とクリス・ダドリー(元ポートランド・トレイルブレイザーズほか/翌8月に解雇)を獲得した。
当時リーグ屈指のスコアリングガードだったマーブリーと、オールラウンドなプレーでチームに勝利をもたらすキッドのトレードは、大きな話題を呼んだ。キッドは00-01シーズンに平均16.9得点6.4リバウンド9.8アシスト2.2スティールをマークし、3年連続でアシスト王に輝いていたのだが、シーズン途中に家庭内暴力が発覚してしまい、イメージダウンを恐れたサンズが放出に踏み切ったのだった。
ジェファーソンは当時のことを現地メディア『SBNation』へこう語っている。
「本当に興奮したよ。僕はジェイソン・キッドがどれだけすごい選手なのかを知っていた。だから僕らはどれだけ良いチームになることができるか、そして僕らがどんなことを達成できるかはわかっていた」。
NBAでプレー経験のないルーキーがここまで語るほど、キッドのチームメートを引き上げる能力は群を抜いていた。
その後ネッツはフリーエージェント(FA)でトッド・マッカラー(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)と契約。シクサーズの一員として01年のファイナルに出場したマッカラーは、213センチ127キロと大柄で、ポストプレーから得点できるセンターだったことから、ネッツは先発センター候補として触手を伸ばし、見事迎え入れることに成功。
しかしながら、キッドが加入したにもかかわらず、01-02シーズン開幕前のネッツは低評価だった。ネッツのプレーオフ出場を予想したメディアはほとんど皆無に等しく、「キッドが前年(26勝)よりも多くの勝ち星をもたらすだろう」というのがもっぱらの評価だった。
だが、負けることを何よりも嫌うキッドは、このシーズンのトレーニングキャンプ前の時点で、勝つことしか考えていなかったという。
当時ネッツのGMを務めていたロッド・ソーンは、トレーニングキャンプ前のチームディナーにおけるエピソードをこう明かしていた。
「キッドはね、選手たちに向かってこう言ったんだ。『俺はこのチームが以前どうだったかなんて気にしたりはしない。俺たちはプレーオフへ行けるさ』。選手たちはそろってジェイソンを見て『この男は一体何を言ってるんだ?』という感じだったね」。
負け癖がついていたネッツに、キッドが喝を入れたのである。
01-02シーズン。ネッツはガードにキッドとケリー・キトルズ(元ネッツほか)、フォワードにケニョン・マーティンとキース・バン・ホーン(共に元ネッツほか)、センターにマッカラーをスターターに据え、開幕8試合で7勝1敗の好スタートを切る。
その後も白星先行で勝ち続けたネッツは、2度の6連勝を記録し、終わってみればイースタン・カンファレンス首位となる52勝30敗。直前のシーズンで挙げた26勝の2倍となる勝ち星を記録し、一躍シンデレラチームに。
何よりもキッドが繰り出すゲームメイクと的確なパスにより、チームメートたちが躍動した。高い身体能力を誇ったマーティンがエネルギッシュなダンクを連発し、バン・ホーンが水を得た魚のようによみがえり、膝のケガにより前のシーズンを全休していたキトルズも82試合フル出場、マッカラーは器用なポストプレーなどでチームに貢献。ベンチからはジェファーソンがファストブレイクで豪快なフィニッシュを決め、ルーシャス・ハリスはベンチの得点源として活躍した。
キッドのパスで最も躍動したのはおそらくマーティンだろう。パワフルかつスピーディで、跳躍力も抜群だったマーティンは、キッドのロブパスからハイライトシーンを彩る豪快なダンクを何本もリムにたたきつけた。
「このまま(キッドと)ずっとプレーしていたかった」と『ESPN』に語るほど、マーティンはキッドによって才能が開花。感情のコントロールが効かず、テクニカルファウルやフレグラントファウルを宣告されたマーティンは、キッドの「あふれ出る感情を自分のプレーで爆発させろ」というアドバイスを受け入れ、リーグ有数のタフなディフェンダーへと成長。
ネッツのスカウティング部門でディレクターを務めていたエド・ステファンスキーは、キッドとマーティンについて「彼らは完璧な連係を見せていた」と語っていた。
「我々のチームにはキッドとマーティンという、相手チームの選手をロックダウンできる2人の男がいる。ディフェンス面において、彼らはただただダイナミックなデュオだった。見ていて本当に驚嘆していたよ」とステファンスキー。
キッド率いるネッツはプレーオフでも快進撃を続ける。インディアナ・ペイサーズとの1回戦ではレジー・ミラー(元ペイサーズ)とジャーメイン・オニール(元ペイサーズほか)の活躍により、最終戦、しかも2度の延長までもつれ込むも、キッドが31得点8リバウンド7アシスト4スティール、マーティンが29得点8リバウンド、バン・ホーンが27得点6リバウンドと活躍して勝利。
イースト準決勝ではシャーロット・ホーネッツを4勝1敗で撃破。イースト決勝ではボストン・セルティックスを4勝2敗で下した。このシリーズではキッドが平均トリプルダブル(平均17.5得点11.2リバウンド10.2アシスト)という離れ業を成し遂げ、1976-77シーズンにABAからNBAに加入後、初となる頂上決戦へと駒を進めた。
NBAファイナルの相手は、3連覇を目指すロサンゼルス・レイカーズ。シャックことシャキール・オニール(元レイカーズほか)とコービー・ブライアント(元レイカーズ)というリーグ最強デュオを擁する王者にネッツは立ち向かっていった。
ただ残念ながら、1シーズンで急成長を遂げたネッツにとって、経験豊富なレイカーズは荷が重すぎた。初戦は94-99と5点差ながら、第1クォーター途中で15点ビハインド、第2クォーター途中には23点差がつき、レイカーズが油断したことが終盤に競った要因となった。ネッツは第2戦で23点差の惨敗を喫し、何とかホームで巻き返しを図る。
第3、4戦。ネッツはキッドやマーティンが躍動し、レイカーズ相手に好勝負を演じるも、勝負どころでシャックやコービー、ロバート・オーリー(元レイカーズほか)らのショットで突き放され、屈辱のスウィープ負け。ファイナルで1勝もできずにシンデレラチームの初年度は幕を下ろした。
するとネッツは02年オフ、王者レイカーズに対抗するべく、ロースターにメスを入れて戦力増強を断行。バン・ホーンとマッカラーをシクサーズに放出し、リーグ屈指のディフェンシブセンター、ディケンベ・ムトンボ(元アトランタ・ホークスほか)を獲得。さらにはFAでベテランポイントガードのクリス・チャイルズ(元ニックスほか)、リーグ有数のシックスマンだったロドニー・ロジャース(元フェニックス・サンズほか)と契約。プレーオフ経験豊富な選手を3人加え、優勝候補として02-03シーズンを迎えた。
しかし、このシーズンは順風満帆とはならなかった。シーズン序盤にムトンボが手首を負傷してしまい、約4か月間の長期離脱。チャイルズはほとんど期待はずれで、03年3月に解雇。ロジャースは68試合に出場したものの、ショットがなかなか決まらず苦戦。
それでも、ネッツはイースト2位となる49勝33敗を記録。その要因は先発に昇格したジェファーソンがチーム3番手(平均15.5得点)の得点源へと成長し、マーティンが平均16.7得点8.3リバウンドをマークしたこと。そして何よりも、キッドがキャリアベストとなる平均18.7得点に加えて6.3リバウンド8.9アシスト2.2スティールと、攻防両面でチームをけん引したことが大きかった。
また、このシーズンのネッツはディフェンスに磨きをかけて勝ち星を奪っていった。高い身体能力を誇るジェファーソンをスターターに据えたこと、そしてムトンボ離脱後にコリンズが奮闘したことで、リーグトップレベルのディフェンス力を手に入れたのである。平均失点はリーグ2位(90.1失点)、被フィールドゴール成功率ではリーグ3位(42.7パーセント)を記録している。
プレーオフ突入後も、ネッツのディフェンス力は際立っていた。1回戦でミルウォーキー・バックスを4勝2敗、イースト準決勝ではセルティックスをスウィープ、イースト決勝もデトロイト・ピストンズをスウィープで下したのだが、そこまでの14試合のうち、7試合で相手チームを90点未満にシャットアウト。100失点以上を喫したのはわずか4試合と、抜群のチームディフェンスで2年連続となるファイナル進出を果たしたのである。
なお、プレーオフに入ってからはマーティンが3つのシリーズで平均20得点前後を挙げるなどスコアラーとしてひと皮むけ、勝負どころでも得点を奪うビッグマンへと飛躍。ピストンズとのシリーズでは初戦にキッドが決勝弾を浴びせると、平均失点でリーグトップ(87.7失点)を誇る相手を圧倒。特にキッドはシリーズ平均23.8得点を挙げ、2年連続イースト制覇の原動力となった。
そして前年のリベンジを果たすべく、ネッツは頂上決戦に臨んだ。相手はレイカーズの4連覇を阻んだサンアントニオ・スパーズ。リーグを代表するビッグマン、ティム・ダンカン(元スパーズ)こそいたものの、前年のシャックと比較すれば、まだネッツの選手たちでも対抗できるかと思われた。
ファイナル初戦。ネッツはスパーズが誇る鉄壁ディフェンスの前にフィールドゴール成功率わずか37.1パーセントに抑え込まれて撃沈。第3クォーターにネッツを突き放したスパーズが12点差をつけてネッツに快勝した。ダンカンは32得点20リバウンド6アシスト3スティール7ブロックと大暴れを見せ、チーム全体でフィールドゴール成功率49.4パーセントを記録し、ダンカンを含む5選手が2ケタ得点をマーク。
続く第2戦では、キッドが残り約4分からジャンパー1本とフリースロー6投中5本を決めて逃げ切りに成功し、ようやくファイナルで初勝利。キッドはゲームハイとなる30得点をたたき出し、ロースコアの接戦を制した。また、この試合ではムトンボがベンチから20分のプレータイムを得て、4得点4リバウンド3ブロックと活躍した。
会場をホームに移した第3戦。マーティンが23得点11リバウンド4スティール2ブロック、キトルズが21得点3スティール、キッドが12得点11アシストと活躍するも、当時2年目のトニー・パーカーに26得点6アシストを許して敗北。残り約1分で3点差の場面で、当時ルーキーだったマヌ・ジノビリに決勝弾となるショットを決められてしまった。
第4戦は両チームとも70点台という、ロースコアかつディフェンシブな展開となる中、残り約2分からマーティンとキッドがフリースローを沈めてスパーズの追い上げを振り切り、シリーズ2勝目。マーティンが20得点13リバウンド3ブロック、ジェファーソンが18得点10リバウンド2ブロック、キッドが16得点8リバウンド9アシストを記録。
シリーズ第5戦は、キッドが29得点7リバウンド7アシスト、ジェファーソンが19得点6リバウンド4アシストを挙げたものの、マーティンがインフルエンザの影響もあり、本来のパフォーマンスを発揮できず、ネッツは10点差で黒星。この日のマーティンは9リバウンド3ブロックを残すも、フィールドゴール8投中成功は2本のみの計4得点、ターンオーバーは8本を数えた。
2勝3敗と追い込まれて迎えたシリーズ第6戦。マーティンはコンディションが回復しておらず、この日も絶不調。チーム最多となる23本のショットを放つも、成功はわずか3本で6得点。10リバウンドを奪ったとはいえ、ネッツが勝利を得るためのパフォーマンスにはほど遠かった。「体調を言い訳にはしたくない」と語ったマーティンだが、自身が本来見せているパフォーマンスとはかけ離れていたことは否定できない。
ネッツはキッドが21得点7アシスト、キトルズが16得点3スティール、ジェファーソンが13得点7リバウンドと続いたものの、ダンカンの歴史的パフォーマンスにより、ネッツは一掃されてしまう。
この日のダンカンは、21得点20リバウンド10アシストに8ブロック。あとブロック2本でクァドラプルダブルという超絶パフォーマンスを見せ、ネッツの優勝への夢を無残にも打ち砕いていった。
「もしマーティンが調子を落とさずにプレーできていたら…」「もう少しショットが入っていれば…」という議論が出たことは確かだ。しかし、スパーズはネッツを上回るプレーオフ経験と選手層の厚さがあり、誰かが不調でもベンチ陣がカバーするという、チームとしての厚みでネッツを大きく上回っていた。そのため、もしマーティンが好調を続けていたとしても、ネッツはあと1勝できれば御の字と言えるシリーズだった。
それでも、選手たちから見た両チームの実力差は、それほど大きなものではなかった。「僕らにはメンタリティがあった。チームとしてのスタイルもあったし、チーム一丸となって戦っていた。選手それぞれの役割も明確化されていたし、互いにリスペクトしていたんだ」と、ジェファーソンはネッツ時代のチームケミストリーについて振り返っている。
また、09年にミルウォーキー・バックスからスパーズへトレードで加入したジェファーソンは、スパーズ加入後にダンカンと交わした会話について、このように語っていた。
「ある日、ティムがこう聞いてきたんだ。『あのファイナルで、俺たち(スパーズ)を打ち負かすチャンスはどれくらいあると思っていた?』ってね。『俺たちは十分にあると思っていた』と返したら、『俺は、あのシリーズを制するチャンスは五分五分だと思っていた』と言ってたんだ。スパーズは俺たちを倒すために、きわめて良いプレーをしなければならなかったんだ」。
堅実なチームディフェンスからキッドを中心にラン&ガンを繰り出し、マーティンやジェファーソンによる豪快なフィニッシュで会場をおおいに盛り上げたネッツ。2シーズン連続でイーストを制覇し、NBAファイナルまで勝ち進んだことは、リーグでも強烈なインパクトを与えたことは間違いない。
しかし、キッド率いるネッツが04年以降、ファイナルの舞台へ戻ることはなかった。04年はイースト準決勝でピストンズに3勝4敗、その年のオフにマーティンがデンバー・ナゲッツへ移籍したことで、キッドとマーティンというダイナミックデュオはわずか3シーズンで終焉を迎えたからである。
01年のキッド加入から激変したネッツだったが、オーナー体制の変更や主力のケガなどもあり、チームとしてのピークも、まるでジェットコースターのように、あっという間に過ぎ去っていった。そのため、このチームが残したことは、2年連続ファイナル進出という功績と、世界中のスポーツファンへ与えた強烈なインパクトとなった。
それでも、1人の男の加入によってドアマットチームがドラマチックに生まれ変わり、たった1年でファイナルまでたどり着くことは、並大抵のことではない。
キッド、マーティン、ジェファーソンらを軸に躍動した“ミラクル・ネッツ”は、2000年代のNBAで最も衝撃を与えたチームであり、申し分ないドラマを生み出したと言っていいはずだ。
WOWOW NBA解説 石田剛規が語る
「2年連続でNBAファイナル進出を果たした“ミラクル・ネッツ”」
「ネッツを加入1年目でファイナルまでけん引させるスーパースター。そんな影響力の大きい選手は周りの選手も引き立たせる。この時代であればジェイソン・キッドで、今の時代で言えばレブロン・ジェームズだろう。
近年ではオールスター級の選手が3、4人と集結するスーパーチームも現れた。影響力の大きい選手1人でファイナルに連れて行けるかといえば難しい。かといって、そういった選手が集まったからといって優勝をつかみ取れるわけではない。この時代のネッツが2年連続で優勝を逃した理由を探し始めたらキリがないが、優勝をつかむための絶妙なバランス、タイミングを考えるのはやはり面白い」。