3度の優勝、2度のシーズンMVP獲得経験を誇るNBAきっての超人気選手、ステフィン・カリー(ゴールデンステート・ウォリアーズ)。そのカリーが3連覇を懸けて挑む今季開幕を前に、2015年以来2度目の来日を果たす。
そこで今回は、キャリア10年目を迎えるカリーのNBAにおけるこれまでのキャリアを、2回に分けて振り返ってみたい。
■プロフィール
本名:ワーデル・ステフィン・カリー二世
生年月日:1988年3月14日(オハイオ州アクロン)
年齢:30歳
身長/体重:190センチ/86.2キロ
所属:ゴールデンステート・ウォリアーズ
背番号:30
ポジション:ポイントガード
NBAキャリア:今季で10年目
高校:シャーロット・クリスチャン高(ノースカロライナ州)
大学:デイビッドソン大(在籍3年)
ドラフト:2009年1巡目7位指名(ウォリアーズ)
Twitter:@StephenCurry30(フォロワー数は約1,274万人)
Instagram:@stephencurry30(フォロワー数は約2,170万人)
■カリーが残してきたNBAにおける功績
NBAチャンピオン:3回(2015,17,18年)
レギュラーシーズンMVP:2回(2015,16年)
オールNBAチーム選出:5回(うち15,16年はファーストチーム)
オールスター選出:5回(2014~18年)
得点王:1回(2016年)
スティール王:1回(2016年)
3ポイント成功数1位:5回(2013~17年)
フリースロー成功率1位:4回(2011,15~16,18年)
バスケが生み出す“創造性”に魅力を感じた幼少期のサラブレッド
1990年代にリーグ屈指のシャープシューターとして活躍したデル・カリー(元シャーロット・ホーネッツほか)を父に持つNBAきってのサラブレッド、ステフィン・カリー。父デルがクリーブランド・キャバリアーズに在籍していた時に生まれたカリーは、生後わずか2週間でNBAの試合へ行き、父のプレーを見ていたという。
ロールプレーヤーとして活躍していた父を幼い頃から何度も見てきたことで、父が得点するツールの1つだったキャッチ&シュートのスタイルは息子ステフもNBAで実践している。カリーは言う。
「5歳の頃に父親の試合を見たことで、前もって相手がどこにいるかを知って、そこからの状況を読むことが大切だと思った。僕のサイズを考えると、相手の一歩先をいくことはとても重要なんだ」。
幼少期からバスケットボールに親しんでいったカリーだが、両親からバスケットを強制されたことはなく、野球も好んでプレーしていた。一時はバスケットを辞めて野球に専念しようと考えた時もあったのだが、元NBA選手である父親の血が流れているからなのか、最後はバスケットを選んだカリー。
カリーがバスケットに専念した理由。それは今のプレーからも納得できるものだった。
「幼い頃から楽しいって思ってたからね。それに、僕はバスケットボールが生み出す創造性が好きなんだ。そこには人々が喜ぶような“ひらめき”を感じられるから」。
30歳ながら“NBA史上最強のシューター”と称されるカリーだが、チームメートさえも驚くような華やかなパスや華麗なボールハンドリング、放たれた瞬間にリングへ吸い込まれていくかのようなフローターなど、独自の感性から繰り出されるカリーのプレーは、まさに創造性(クリエイティビティー)にあふれていると言っていい。
高校2年の夏に父のアドバイスでシュートフォームを改善
とはいえ、カリーは高校時代から注目を集める選手ではなかった。170センチに満たない身長、細身の身体だったこともあるが、高校2年次の途中までは腰のあたりからリリースする変則シュートフォームだったため、3ポイントシュートを放ってもリングに届かないこともあった。
するとその時、父デルが現役を引退し、息子ステフがプレーするシャーロット・クリスチャン高のアシスタントコーチに就任。カリーが高校2年の夏に、シュートフォームを改善すべく、アドバイスしたという。父デルは当時についてこう振り返っている。
「私たちはステフが小さかった頃から、ファンダメンタル(基礎)の部分に取り組んできたし、(ステフには)もともと才能もあったのかもしれない。しかし、その道で成功するためには、一生懸命練習に取り組まなければならない時が必ずやってくる。そのことに気づくキッカケになったのがシュートフォーム改善だったんだ」。
父デルからのアドバイスを機に、猛練習に明け暮れたカリーは、夏の間にシュートフォームを改善し、同高でメキメキと頭角を現していく。
それでも、カリーに関心を示すカレッジの有力校はほとんどなく、ディビジョンⅠから勧誘を受けたのは3校のみ。そこでカリーが選んだのは、地元ノースカロライナ州にあるデイビッドソン大だった。同大のボブ・マキロップHCはカリーが10歳の頃から見ていたという。
2年次のNCAAトーナメントで驚異のスコアリングショーを展開!
デイビッドソン大は、ケンタッキー大やデューク大といった有名大と比べると小規模で、NCAAトーナメントでも1969年以来、一度も1回戦を突破したことがなかったのだが、カリーがその歴史を変えることとなる。
1年目(06-07)から平均21.5得点を挙げる活躍を見せたカリーは、同大を29勝5敗の好成績へと導く。NCAAトーナメント初戦となったメリーランド大戦でもカリーはゲームハイの30得点を奪ったものの、チームは70-82で負けてしまい、1回戦敗退。
翌07-08シーズン。カリーは平均25.9得点でチームをけん引し、29勝7敗という好成績へと導く。最後は22連勝という最高のチーム状態でNCAAトーナメントへ乗り込んだ。ゴンザガ大との1回戦は、途中11点ビハインドの劣勢となる中、カリーが後半だけで30得点と大暴れ。見事逆転勝利を飾り、デイビッドソン大を約40年ぶりの1回戦突破へと導いた。この試合、カリーは10投中8本の長距離砲を沈めるなど計40得点の大活躍を見せた。
続くジョージタウン大戦でも、デイビッドソン大は一時17点もリードを許す苦しい展開となったものの、またもカリーが大活躍。今度はゲームハイとなる30得点を挙げ、74-70でジョージタウン大を撃破。カリーは次のウィスコンシン大戦でもゲームハイとなる33得点を挙げチームを勝利に導き、ファイナル4(準決勝)進出を懸けたカンザス大戦へ。カリーはこの試合でもゲームハイの25得点をマークしたものの、試合には57-59で惜敗。トーナメントには敗れてしまったものの、カリーはアメリカ中の話題をさらい、一躍注目選手となる。
当時について、カリーは『Sporting News』のインタビューでこう語っていた。
「ほとんどすべての人たちが、僕らは1回戦を突破できないと思っていた。だから僕たちは、どんなチームであろうと打ち砕くことができるという強固な信念を持って臨んだんだ」。
しかし、3年次(08-09)はデイビッドソン大をNCAAトーナメントに導くことができず、カレッジキャリアに幕を下ろすこととなった。それでも、NCAAトップとなる平均28.6得点に加え、4.4リバウンド5.6アシスト2.5スティールと堂々たる成績を残してみせた。
右足首の負傷に苦しむも、ウォリアーズは徐々にカリー中心へと変貌
カレッジで3年プレーしたカリーは、09年のドラフトへアーリーエントリー。1巡目7位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名され、NBA入りすることとなる。
ルーキーシーズン(09-10)からポイントガードのスターターとして出場したカリーは、モンテ・エリス(現未所属)、コーリー・マゲッティ(元ロサンゼルス・クリッパーズほか)に次ぐチーム3位の平均17.5得点に加え、4.5リバウンド5.9アシスト1.9スティールと、ルーキーとしては上々の成績を残し、オールルーキーファーストチームに選出。
翌10-11シーズンはエリスに次ぐ平均18.6得点を挙げ、フリースロー成功率93.4パーセントでリーグトップに立つも、チームは36勝46敗でウエスタン・カンファレンス12位。前シーズン(26勝56敗でウエスト13位)よりは前進したものの、プレーオフ出場には届かなかった。
そんな中、さらなる成長を見据えるカリーに試練が訪れる。右足首の負傷により、2年目は8試合、3年目(11-12)は40試合も欠場を余儀なくされた。そんな中、カリーの窮地を救ったのが両親だった。コート内外で親身になってアドバイスした両親のお陰で、カリーは再びスポットライトを浴びることとなる。
カリーが40試合を欠場した11-12シーズン途中、ウォリアーズは重要なトレードを行っていた。カリーとガードコンビを組んでいたエリスらをミルウォーキー・バックスへトレードし、センターのアンドリュー・ボーガット(元バックスほか)を獲得。このトレードは、ウォリアーズがカリーを柱とするチームを構築することを決断した瞬間でもあった。
さらに、11年のドラフトではクレイ・トンプソン、12年のドラフトではハリソン・バーンズ(現ダラス・マーベリックス)とドレイモンド・グリーンを指名し、着々とカリー中心のロースターを構築していた。
健康を取り戻したカリーが躍動、初のプレーオフでも大暴れ
そうして迎えた12-13シーズン。健康を取り戻したカリーは78試合すべてに先発出場すると、キャリアハイとなる平均38.2分を残し、平均22.9得点4.0リバウンド6.9アシスト1.6スティールをマークし、一躍オールスター候補へ。
特に13年2月28日(同27日)のニューヨーク・ニックス戦で見せたパフォーマンスは、カリー時代到来を確信させるものだった。この試合、最後は4点差で敗れたとはいえ、カリーは13投中11本の3ポインターを沈めるなど完全にゾーンに入り、当時のキャリアハイとなる54得点を奪取。さらに6リバウンド7アシスト3スティールを挙げ、ニックスの選手だけでなく、リーグ全体を震え上がらせた。
このシーズンのウォリアーズは、カリーを筆頭にトンプソンやデイビッド・リー(元ウォリアーズほか)やジャレット・ジャック(現未所属)らを中心としたロースターをマーク・ジャクソンHCが巧みに操り、ウエスト6位の47勝35敗を記録。07年以来初のプレーオフ進出を果たす。
1回戦で第3シードのデンバー・ナゲッツと対戦したウォリアーズは、カリーがいずれもシリーズトップとなる平均24.3得点9.3アシスト2.2スティールを奪い、4勝2敗でアップセット。サンアントニオ・スパーズとのウエスト準決勝の初戦では、カリーが第3クォーターだけで22得点も荒稼ぎするなどショットが面白いように決まり、ウォリアーズ優勢でゲームを進めていく。しかし、2度の延長の末に最後は2点差で惜敗。44得点11アシストを挙げたカリーの奮闘もむなしく、初戦を落としてしまう。その後、トンプソンやバーンズの活躍で勝利を収めるも、2勝4敗で飛躍のシーズンを終えた。
3ポイントシュートに絶対の自信を持つカリー
このシーズン、カリーは過去3シーズンで平均5.0本未満だった3ポイントシュート試投数を一気に7.7本まで増やしたのだが、1試合平均3.5本も沈める驚異的なシュート力を披露。なかには3ポイントラインから遠く離れたエリアから放つこともあったが、成功率もルーキーシーズンから40パーセント以上をキープ。おまけに目にも止まらぬクイックリリースということもあり、アンストッパブルなシューターとなりつつあった。
13年のプレーオフ期間中、現地メディア『ESPN』の取材でカリーは、自身のシュート力についてこう答えている。
「僕のショットのうちいくつかは、バスケットボールの批評家たちにとっては恰好の標的になるだろうね。でも僕は遠い位置からのショットにもすごく自信を持ってる。それにコーチも僕に自信を持たせてくれるし、チームメートたちもそうしてくれるんだ」。
カリーのプレーを縁の下で支えるセンターのボーガットはこう付け加えた。
「ハーフコートを超えたところでドリブルしていたら、それはもう彼のシュートレンジなんだ。もしハーフコートのどこかで彼がオープンになる状況を作れたら、僕はすぐさまボックスアウトをするようにしている。彼はきっとシュートするから」。
このシーズンを境に、カリーは5シーズン連続で3ポイント試投数と成功数のリーグトップに君臨することとなる。12-13シーズンは、史上最強シューター、カリーお披露目のシーズンになったと言っていいだろう。
ちなみに、カリーは今でもデイビッドソン大時代の恩師マキロップHCの信条である“TCC”を大切にしている。それはTrust(信頼)、Commitment(責任)、Care(気配り)を意味しており、初のシーズンMVPに輝いた15年にも「これからもこの信条と共に生きていく」と口にしていた。カリーという選手はどんな時でもチームメートを信頼し、エースとしての責任を果たしつつも、謙虚で気取らない人柄が魅力。これはまさにTCCを実践していると言っていい。