NBA史上有数のスーパースターの逝去に世界中が途方に暮れる
現地時間1月26日午前。NBA史上有数のレジェンド、コービー・ブライアントに突然の死が訪れた。
この日、コービーはヘリコプターで13歳の娘ジアナのバスケットボールの試合に向かっていた。だがロサンゼルス郊外のカルバシスで起きた墜落事故により、コービーとジアナを含む乗客計9名が亡くなったと複数の現地メディアが報じた。
レジェンドの訃報に、世界中が悲しみに暮れたのは言うまでもない。現役、レジェンドを含むNBA選手や各チーム、各メディアがコービーのあまりにも早すぎる死を思い出と共に報道。
サンアントニオ・スパーズのホーム、AT&Tセンターで行われたスパーズ対トロント・ラプターズ戦では、試合が始まるとラプターズの選手がボールをフロントコートへ運ぶも、何もせずにショットクロックバイオレーション。その後スパーズもフロントコートにだけボールを運び、ショットクロックバイオレーションがコールされた。
会場に集まったファンは、当初スパーズへ「ディフェンス! ディフェンス!」と声援を送っていたものの、後にその歓声は「コービー! コービー!」へと変わっていった。ショットクロックが示す数字(24秒)、それはコービーが現役時代に着用し、8番と共にレイカーズの永久欠番となった24だったからである。
キャリア20シーズン全てをレイカーズへ捧げたコービーは、5度の優勝に2度のファイナルMVP、2008年にシーズンMVPを獲得したほか、オールスターに18度、オールNBAチームに15度、オールディフェンシブチームに12度、得点王2度、オールスターMVPに4度選ばれたスーパースター。
レイカーズのフランチャイズ史上で見ても、出場試合数、出場時間、得点、スティール、フィールドゴール試投数と成功数、3ポイント試投数と成功数、フリースロー試投数と成功数など、数多くの部門でトップを誇る。
「彼は歴史上で見ても、最も桁外れに優れた選手の1人」(コミッショナー)
「私はコービーのことが大好きでした。まるで弟のような存在でした」(ジョーダン)
26日(現地時間25日、日付は以下同)に行われたフィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦で、レブロン・ジェームズが通算得点でコービ―超えを果たした直後だっただけに、その衝撃は世界中に響き渡った。
コービーの訃報を知った時、レイカーズはフィラデルフィアからロサンゼルスへジェット機で移動していたという。レイカーズのホーム、ステイプルズ・センター周辺には大勢のファンが集まり、「Kobe! Kobe!」「MVP! MVP!」「Thank You Kobe!」と連呼し、コービーへの感謝を集まったファンで共有していたことも印象的だった。
NBAコミッショナーのアダム・シルバーは「我々、NBAファミリーは、コービー・ブライアントとその娘ジアナの悲劇を知り、途方に暮れています。20シーズンにおいて、コービーは我々に飽くなき勝利への献身を特筆すべき才能と共に見せてくれました。彼は歴史上で見ても、最も桁外れに優れた選手の1人でした」(抄訳)と声明文を通じてコメント。
また、コービーが少年期から憧れ、追いかけていたマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか/現シャーロット・ホーネッツ オーナー)は、コービーの訃報について、声明文の中で以下のような言葉を残していた。
「コービーと娘のジアナが亡くなったという訃報を知り、多大なショックを受けています。私はコービーのことが大好きでした。まるで弟のような存在でした。私たちは頻繁に言葉を交わしていましたので、これまでの会話の数々を寂しく思うことでしょう。彼は強烈な競争者であり、バスケットボールにおいて最も偉大な選手の1人であり、クリエイティブな力を持つ男でした」(抄訳)
41歳という若さでこの世を去ることとなったコービー。現役NBA選手をはじめ、世界中のバスケットボールプレーヤーへ計り知れないほどの影響を与えた男へ、多大な感謝と共に、ご冥福をお祈りしたい。